5月22日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

サイクリングの日。
東京都品川区上大崎に本部を置く公益財団法人日本サイクリング協会が、創立45周年記念事業として2009(平成21)年4月20日に制定した。「スポーツ振興法(昭和36年6月16日法律第141号)」で、サイクリング奨励が定められたことをきっかけに、1964(昭和39)年5月22日、サイクリング普及のための団体として、日本サイクリング協会が文部大臣(現在の文部科学省の前身の1つで、教育政策、学術政策、スポーツ政策、文化政策等を所管していた行政官庁、文部省の長)から設立認可を受け、任意団体から財団法人になったことを記念した日。なお、「スポーツ振興法」は後に全部改正され、「スポーツ基本法(平成23年6月24日法律第78号)」となっている。「スポーツ振興法」が、1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の開催を控えて制定され、施設整備等に主眼が置かれていたのに対し、「スポーツ基本法」では、スポーツに関する基本理念や、スポーツに関する施策の基本となる事項が定められている。サイクリングは、日本語では特に、レクリエーション、スポーツとして自転車に乗り、陸上を移動することを指す。スポーツとしての長距離サイクリングや自転車旅行を、ツーリングと呼ぶこともある。サイクリングの形態により、様々なタイプの自転車が考案されており、道具を選び、道具を楽しむという側面もある。1870年代後半、イギリスで世界最初のサイクリング同好者の組織が誕生し、日本でも、1886(明治19)年に結成された帝国大学(現在の東京大学の前身)の教員による「自転車会」を嚆矢(物事の始まり)として、自転車クラブが設立されるようになる等、世界的にサイクリングが普及していった。日本では、自転車が当初、富裕層の娯楽として受入れられ、大正期に普及が本格化すると、業務や家庭の実用に供された。1935(昭和10)年に本格的なスポーツ車が作られ始めるが、第二次世界大戦により、この流れは一旦途絶える。第二次世界大戦後、1950年代頃からサイクリングが、野外での健康的なスポーツとして認識され始め、全国各地に同好クラブが設立されるようになった。特に、1954(昭和29)年、荷物を載せるための運搬車ではなく、人が乗るだけの軽快車やディレーラーを備えたスポーツ車が現れるようになり、サイクリングが流行した。これを受けて、ベテランサイクリストらにより、日本サイクリング協会が結成され、ボランティアの普及活動が始まった。サイクリング向きの自転車は、生産量がまだ十分でなく高価であったため、貸自転車の利用が中心であり、指導者が不足したこと等から、短期間のブームに終わった(「第1次サイクリングブーム」)。1961(昭和36)年の「スポーツ振興法」の制定により、自転車旅行・サイクリングは、国民の健全なスポーツとして国が奨励するものとなった。1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)開催に向けてスポーツ自転車の研究が進み、第2次サイクリングブームが起こった。また、同じ1964(昭和39)年には、財団法人日本サイクリング協会(Japan Cycling Association, JCA)が発足した。1966(昭和41)年には、スポーツ車の需要急増に伴ない、生産が大幅に増加した。第1回の体育の日となったこの年の10月10日、国鉄(日本国有鉄道、現在の西日本旅客鉄道[JR西日本])大阪鉄道局が、大阪駅 - 相生駅間で初のサイクリング専用電車(サイクルトレイン)を運行した。その後、東京でも同様の列車が運行された。翌1967(昭和42)年10月10日には、日本で初めてのサイクリング用道路、神奈川県青少年サイクリングコース(金目川サイクリングコース)が開通した。1970(昭和45)年に「自転車道の整備等に関する法律(昭和45年4月3日法律第16号)」が成立し、自治体と河川管理者等の協力によってサイクリングロードが建設されるようになり、太平洋岸自転車道のような長大な自転車道も構想された。この頃、日本の自転車産業では、自転車旅行(ツーリング)向きの自転車の生産が盛んで、また、ブリヂストン・ロードマン(自転車メーカー、ブリヂストンサイクルから販売されていた入門者向けスポーツ自転車)に代表される「サイクリング車」が好評を博した。