5月19日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ごとぐるの日。
神奈川県藤沢市羽鳥で、冷凍自販機により、全国の隠れたご当地グルメを発掘して届けるサービスを行なっている冷凍ご当地グルメ専門店、株式会社ごとぐるが制定。手間暇かけて丁寧に育てた日本各地のご当地グルメの美味しさと魅力を再認識してもらい、1つでも多くの国産食材を食べることで全国の生産者を応援し、日本の豊かな食文化を未来に残すことが目的。日付は、ご当地グルメを略した「ごとぐる」の社名に因んで、「ご(5)とう(10、十)ちぐ(9、九)るめ」の語呂合わせから5月19日に。日本全国にある、まだ知られていないご当地グルメを発掘し、届ける。それが株式会社ごとぐるである。確かな技術。負けない情熱。強い信念。そして、それが生み出す、本物の美味しさ。日本には、こんなすばらしい生産者が、沢山いる。けれど、手間暇掛けるから、大量には作れない。小さな農場なので、販路がない。こうした困っている生産者をサポートし、ずっと作り続けられるように応援したい。そして何より、本気・本物の商品を、もっと多くの顧客に食べてもらいたい。そんな想いから、株式会社ごとぐるは生まれた。生産者から顧客へ、そして、大切な人へ。株式会社ごとぐるは、食を通して人を結び、幸せの和を広げていく。株式会社ごとぐるは、ご当地グルメを販売する冷凍自販機「ごとガチャ(ご当地グルメガチャ)」を設置しており、「大人のご褒美シリーズ」として「和牛ガチャ」や「海鮮ガチャ」「馬刺しガチャ」「近江牛ガチャ」「幻の珍味ガチャ」等がある。生産者との直接取引であるからこそ生まれる特別な商品や、一般に流通しづらい希少なもの、量産できないもの等を届けている。魂込めて美味しいものを育てている日本全国の生産者達をもっと応援したい。日本の豊かな食文化を未来に残したい。「ごとガチャ」は、そんな想いから生まれている。
小諸・山頭火の日。 
1926(昭和11)年5月19日、俳人の種田山頭火が長野県北佐久郡小諸町(現在の長野県小諸市)の旅館『中棚荘』(当時は『中棚鉱泉』)に投宿した。その日の日記に、「熱い湯に入れて酒が飲めるのがいい」と記載していることから『中棚荘』(長野県小諸市古城乙に所在)が制定。『中棚荘』敷地内には、種田山頭火の句碑も建てられている。1882(明治15)年、種田山頭火は、山口県佐波郡西佐波令村(現在の山口県防府市)で、大地主、種田家の長男として生まれた。しかし、父親が経営する種田酒造場の破産や身体と精神の不調等、数々の苦難の末、生涯を酒と放浪の内に過ごした。俳句を愛した種田山頭火は、1940(昭和15)年に愛媛県松山市で亡くなるまで、全国各地を歩いて旅をしながら数多くの俳句を作った。昭和の芭蕉とも呼ばれ、定型に縛られない自由律俳句の代表とされている。山口県防府市内には山頭火の生家跡があり、JR防府駅てんじんぐち(北口)前には、種田山頭火の銅像が建てられている。また、防府市内各所に種田山頭火の句碑が80基以上建てられていて、句碑巡りを楽しむことができる。「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」。種田山頭火は、晩年の日記にそう記した。その時には、既に無一文の乞食であった。その境遇は、種田山頭火自らが望んだものであったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記を付け続けた。放浪日記は、1930(昭和5)年以降が存在する。それ以前も記していたが、自ら焼却した。その生涯には不明な部分も多いが、俳句以外で自らを語ったことが少なく、親しい者でも種田山頭火の経歴の多くを知らなかった。死後になり、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水(季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した俳人)門下の俳人、尾崎放哉と並び称される。種田山頭火と尾崎放哉は、共に酒癖によって身を持ち崩し、師である荻原井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の尾崎放哉に対し、種田山頭火の句は「動」である。なお、「山頭火」とは、納音(なっちん、十干[甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素からなる集合]と十二支[子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称]を組合わせた、60を周期とする数詞、六十干支を、陰陽五行説[古代中国の宇宙観、世界観で、陰陽説と五行説が結合したものであり、陰陽説は、宇宙の現象事物を陰と陽との働きによって説明する二元論、五行説は、万物の根源を木火土金水の5元素に置き、それらの関係、消長によって、宇宙は変化するという自然論的歴史観となり、天文,暦法,医学等に影響を与え、日本に入って大きな影響を与えた]や中国古代の音韻[漢字の音と韻で、漢字音の子音である声母と、漢字音の頭子音を除いた後の部分である韻母のこと]理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したものとなっており、生れ年の納音によってその人の運命を判断する)の1つであるが、種田山頭火の生まれ年の納音は、「山頭火」ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で、字面と意味が気に入った物を選んだだけ、と荻原井泉水が主宰する新傾向俳句誌『層雲』の中で、種田山頭火自身が書いている。因みに、荻原井泉水の俳号も、納音から付けられているが、実際の生年によるものではなく、音の響き等で選んだものである。『中棚荘』は文学の宿として知られ、ロマン主義(感受性や主観に重きをおいた精神運動)詩人から代表的な自然主義(自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定するもの)作家となった島崎藤村ゆかりの宿でもあり、10月30日を「初恋の日」としている。