5月25日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4土曜日 旧暦  4月18日、先負(己丑)、月齢 17.0 
グレゴリオ暦で年始から146日目、年末まであと220日。
誕生花 ユズ(柚子)・パンジー・ラナンキュラス・アスパラガス。

広辞苑初版発行の日/広辞苑記念日。
1955(昭和30)年5月25日、言語学者・文献学者の新村出が編集した『広辞苑』(岩波書店[文芸・学術の幅広い分野における専門書から一般啓蒙書までを広く扱う大手出版社]発行)の初版が出た。『広辞苑』は、1935(昭和10)年に博文館(明治時代には富国強兵の時代風潮に乗り、数々の国粋主義的な雑誌を創刊すると共に、取次会社・印刷所・広告会社・洋紙会社等の関連企業を次々と創業し、日本最大の出版社として隆盛を誇ったが、現在では、博文館グループの株式会社博文館新社、及び株式会社博友社として存続している)より発行された『辞苑』を改訂したものであった。1945(昭和20)年の東京大空襲により、印刷所と倉庫が被災し、数千ページ分の活字組版と大量の印刷用紙が焼失するというできごともあり、改訂作業に20年もの期間と多大な労力が費やされた。編著者を始めとする関係者の労苦が実り、書名を『広辞苑』と改めて出版された。『広辞苑』は、初版以来長い歴史を誇り、百科事典も兼ねた国語辞典としてデビューして、版を重ねる毎に収録項目を増やしてきた。出版以来版を重ね、日本国内はもとより、世界の社会情勢や約3,000点の図版、地図等を収録し、百科事典も兼ねる働きを持っている。『広辞苑』初版の収録語数は約20万語、定価は2,000円であった。この当時、公務員の初任給が約8,700円、喫茶店のコーヒーは1杯50円程度であり、『広辞苑』は高額なものであったが、印刷が間に合わない程売れ、大ベストセラーとなった。 初版は14年間で約100万部。1991(平成3)年11月15日には第四版が発行され、さらに翌年の1992(平成4)年11月17日には、これを基にした『逆引き広辞苑』が発行された。『逆引き広辞苑』には、見出し語のみで語義は掲載されていないが、言葉を最初の文字からではなく最後の文字から引くという独特さ、詩作の際の押韻やクロスワードパズル等の言葉遊びにも利用可能な点が話題を呼んだ。1998(平成10)年11月11日に発行された第五版では23万余語を収録。累計発行部数は、初版から第五版までで約1,140万部、第六版は2009(平成21)年6月時点で約37万部。中型国語辞典では売上げ1位を誇る。発行部数のピークは、1983(昭和58)年12月発行の第三版であった。2008(平成20)年1月11日に発行された第六版は、24万余語が収録される。製本の際に薄くて丈夫な新しい紙を作るために、紙にはチタン(強い耐食性を持つ原子番号22の元素)が入っている。また、チタンを入れることで、薄くても透けない効果がある。1998(平成10)年11月11日に発行された第五版より、ページ数が約60ページ増え、厚さでは僅かに薄くなったが、チタン入りのため重くなった。第六版の発行に際しては、第五版に掲載された全23万語の見出しと説明文を、縮小コピーした駅貼りポスターの作成や、実用(カジュアル)衣料品の生産販売を一括して展開するユニクロと提携して、挿絵の図案をあしらったTシャツを販売する等の販売戦略を行なった。そのこともあって、2009(平成21)年6月時点で、第六版の発行部数は、当初目標の22万冊を大きく上回っている。この販促手法が評価され、岩波書店は、第1回日本マーケティング大賞を出版業界で唯一受賞している。累計部数は1,000万部を超え、携帯機器に電子辞書の形で収録されることも多い。『広辞苑』は、時事用語を多く扱う事典である『現代用語の基礎知識』『イミダス』『知恵蔵』のように、新語が毎年追加される性質の書籍でないことから、改版時に採用される新語にあっては、その言葉が一般的に日本語として定着しているかどうかの目安とされることがある(例:フリーター、着メロ等)。1980年代初頭に流行した「ナウい」は、2008(平成20)年改訂の第六版において収録された。逆に、「猛暑日」は、2007(平成19)年4月1日より気象庁が使用を開始したかなり新しい用語であるが、「今後は頻繁に使われるであろうと判断したため」、2008(平成20)年の第六版で収録された。また、第二版刊行時に約2万項目を削除し、新たに約2万項目を追加した。これは、初版で多く収録されていた、古代中国の漢文用語や国史の古典用語を整理したためである。なお、第六版では、「上高森遺跡」(宮城県栗原郡築館町[現在の宮城県栗原市]にあり、前期旧石器時代のものとされた遺跡)の捏造が発覚したため削除された例等、新たな事実判明・発覚での改変も行なっている。日本人の人名は、物故者(故人)の掲載のみに限定し、存命の人名については掲載していないが、他の国語辞典もほぼ同様の処置を取っている。新村出は、「近代言語学の父」とも称されるスイスの言語学者・言語哲学者、フェルディナン・ド・ソシュールの言語学の受容や、戦国時代から江戸時代、更には、明治の初め頃まで使われていた日本語(古語口語)であるキリシタン語の資料研究等を行なった日本人の草分けである。終生、京都に在住して辞書編纂に専念し、1955(昭和30)年に初版が発刊された『広辞苑』の編纂者・著者として知られる。次男のフランス文学者・言語学者・国語辞書編纂者、新村猛が、この共同作業に当たった。新村出は、エスペランティスト(ユダヤ系ポーランド人の眼科医・言語学者、ルドヴィコ・ザメンホフが考案した人工言語エスペラントで、「エスペラントを知り、使用する者」)でもあった。1908(明治41)年にドレスデン(現在のドイツ中東部に所在)で行なわれた第4回世界エスペラント大会には、日本政府代表として日本エスペラント協会(JEA)代表の黒板勝美と共に参加している。1956(昭和31)年には文化勲章を受章。1967(昭和42)年の死去時に賜銀杯(勲功・栄誉を顕彰するために贈られる杯)一組。新村出の業績を記念して、その死後15周年に当たる1982(昭和57)年から、優れた日本語学や言語学の研究者や団体に対し、毎年「新村出賞」が授与されている。出版社や新聞社等の隠語に、あやふやな言葉の用法があったりすると「ニイムラさんに聞け」と促すものがある。意味は、「ちゃんと広辞苑を引いて調べろ」で、「ニイムラさん」とは新村出のことに他ならない。正しくは「シンムラさん」であるが、そこを間違っているのはご愛嬌である。新村猛は、反ファシズム運動に関わったことから、1937(昭和12)年11月に「治安維持法((大正14年4月22日法律第46号)」違反で逮捕され、2年間の獄中生活を送る。釈放後、失職中であったため、父の新村出が1935(昭和10)年から編纂を進めていた国語辞書『辞苑』の改訂作業に、1940(昭和15)年より参加する。1967(昭和42)年に父が没して以後は、『広辞苑』の辞書改訂を引継いだ。傍ら、名古屋大学文学部教授に迎えられ、フランス文学を講じ、主に美学、芸術の研究で知られるフランスの哲学者・美術批評家・作家、ドゥニ・ディドロや、理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持ったフランスの作家、ロマン・ロラン等を翻訳している。