ブリヂストン・ロードマンは、ドロップハンドル(空気の抵抗を考えて作られた、競技用やサイクリング用の下に大きく曲がった自転車のハンドル)の本格的スポーツ用自転車へ目を向けさせるきっかけになり、ブリヂストンサイクルの歴史を代表する名車種として知られる。なお、一方で、少年向け人気自転車という分野は、少年用スポーツサイクル‎という一種独特の車種を作ることにもなった。西瀬戸自動車道は、本州四国連絡道路(本州と四国を連絡する有料道路の一般国道)の3ルートの内、西に位置する尾道・今治ルートを成す道路である。広島県尾道市の尾道福山自動車道(国道2号松永道路)西瀬戸尾道ICを起点とし、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島等を経て、愛媛県今治市の今治ICに至る、延長59.4kmの高規格幹線道路(国道317号の自動車専用道路)である。略称は西瀬戸道であるが、西瀬戸自動車道周辺地域振興協議会が公募した愛称である「瀬戸内しまなみ海道」、又は、単に「しまなみ海道」と呼ばれることが多い。「しまなみ」の呼称は、本道路の開通後、広島県東部や愛媛県北部の複数の団体・企業等の名称に用いられている。広島県尾道市にある自動車専用橋梁である新尾道大橋を除き、尾道から来島海峡大橋(愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋)までのルートには、歩行者、自転車、原動機付自転車(125cc以下の自動二輪車を含む)の専用道路(広島県道466号向島因島瀬戸田自転車道線・愛媛県道325号今治大三島自転車道線)が併設されている。新尾道大橋と並行して架かる尾道大橋を通行することにより、本州・四国間の瀬戸内海をサイクリングしまなみ徒歩で渡ることが可能となっている。この自転車や原付が通れる原自道は、生活道路を求める地元住民の要望によって建設されたもので、先に完成した本州四国連絡橋の神戸淡路鳴門自動車道と瀬戸中央自動車道にはないものである。海上を自転車で渡ることができる珍しい道路であることから、サイクリストや自転車愛好家には、特に人気の高いルートであり、地元住民だけでなく、遠方からの自転車旅行者が多い。定期的にサイクリングイベントが行なわれ、国際的な注目も集まったことから、2014(平成26)年10月には国際サイクリング大会、サイクリングしまなみ(高速道路を閉鎖し、サイクリングコースとして使用するのが特徴であり、定期的に開催されるサイクリング大会では日本で唯一である)が開催され、その後は2年に1度開催されている。サイクリングロードとの連携を、企業活動や観光に利用する場合がある。近畿日本鉄道(近鉄)の子会社で、岐阜県西部と三重県北部を走る養老線(揖斐川流域西側を縦断する路線で、岐阜県と三重県を直結する唯一の鉄道路線でもある)を運営する鉄道会社、養老鉄道では、沿線にサイクリングロードが多数存在することもあり、自転車を解体することなく、列車内に持込むことができるというサイクルトレインを実施し、サイクリングコースについての情報提供も行なっている。養老鉄道でのサイクルトレインは、養老線の起点となる桑名駅を除く、播磨駅(桑名駅の次の駅) - 揖斐駅間で、平日の9時頃から15時頃、土・休日の終日、春・夏・冬休み期間中の9時頃から17時頃で実施されており、持込み料は無料となっている。
M22 IPLの日。
東京都港区六本木に本社を置く、レーザー等の技術を利用した医療機器の輸入・販売等を手掛ける企業、ルミナス・ビー・ジャパン株式会社が制定。医師の診断の下、特殊な光を照射して肌を治療するIPL(Intense Pulsed Light)治療器「M22」は、薬事承認を得た美容治療に使われる医療機器。IPL治療は、施術を受けてから通常の生活に戻るまでのダウンタイムが短いとされる治療であるが、医療機器のため、リスクがゼロではない。「M22」を用いた、より安全でより効果的なIPL治療について、知ってもらうことが目的。日付は、「M22」の「M」を英語の「May」から5月として、「22」から22日と読んで、5月22日を記念日としたもの。代表的な美肌治療の1つであるフォトフェイシャルは、IPLという肌にやさしい光を顔全体に照射して、シミ・くすみ・赤ら顔・小じわ・毛穴の開き等、様々な肌トラブルを改善する。マイルドな治療なので、複数回繰返すことでより効果が実感できる。さらに、コラーゲンを作り出す繊維芽細胞の働きを活性化させるため、内側からキメの整ったハリのある素肌に導く。施術時間も短く、肌へのダメージも少ないので、終わってすぐに洗顔やメイクが可能なことも特徴である。