5月26日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

0599年 - 奈良時代に成立した日本の歴史書で、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』に、日本最古の地震による被害状況の記録。この推古地震は、第33代天皇、推古天皇の在位期間前半に発生した歴史地震(地震計を始めとする近代的観測機器が存在しなかった時代に発生し、記録で確かめられるもの)で、建造物が悉く倒壊したという。第31代天皇、用明天皇の第二皇子で、第33代天皇、推古天皇の摂政(天皇が幼少であるか、女帝である場合、天皇に代わって政務を行なう職)として政事を執り行なった、聖徳太子の伝記によれば、聖徳太子が地震を予測して建物の補強を促し、地震後は、税の免除を建言した、とされている。 
0752年 - 東大寺盧舎那仏像の開眼供養。東大寺盧舎那仏像は、現在の奈良市雑司町にある東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)である。一般には、奈良の大仏として知られる。中世、近世に焼損したため、大部分が補作されており、当初に制作された部分で、現在まで残るのは極めて一部である。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されていて、現存の大仏は、像の高さ約14.7m、基壇の周囲70mで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部等に一部建立当時の天平時代の部分も残っている。台座の蓮弁(蓮の花弁)に線刻された、華厳経の世界観を表わす画像も、天平時代の造形遺品として貴重である。現存する大仏殿は、正面の幅(東西)約57.5m、奥行約50.5m、棟までの高さ約49.1mである。高さと奥行は創建当時とほぼ同じであるが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている。大仏殿はしばしば「世界最大の木造建築」と紹介されるが、20世紀以降の近代建築物の中には、大仏殿を上回る規模のものが存在する。よって、「世界最大の木造軸組建築」(柱と梁の軸組による構法、木造軸組工法で建築された建築物)とすることが望ましい、という説もある。
1135年 - 後のスペイン王国の中核となったカスティーリャ王国国王、アルフォンソ7世が「全ヒスパニア(イベリア半島[ヨーロッパの南西に位置する半島で、現在のスペインやポルトガル、フランスとスペインに挟まれたミニ国家のアンドラ、イベリア半島の南東端に所在し、イギリスの海外領土であるジブラルタルの領域]の古名)の皇帝」として戴冠(国王が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位への就任を宣明する儀式を行なうこと)。 
1253年 - 後に日蓮宗 (法華宗) の宗祖となる仏僧、日蓮が安房国小湊浦(現在の千葉県鴨川市に所在する)の清澄山山頂で、集まった大衆に初めて法華の教えを説く(立教開宗)。
1326年 - 引付衆(鎌倉幕府の最高政務機関、評定衆に次ぐ役職)一番頭人であった北条守時が、鎌倉幕府第16代執権に就任する。しかし、実権は、出家していた元鎌倉幕府第14代執権の北条高時(崇鑑)や、実力者であった家臣の長崎高資らに握られ、鎌倉幕府に叛旗を翻した新田義貞率いる軍勢を先鋒隊として迎撃し、敗れて自刃する。
1600年 - 豊臣政権の五大老の一人であった会津(現在の福島県西部)120万石を領する大大名、上杉景勝の家老で、内政・外交での取次の殆どを担った直江兼続が、徳川家康の非を問い糾す書簡(直江状)を、徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた臨済宗の僧、西笑承兌に送付する。
1701年 - 元禄赤穂事件: 浅野家断絶のため、赤穂城(現在の兵庫県赤穂市上仮屋にある城)が幕府に明渡しとなる。
1736年 - チカソー戦争: アキアの戦い。
1762年 - スコットランド貴族の家に生まれた政治家、第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートがグレートブリテン王国(イギリス)の第7代首相に就任。
1805年 - フランス第一帝政皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)がイタリア王として戴冠。
1828年 - ドイツ南部にあるニュルンベルクで、16歳まで牢獄に閉じ込められていたカスパー・ハウザーが発見・保護される。カスパー・ハウザーは、発見後に教育を施されて言葉を話せるようになり、自らの過去等を少しずつ語り出すようになったが、詳細が明らかになる前に、何者かによって暗殺されたため、その正体と出生から保護に至るまでの正確な経緯は、現在も不明なままである。特異なまでの鋭敏な五感を持っていたことでも有名で、数奇な生涯は専門の研究書から文学、楽曲等、様々なジャンルで取上げられている。
