5月25日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

別所線の日。 
長野県上田市の上田駅と別所温泉駅とを結ぶ上田電鉄の別所線。その存続を目的に、2003(平成15)年12月、市民有志グループとして結成された「別所線の将来を考える会」が制定。日付は、5月25日の「5」と「25」で、別所線のシンボルとも言える、丸窓電車の車輌ナンバー「モハ5250」の「525」から。電車内でのコンサート等、様々なトレイン・パフォーマンスを行ない、別所線の魅力を伝えていく日としている。別所線は、長野県上田市の上田駅から別所温泉駅までの路線距離11.6km、全線単線の鉄道路線である。標高約570mの高地にある信州最古の温泉、別所温泉への湯治客を輸送する路線として、1924(大正13)年に全通した。1970年代には、乗客減等を理由に廃止の方針が示されたが、沿線住民による廃止反対・路線存続運動が起こり、廃線は免れたものの、引続き利用客は低迷。1980年代に入ると乗客減少が顕著になり、大幅な赤字を計上し続けた。その後は経営努力を続け、1980年代末から1990年代には乗客増加に転じた。しかし、2000年代には少子化の影響により、通学客を中心とした定期利用客の減少が進むと共に、長期の景気低迷により湯治客・観光客需要も伸び悩む状況となった。そこで、利便性の向上に努めた他、国・長野県・上田市からの公的支援が始まり、住民による支援団体も相次いで結成された。上田市が、さらに支援を進めている他、各支援団体が広範な存続運動を展開。アニメーション・キャラクターを採用した広報活動や、別所温泉の共同浴場(外湯)入浴券付き往復乗車券、地元自治会向け回数券「マイレールチケット」の販売(地域住民以外でも購入できる)、駅の清掃ボランティアや花壇の整備、一部の駅へのパークアンドライド(自宅から自家用車で最寄りの駅、又はバス停まで行き、車を駐車させた後、バスや鉄道等の公共交通機関を利用して都心部の目的地に向かうシステム)の導入やレンタサイクルの整備等、増収と路線存続のための支援事業を行なっている。丸窓電車は、扉脇の戸袋窓が楕円形になっていて、通勤や通学、観光客の足として活躍した。1986(昭和61)年9月30日、モハ5250形「丸窓電車」は現役の運用を終了した。丸窓を持つユニークな車両として人気があり、引退後も塗装や補修を行なった上で保存されている。「モハ5252」は、別所温泉駅の構内に展示されている。また、丸窓電車には、圧力計や圧力センサを中心とする各種センサ等の精密機器を開発、製造、販売している企業、長野計器株式会社製の計器が使用されていたことから、2005(平成17)年に「モハ5253」を長野計器株式会社が引取り、上田市にある長野計器丸窓電車資料館として展示・公開されている。長野計器株式会社は、現在の本社が東京都大田区東馬込であるが、創業当時の本社、及び工場は上田市にある。「モハ5251」は、老朽化のために解体処分する方針であったが、解体作業前に無償で譲渡するという公募に対する希望者が現れ、上田電鉄が審査を行なった結果、2011(平成23)年に地元上田市のさくら国際高等学校に譲渡され、保存活用されている。1980年代には、東日本と中部地方を主な商圏とする、丸大食品株式会社(食肉加工業界大手4社の一角)グループ企業の食品メーカー、株式会社マルシンフーズ(ハンバーグ状の食品、マルシンハンバーグが定番商品で、食肉加工食品の製造、販売が中心事業となっている)が、マルシンハンバーグのテレビCMロケーション撮影を、別所線で行なった。丸窓電車も登場しており、印象的な夫神岳(別所温泉の近くにある、標高1,250.1mの山で、別所温泉の奇祭「岳の幟」を奉納する場として知られる)等の山並みや、別所線の沿線風景を紹介して、当時広く知られたテレビCMの1つであった。また、没後に国民栄誉賞を受賞した俳優、渥美清主演の人気映画シリーズ『男はつらいよ』第18作、『寅次郎純情詩集』の作中、別所温泉駅と別所線の列車が登場し、渥美清が演じる主人公、車寅次郎と、女優・歌手の倍賞千恵子が演じる、車寅次郎の腹違いの妹、諏訪さくらが乗車する。さらに、第35作『寅次郎恋愛塾』では、冒頭に舞田駅が登場、車寅次郎が夢から覚めるシーンの舞台となった。なお、舞田駅は、別所線の終着駅となる別所温泉駅からは2つ手前の駅で、開業時から停留所扱いで、今に至るまで無人駅である。1970年代から1980年代にかけては、乗降客がいないと停車せず、列車が通過する駅として知られていた。現在は、乗降客がいなくとも停車する。マルシンハンバーグのテレビCMにも登場しており、駅構造やホームはそのままであり、駅周辺の風景自体もほぼ変わっていないため、放映から約30年以上経過した現在も、テレビCM放映当時の雰囲気を多く残している。
