5月23日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1180年 - 伊豆国の蛭ヶ小島(現在の静岡県東部、伊豆半島北部に所在)に流されていた源頼朝が、以仁王の平氏追討の令旨(皇族の命令)を伝えられる。第77代天皇、後白河天皇の第三皇子で、幼少から英才の誉れが高く、学問や詩歌、特に書や笛に秀でていた以仁王は、家柄も良く、皇位継承において有力候補であったが、異母弟である憲仁親王(後の第80代天皇、高倉天皇)の生母で、日本初の武家政権を樹立した平氏一門の出身でもあり、権勢を誇った平滋子(建春門院)の妨害に遭って阻止されたという。長年知行してきた領地を没収されたこと等から、平氏討伐を決意した以仁王は、源氏の長老として中央政界に留まった清和源氏(第56代天皇、清和天皇の皇子や諸王を祖とする源氏氏族)の1人、源頼政が平氏の専横への不満の高まりを受け、挙兵を計画したこともあり、平氏追討の令旨を全国に雌伏する源氏に発し、平氏打倒の挙兵・武装蜂起を促す。しかし、準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と源頼政は敗死し、早期に鎮圧される。ただ、これを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱で、平氏政権の崩壊を招く治承・寿永の乱が始まる。
1213年 - 和田合戦。鎌倉幕府の有力御家人(鎌倉殿[鎌倉幕府]と主従関係を結び従者となった武士)であった和田義盛が、鎌倉幕府の政務を統轄していた執権北条氏を打倒するため将軍御所を襲撃し、鎌倉で市街戦を展開する。合戦は2日間に亘って続くが、将軍源実朝を擁し、兵力に勝る幕府軍が圧倒し、和田一族は力尽き、和田義盛は敗死する。
1430年 - 百年戦争: 後にフランスの国民的ヒロインとなるジャンヌ・ダルクが、フランス中北部で行なわれたコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ公国(14世紀から15世紀のフランス東部からドイツ西部にかけて存在した国)軍に捕えられる。
1498年 - フィレンツェ共和国(かつてイタリア北部に存在した国)で神権政治を行なったカトリック修道士、ジロラモ・サヴォナローラが、ローマ教皇アレクサンデル6世の命により処刑される。
1568年 - オランダがスペインからの独立を宣言。八十年戦争(オランダ独立戦争)が勃発する。
1618年 - 第二次プラハ窓外投擲事件。ボヘミア(現在の中央ヨーロッパに位置するチェコ)にあるプラハ城(現在のチェコの首都プラハの大統領府のある場所)を襲った民衆によって、王の使者である国王顧問官2名と書記の3名が、城の三階の窓から地面に投げ落とされる。これが、三十年戦争と呼ばれる神聖ローマ帝国(現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家)を舞台として、約30年に亘って戦われた戦争の発端となる。
1701年 - スコットランド西部生まれの私掠船(戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船)の船長、ウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)が、海賊行為等を行なったとして罪に問われ、イギリスの首都ロンドンで絞首刑に処せられる。その後、ウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)を称えるバラッド(イギリス等で伝承されてきた物語や寓意のある歌)が多数制作される。また、ウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)は、逮捕される前に財宝を埋蔵したとされ、各所にその候補地とされる場所がある。さらに時代が下がると、日本の南西諸島(トカラ列島に浮かぶ宝島)やアメリカの太平洋岸、フィリピン等、ウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)自身が足を延ばしていない場所も、隠し財宝の候補地に加えられる。17世紀から18世紀の海賊達に関しては、孤島、海浜等の環境下に財宝を隠したという話自体は事実とされる。海賊達の乗っていた船が島等に難破する(インド洋では、船が難破する確率が非常に高かった)、或いは、新たな略奪行為を行なう際に、既に略奪してきた財宝を消費する場所がない場合に一時的に、という状況下では、財宝を隠す行為も行なわれていたと考えられる。
1706年 - スペイン継承戦争: ラミューの戦い。
1788年 - サウスカロライナ州がアメリカ合衆国憲法を承認し、アメリカ合衆国8番目の州となる。
1819年 - 南アメリカ北部に位置するベネズエラ生まれの軍人で革命家、シモン・ボリバルがアンデス山脈(主に南アメリカ大陸の西側に、南北約7,500kmに亘って聳える山脈)越え作戦を開始。
1870年 - 明治政府が鉄道敷設の為、イギリスの首都ロンドンで初の外債(発行市場、発行体、通貨のどれかが外国である債券)を発行する。
1872年 - 第122代天皇、明治天皇が第1回地方巡幸(天皇が各地を見回って歩くこと)に出発する(大阪、中国、四国、九州方面)。明治天皇は、頻繁に各地へ行幸(天皇の出行)したが、これは、国家形成期における民情視察に名を借り,君主たる天皇の存在を、広く民衆に周知させようとしたものに他ならない。その背後には、当時、天皇の存在が、日本人一般に知られるところでなかったことがある。
1889年 - 四国初の鉄道となる、讃岐鉄道の丸亀駅 - 琴平駅間(現在の四国旅客鉄道[JR四国]予讃線と土讃線の原型)が開業。古くから海上・陸上交通の要所として栄えた多度津港(現在の香川県仲多度郡多度津町に所在)から、金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社で、「こんぴらさん」と呼ばれ、古くから親しまれている)へ向かう参拝客の輸送を目的に設立された讃岐鉄道は、1904年には、兵庫県神戸市中央区の神戸駅から、福岡県北九州市門司区の門司駅までを、瀬戸内海に沿って結ぶ鉄道路線(幹線)、山陽本線を建設した山陽鉄道に買収され、その後の1906年には「鉄道国有法(明治39年3月31日法律第17号)」に基づいて、山陽鉄道が国有化されたため、国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)線となる。以後、国はこの路線を元に、四国各地へ鉄道を延ばしていくことになる。
1915年 - 第一次世界大戦: イタリアがオーストリア・ハンガリー(中央ヨーロッパに位置する現在のオーストリアやハンガリー等、多くの地域を抱える大国)に宣戦布告(ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアによる秘密軍事同盟、三国同盟を破棄して連合国側で参戦したもの)。
1915年 - 作曲家・指揮者、山田耕筰のオーケストラ「東京フィルハーモニー会」管絃楽部が第1回演奏会を開催。この「東京フィルハーモニー会」は、1916年2月には瓦解している。現存している日本最古のオーケストラ、東京フィルハーモニー交響楽団は、この「東京フィルハーモニー会」とは別の組織である。
1915年 - 東京駅 - 東京鉄道郵便局(東京府東京市麹町区丸の内[現在の東京都千代田区丸の内]にかつて存在した、全国から輸送されてくる郵便物の継越事務を行なう専門局)間に、郵便物受渡用の地下電車が開通する。これが、日本初の地下鉄とされる。
1919年 - 哲学者・倫理学者・文化史家、和辻哲郎の旅行記『古寺巡礼』が発刊される。日本的な思想と西洋哲学の融合、或いは、止揚(否定と保存の両面を併せ持つ言葉で、2つの矛盾・対立する事象、立場を統合統一し、より高次な段階へと導くことを意味する)とでもいうべき境地を目指した、稀有な哲学者と評価される和辻哲郎は、1917年に奈良を旅行し、古寺を巡ったが、その旅行の印象記が『古寺巡礼』で、後に数多くの人が、この『古寺巡礼』をバイブルとして奈良を訪れるようになる。