1867年 - いろは丸沈没事故。1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩が所有していた、帆走も可能であった蒸気船「いろは丸」(排水量160トン)の操船は、大洲藩と使用契約を交わしていた海援隊(土佐国土佐藩脱藩の浪士、坂本龍馬が中心となり結成した組織)が担当し、5月22日、「いろは丸」は大坂に向けて長崎を出航する。瀬戸内海を航行中、紀伊国/伊勢国紀州藩が所有していたスクリュー推進蒸気船「明光丸」(排水量887t)と衝突した「いろは丸」は沈没し、海援隊士等、「いろは丸」乗組員は全員「明光丸」に移乗する。
1896年 - ロシア皇帝ニコライ2世が戴冠。
1896年 - アメリカの経済ジャーナリストで証券アナリスト、チャールズ・ダウが、初の『ダウ平均株価』を発表。『ダウ平均株価』は、アメリカ合衆国の代表的な株価指数である。経済ニュース通信社であるダウ・ジョーンズ社がアメリカの様々な業種の代表的な銘柄を選出し、平均株価をリアルタイムで公表する株価平均型株価指数である。「ダウ工業株30種平均」、「ダウ輸送株20種平均」、「公共株15種平均」の3種類と、これらを合わせた「ダウ総合65種平均」がある。その中で、「ダウ工業株30種平均」が最も有名で、日本では「ダウ工業株30種平均(ダウ平均)」、「ニューヨーク・ダウ」、「ニューヨーク平均株価」等と呼ばれる。『ダウ平均株価』という名称では、農業、鉱工業、輸送等の12銘柄でスタートしており、1928年に30銘柄となる。その後、情報通信業や医療等のサービス業を取込みながら、現在に至っている。
1897年 - イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーの怪奇小説『ドラキュラ』が発刊される。但し、発刊日は5月18日との説もある。
1916年 - 朝日新聞で、日本を代表する文豪の1人である作家・評論家・英文学者、夏目漱石最後の作品となる長編小説『明暗』が連載開始。『明暗』は、夏目漱石の小説中最長の作品であるが、作者病没のため188回までとなり、未完に終わる。
1918年 - グルジア民主主義共和国(現在のロシアの南西、南コーカサスに位置するジョージア)が独立を宣言。3年後の1921年、赤軍(ソビエト連邦の地上軍[陸軍])に首都チフリスを落とされて崩壊する。
1923年 - 第1回『ル・マン24時間耐久レース』(24時間でのサーキット周回数を競う四輪耐久レース)が開催される。
1924年 - アメリカ合衆国第30代大統領カルビン・クーリッジが、ジョンソン=リード法(排日移民法)に署名。なお、ジョンソン=リード法(排日移民法)は、日本人移民のみを排除した法律ではなく、各国からの移民の年間受入れ上限数を、1890年の国勢調査時にアメリカ合衆国に住んでいた各国出身者数を基準に、その2%以下にするものであり、1890年以後に大規模な移民の始まった東ヨーロッパ出身者・南ヨーロッパ出身者・アジア出身者を厳しく制限することを目的としたものである。
1927年 - アメリカ合衆国の自動車メーカー、フォード・モーター社が開発・製造した自動車『フォード・モデルT』の生産が終了。『フォード・モデルT』は、1908年に発売され、以後1927年まで基本的なモデルチェンジのないまま、1,500万7,033台が生産される。4輪自動車でこれを凌いだのは、唯一2,100万台以上を生産された、ドイツの自動車メーカーであるフォルクスワーゲンによって製造された小型自動車で、「ビートル」や「カブトムシ」の通称でも知られる『フォルクスワーゲン・タイプ1』が存在するのみである。その廉価さから、アメリカを始めとする世界各国に広く普及する。基本構造自体、大衆車として十分な実用性を備えた完成度の高い自動車であり、更には、ベルトコンベアによる流れ作業方式等、近代化されたマス・プロダクション(大量生産)手法を、生産の全面に適用して製造された史上最初の自動車という点でも重要である。自動車技術は元より、「フォーディズム」の語に象徴されるように労働、経済、文化、政治等の各方面に計り知れない影響を及ぼし、単なる自動車としての存在を超越して、20世紀前半の社会に多大な足跡を残した存在である。日本では、『T型フォード』の通称で広く知られている。
1927年 - アルコス事件: イギリスとソビエト連邦が断交する。アルコス事件とは、1927年5月12日に、イギリスの首都ロンドンにあるソビエト連邦の貿易事務所、全ロシア協同委員会(通称は「アルコス[ARCOS]」)を、イギリス官憲が捜索した事件である。