1896(明治29)年、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として、日本の近代詩を代表する傑作と言われている初恋の詩を発表した。『こひぐさ』は、1897(明治30)年に刊行された島崎藤村の処女詩集『若菜集』に収録されている。島崎藤村ゆかりの文学の宿「中棚荘」は毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等のイベントを行なっている。島崎藤村は、1899(明治32)年に私塾(民間の教育機関)、小諸義塾の英語教師として長野県北佐久郡小諸町(現在の長野県小諸市)に赴任し、以後約6年過ごしている。1893(明治26)年、高等小学校(第二次世界大戦勃発前の時代に存在した、後期初等教育・前期中等教育機関で、現在の中学校の前身に相当する)を卒業した青年の勉学の場の必要性を痛感した、佐久地方(長野県の東部、東信地方の東側地域)の代議士早川権弥が、キリスト教牧師・教育者の木村熊二を小諸に招いて開校した。木村熊二は、牧師として島崎藤村に洗礼を施したことで知られ、後に島崎藤村を小諸義塾の教師に招いている。福音主義(イエス・キリストの伝えた福音[教え]にのみ救済の根拠があるとする思想)信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えたキリスト教指導者で評論家、内村鑑三らが講演会を開き、島崎藤村の他、洋画家の三宅克己(島崎藤村とは明治学院[日本最古のキリスト教主義学校で、現在の明治学院大学の前身となっている]の2年後輩で、島崎藤村が英語・国語教師をしていた小諸義塾で、島崎藤村の赴任と相前後して美術講師と赴任している)、水彩画家の丸山晩霞(小諸義塾の水彩画教師となり、島崎藤村と交友した)、物理学教師の鮫島晋(酒好きで純朴、誠実で不器用な人柄で、教師の仕事に熱心であり、島崎藤村の写生文[写生によって、物事をありのままに書こうとする文章]『千曲川のスケッチ』や短編小説『貧しい理学士』等に描かれた)らが教鞭をとり、日本の民俗学研究にあって、その初期に大きな影響を与えた農商務官僚(農商務省[現在の農林水産省と経済産業省の前身]の官僚)・民俗学者の柳田國男、洋画家の有島生馬(後に、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の装丁も手掛け、島崎藤村が没した際は、有島生馬が葬儀委員長を務めた)らも訪れた。小諸義塾の運営は主に、生徒の月謝と、町議会・郡議会からの補助金で運営したが、1905(明治38)年に島崎藤村が退職し、その翌年、1906(明治39)年には、財政難により閉校した。校舎は、小諸町立小諸商工学校(現在の長野県小諸高等学校、及び長野県小諸商業高等学校)に転用された。 
ガールスカウト週間。
1947(昭和22)年5月22日、第二次世界大戦で中断されていた、日本のガールスカウト運動の再興を目指して、準備委員会が発足したことを記念し、ガールスカウト日本連盟が制定した「ガールスカウトの日」、5月22日を含む、5月19日から5月25日までは、「ガールスカウト週間」とされている。東京都渋谷区西原に本部を置く公益社団法人ガールスカウト日本連盟は、日本においてガールスカウト運動を普及させることで、少女と若い女性が、自分自身と他の人々の幸福と平和のために、責任ある市民として、自ら考え、行動できる人となれるようにすること、を目的としている。なお、認可ガールスカウトは、国際的規模でスカウト運動と呼ばれる団体活動を展開している、少女のための教育団体の名称である。
ウォークラリーの日。
5月第3日曜日。東京都台東区台東に事務局を置く、レクリエーション活動を推進し、全国レクリエーション大会等を開催している団体、日本レクリエーション協会(1948[昭和23]年に財団法人化され、2011[平成23]年には公益財団法人となっている)が制定。ウォークラリーとは、交差点や分岐点だけが記載された「コース図」を辿り、途中のチェックポイントで出題される問題を解きながらグループで歩き、時間得点と合計点で競う野外ゲームである。1984(昭和59)年には、日本レクリエーション協会の呼掛けで、各都道府県や市区町村のレクリエーション協会等の主催による第1回全国一斉ウォークラリー大会が開催された。現在では、日本レクリエーション協会内にウォークラリー委員会が設置され、多方面への普及活動が行なわれている。
ノー行事デイ。
青森県では、1999(平成11)年9月1日に「青森県家庭の日及びノー行事デイを定める要綱」を制定し、毎月第3日曜日を「家庭の日」としている。青森県が2000(平成12)年から実施している取組みで、「家庭の日」は、家庭が青少年の健全な育成を図る上で、大切な役割を担っていることから、家庭づくりについて家庭内で考え、話合い、楽しみ合い、協力し合う日としている。また、毎年5月を家庭の日普及強化月間とし、その第3日曜日を「ノー行事デイ」としており、青森県ではこの日、家族で過ごす時間を充実させるために、県や市町村でなるべく行事を行なわないようにしている。
ごちポの日。
5月第3日曜日。アメリカ合衆国西部、コロラド州デンバーに本部を置き、アメリカ産食肉の販売促進・広報宣伝活動、レシピや安全性に関する情報提供等を行なっている団体、米国食肉輸出連合会(USMEF)が制定。日付は、本格的な梅雨が始まる前の週末に、栄養価の高いアメリカン・ポークを食べて、元気に夏を乗切って欲しい、との思いから、5月の第3日曜日とした。「ごちポ」とは、「ごちそうポーク」のことで、軟らかくてジューシーで、旨み成分たっぷりなアメリカン・ポークの美味しさ、安全性等をより多くの人に知ってもらい、親しみを感じてもらうことを目的としている。この日を中心に、アメリカン・ポークを買って応募できるキャンペーンが実施されている。アメリカン・ポークは、「Farm to Table(農場から食卓まで)」という理念に基づいて、生産されている豚肉で、生産者から始まって、食肉加工業者、政府のそれぞれが独立した立場と基準で豚肉の安全衛生管理を行ない、生産から流通まで、全ての過程で高い安全性を確保している。