5月26日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

ラッキーゾーンの日。
1947(昭和22)年5月26日、兵庫県西宮市甲子園町にある阪神甲子園球場にラッキーゾーンが設置された。これは、日本におけるラッキーゾーンの第1号でもある。ラッキーゾーンとは、野球場で本塁打を出易くするために、意図的に外野フィールドの内側に施した柵と、その柵から本来のフェンスの間の空間のことである。和製英語( = 日本独自の通称)であり、英語に相当する単語はない。柵越え本塁打が注目されるようになってから、球場での本塁打率が悪かったことを危惧した管理者の阪神電気鉄道(阪神)が、外野の両翼から左・右中間付近に至る付近に金網を設けて、本塁打を出易くしようと試みた。この阪神甲子園球場のラッキーゾーンは、形を変えながら1991(平成3)年シーズンまで存続し、シーズン終了後の12月5日に撤去されている。現在、フェンスは阪神甲子園球場に距離的に最も近い高校と言われている、兵庫県立西宮今津高等学校の中庭に記念碑として立っている他、阪神甲子園球場内の甲子園歴史館にも、フェンスの一部が、ラッキーゾーン設置時の両翼であった91mのプレートを付けた状態のままで展示されている。それ以後、鳴海球場(かつて愛知県愛知郡鳴海町[現在の名古屋市緑区]にあった野球場で、1958[昭和33]年限りで閉鎖される)、阪急西宮球場(かつて兵庫県西宮市にあった野球場で、2002[平成14]年限りで閉鎖される)、近鉄藤井寺球場(藤井寺球場、かつて大阪府藤井寺市にあった野球場で、2005[平成17]年限りで閉鎖される)、明治神宮野球場(神宮球場、東京都新宿区と東京都港区の一部にある明治神宮外苑内の野球場)、京都市西京極総合運動公園野球場(西京極球場、京都市右京区の京都市西京極総合運動公園内にある野球場)、倉吉市営野球場(グリーンスタジアム倉吉、鳥取県倉吉市の倉吉スポーツセンター内にある野球場)にそれぞれ設置された。しかし、選手の体格向上や、バットやボールの品質改良によってホームランの本数が増加し、夏季オリンピック実施競技に野球が加えられた1980年代以後、各地に国際競技規格に適合、又はそれに準ずる球場が新規建設されたり、改修でも外野の拡張が実施されるようになったため、ラッキーゾーンそのものの存在価値もなくなり、現在では、ラッキーゾーン内にナイター設備(照明灯の支柱)があるため、撤去が困難とされる倉吉市営野球場を除く各球場で、ラッキーゾーンが外されている。なお、明治神宮野球場は、1967(昭和42)年に、ラッキーゾーンがなくてもグラウンドが同規模程度になるよう、スタンドが改修されているが、2008(平成20)年の大規模な改修工事により、再拡張された。2013(平成25)年には、宮城球場(楽天Koboスタジアム宮城、宮城県仙台市宮城野区の宮城野原公園総合運動場内にある野球場)に本塁打を増やすため、「Eウィング」と称する外野スタンドがフィールド内に増築された。宮城球場を専用球場(本拠地)としている東北楽天ゴールデンイーグルスでは、増設した座席を「ラッキーゾーンのような」という説明をしており、正式に「ラッキーゾーン」と呼ばれている訳ではない。従来のスタンドの前に特別席を常設するという、国内では今までにない形式となっている。この「Eウィング」によって、12球団本拠地最長であった101.5mの両翼が100.1mとなり、左右中間が1m程度縮まる形となった。2.8mから4.1mあったフェンスも2.5mに統一された。座席数は90席で、総工費は約4億円である。2015(平成27)年には、福岡ドーム(福岡 ヤフオク!ドーム、福岡市中央区地行浜2丁目[シーサイドももち地区]のホークスタウンにある開閉式屋根を持つ多目的ドーム球場)に、「ホームランテラス」と称する外野スタンドがフィールド内に新設された。ホームランテラスにより、フェアゾーンの面積は東京ドーム(「BIG EGG(ビッグエッグ)」、東京都文京区に所在するドーム型野球場)とほぼ同じとなり、12球団本拠地で1番の高さを誇っていた5.84mの外野フェンスも、東京ドームより僅かに低い4.2mまで引下げられた。また、センター付近やポール際等、スタンドを設置できない部分(公認野球規則により両翼・中堅はこれ以上縮められない)には、従来のフェンスにホームランテラスから連なる形で金網を貼付け、同じく4.2mの高さにあるオレンジのラインを越えた部分に当たればホームラン、とする措置を取っている。福岡ドームを専用球場(本拠地)としている福岡ソフトバンクホークスからの発表には、「ラッキーゾーン」という言及は無いが、改修に関する多くの報道では「ラッキーゾーン」と呼んでいた。命名後は、ホームランテラスの名称を使用することが殆どである。因みに、過去のアメリカ合衆国の野球場においては、変形、かつ広大な外野フィールドを持つ球場が大半であったために、「ラッキーゾーン」に相当するフェンスの位置変更は頻繁に行なわれていた。アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市の最北端に位置する行政区、ブロンクス区にあった野球場で、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)のニューヨーク・ヤンキースが本拠地としていた旧ヤンキースタジアム(1923[大正12]年に建設され、当時はベーブ・ルース[本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した強打者で、アメリカ国内において、数多いプロスポーツの1つに過ぎなくなっていた野球を、最大の人気スポーツにしたことで、「アメリカ球界最大の巨人の1人」と評されている]の全盛時代であったことから、「ルースが建てた家」と言われたが、老朽化により、2008[平成20]年のシーズンをもって閉鎖され、隣地に新たなヤンキー・スタジアムが建設された)の左中間は、改修の度に縮小され、その場所にブルペンや記念館が建築されている。アメリカ合衆国中西部、オハイオ州クリーブランドにかつて存在し、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)のクリーブランド・インディアンスが本拠地としていたクリーブランド・スタジアムでは、開場から閉鎖までの64年間に、センターまでの距離が20m以上も短縮された。19世紀から存在する伝統球団で、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)屈指の名門、ドジャースが、アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市から、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州ロサンゼルス市に移転した当初に使用した、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは、本来陸上競技場であり、フィールドがレフト側に極端に狭く、ライト側は逆に極端に広過ぎた。そのため、野球開催時には、仮設フェンスを設置していた。本塁から左翼ポールまで約76.2mの長さしか取れなかったため、レフト側のフェンスは、高さが40フィート(約12.2m)もあった。東京都文京区後楽に所在した野球場で、施設の老朽化により、球場としての役割を東京ドームに引継ぎ、1987(昭和62)年11月8日に閉鎖となった後楽園球場では、1953(昭和28)年から1957(昭和32)年まで、外野ポール付近に「アンラッキーネット」を設置していた。これは、球場の狭さ(当時の後楽園球場は両翼が78mしかないため、ホームランが出易かった)をカバーして、本塁打を出にくくする(プロ野球が2リーグ制となった1950[昭和25]年には、両リーグで1,500本以上の本塁打が飛び交った)という、ラッキーゾーンとは全く逆の目的のものである。後楽園球場のアンラッキーネットは、1957(昭和32)年のシーズンオフ、フィールドを拡張し、フェンスそのものを高くする改装工事が行なわれたことに伴ない、翌1958(昭和32)年の長嶋茂雄(超大型新人として活躍の期待が高かった読売ジャイアンツ[読売巨人軍]の三塁手で、入団後は、闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで、読売ジャイアンツ[読売巨人軍]の4番打者として活躍し続け、多くの国民を熱狂させた)入団時に撤去されている。