みやざきマンゴーの日。
宮崎市霧島に所在する、宮崎経済農業協同組合連合会(略号はJA宮崎経済連で、各単位農協が組合員となって組織する都道府県単位の組合)の宮崎県果樹振興協議会亜熱帯果樹部会が、「みやざき完熟マンゴー」として全国的に知られる宮崎県産マンゴーの、さらなるPRを目的に制定。宮崎県産マンゴーは、甘くて濃厚な味として人気が高い。日付は、5月25日の「0525」を、「マンゴー(05)ニッコリ(25)」と読む語呂合わせと、この頃に宮崎県産マンゴーの出荷が最盛期に当たることから。マンゴーの原産地は、インドからインドシナ半島周辺と推定されている。現在では、500以上の品種が栽培されていて、インド・メキシコ・フィリピン・タイ・オーストラリア・台湾が主な生産国で、日本では、沖縄県・宮崎県・鹿児島県・和歌山県・熊本県で主に栽培されている。マンゴーの木は常緑高木で、樹高は40m以上に達する。マンゴーは、熟した実を中心にある種に沿って切り、生のまま食用にするのが一般的であるが、ジュース・ピューレ・缶詰・ドライフルーツ等にも加工される。栄養面では、特にビタミンAやβ-カロテン(植物に豊富に存在する赤橙色色素の1つ)が多い。日本では、露地栽培により果実を実らせることが難しいため、農家ではビニールハウス栽培を採用している。ハウス栽培を行なう目的は、高い気温の確保ではなく、マンゴーの開花時期が日本の雨季と重なるため、水に弱いマンゴーの花粉を雨から守ることで受粉をさせ、結実させるためである。農業害虫の殺虫処理技術が進展したことで、条件付きの輸入が解禁されて、1990年代後半頃から全国のスーパー等の小売店で、フィリピン産等のマンゴー果実が安価で売られ、また、菓子等の加工物の原材料としても幅広く用いられるようになり、一気に代表的な熱帯産果物の一種として日本の社会に浸透した。日本では、花切りがマンゴーの切り方として定着している。花切りの切り方は、中央の平たい種を避け、魚を3枚におろすように包丁を入れ、切った面に賽の目状に切り目を入れる。そして、両手で皮を押して果肉を反り返すと花のような形になる。宮崎県産マンゴーは、1985(昭和60)年に宮崎県西都市で栽培が始まったとされている。元々、宮崎県産マンゴーは、どちらかと言えばマイナーなフルーツであったが、2007(平成19)年にタレントであった東国原英夫が県知事に就任して以来、宮崎県産マンゴーの名前は全国に広まり、高級フルーツとして定着した。最高級の完熟マンゴーとされる「太陽のタマゴ」は、糖度15度以上という厳しい基準をクリアしたことを証明するブランドである。「太陽のタマゴ」には、最上級のAA品(赤秀品)、それに次ぐA品(青秀品)の2種類の等級がある。「太陽のタマゴ」は、宮崎で収穫される完熟マンゴーの中でも約15%程度で、最上級のAA品は、僅か約5%程度という、希少なマンゴーである。 
子どもニコニコ笑顔育の日。
神奈川県逗子市逗子に所在する、未来を担う子どもの笑顔を育むために、笑顔の大切さを伝える活動を行なう企業、株式会社笑顔育が制定。日付は、5月25日の「5」と「25」で、「子ども(こ[5]ども)ニコ(25)ニコ」と読む語呂合わせから。笑顔育とは、笑顔は育てるものとの考えから、笑顔に対する興味と関心を高め、必要な知識の習得、笑顔を実践をすることができる人を育てる教育活動のこと。記念日を通して食育、知育に並び、笑顔育として、社会におけるコミュニケーション能力の育成にも繋がる笑顔を、多くの子ども達に身に付けてもらうことが目的。株式会社笑顔育は、笑顔を育む「笑顔トレーニング講習会」「笑顔育 講演会」「笑顔スペシャリスト検定講座」「笑顔トレーナー資格認定講座」等を開催している。