5月18日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1152年 - 約2ヶ月前にフランス王ルイ7世と離婚したばかりのアリエノール・ダキテーヌが、アンジュー伯アンリ(後のイングランド王ヘンリー2世)と結婚する。かつて、フランス南西部に所在した地域圏、アキテーヌの君主の家柄に生まれたアリエノール・ダキテーヌは、その子孫が各地の君主、及び妃となったことから「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる。
1268年 - マムルーク朝(現在のエジプトを中心とするイスラム王朝)スルターン(君主)のバイバルス・アル=ブンドクダーリーが、アンティオキア公国(現在の中東・西アジアに位置するシリア北部にあった王国)を滅亡させる。
1584年 - 長久手の戦い。羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍と徳川家康・織田信雄連合軍との間で行なわれた全国規模の戦役、小牧の役の中の一戦で、この合戦は徳川家康軍の勝利に終わる。小牧の役は、尾張国(現在の愛知県西部)北部の小牧城、犬山城、楽田城を中心に、尾張国南部、美濃国(現在の岐阜県南部)西部、美濃国東部、伊勢国(現在の三重県北中部等)北部、紀伊国(現在の和歌山県、三重県南部)、和泉国(現在の大阪府南西部)、摂津国(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の各地で合戦が行なわれる。また、この合戦に連動した戦いが北陸、四国、関東でも起きている。徳川家康・織田信雄連合軍は、長久手の戦いで戦術的勝利を収めたが、戦略的には、美濃国、伊賀国(現在の三重県西部、伊賀市と名張市)、伊勢国南部における織田信雄の影響力を排除した羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍が勝利を収め、天下の趨勢は羽柴秀吉(豊臣秀吉)政権の確立へと進んでいくこととなる。
1729年 - 天一坊事件。江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の落胤(身分の高い男が、正妻以外の身分の低い女に生ませた子)と偽っていたが、勘定奉行の稲生正武に見破られ、みだりに浪人を集めたとして捕らえられた、山伏の天一坊改行が処刑される。この事件は、後に『大岡政談』(大岡越前守忠相が江戸南町奉行として活躍した物語)に取入れられ、大岡越前守忠相の名裁きの1つとされたが、町奉行支配地外での事件のため、大岡越前守忠相は、この事件に全く関与していない。それでも、江戸時代末期には、講談師で、「天一坊伯山」と呼ばれる初代神田伯山の『大岡政談天一坊』が大評判となり、歌舞伎の題材にも取入れられて、『天一坊大岡政談』となる。近現代でも、いわゆる「大岡裁き」の代表的なものとして、小説、映画、テレビドラマ等の題材となっている。
1756年 - 七年戦争が勃発する。七年戦争は、1756年から1763年にかけての中部ヨーロッパの内陸に位置するオーストリアとプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)の対立を軸に、オーストリアはフランスやロシア等と、プロイセン王国はイギリス等と結び、全ヨーロッパに広がった戦争で、この戦争に関連して同期間に、北アメリカ,インドの両植民地で、イギリスとフランスの戦争 (フレンチ・アンド・インディアン戦争) も勃発している。戦争の結果、イギリスの飛躍とフランスのヨーロッパにおける優位性の喪失、オーストリアの神聖ローマ帝国(現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家)内での権威低下を招き、多くの列強は、フランス以上にイギリスが強大な国力を持つと考え始め、ヨーロッパの勢力均衡を変える結果となる。 
1775年 - 大陸海軍(アメリカ13植民地の海軍)が、小型戦闘用帆船、初代『エンタープライズ』を『ジョージ』という艦名で取得する。『エンタープライズ』という艦名は、「冒険心」「困難への挑戦」といった意味を持つ。その名を受継いだ艦としては7隻目に当たる、アメリカ海軍の航空母艦(空母)『エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)』は、排水量約2万tと、航空母艦(空母)としては中型でありながらも、その戦い振りから「ビッグE(偉大なE)」の愛称で親しまれ、第二次世界大戦対米英戦中に大小15回の損傷を受けながらも、高いダメージコントロール能力と幸運により、沈まず大戦を生き抜く。第二次世界大戦対米英戦中の主要な海戦のほぼ全てに参加して、数多くの戦果を挙げ、第二次世界大戦で最も多く勲章を受けたアメリカ海軍の軍艦となり、他に、大本営発表(日本軍[陸海軍]の最高統帥機関[軍隊を指揮監督する最高の権限をもつ機関]、大本営が行なった戦況の公式発表)によって、9度撃沈発表がなされており、敵国により行なわれた虚偽の撃沈発表回数において、史上最多の記録も持っている。 
1803年 - ナポレオン戦争: イギリスが、アミアンの和約(フランス革命戦争の講和条約)を破棄してフランスに宣戦。
1804年 - フランス上院が、ナポレオン・ボナパルトを皇帝に推挙する。
1811年 - ウルグアイ独立戦争: ラス・ピエドラスの戦い。
1848年 - 憲法制定を通じた自由主義的なドイツ統一を図り、その統一方式等を討議したフランクフルト国民議会が開会する。フランクフルト国民議会は、最終的には、オーストリア、プロイセン(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)といった有力君主国の支持を得られず頓挫している。
1863年 - 南北戦争: ビックスバーグの包囲戦が始まる。
1875年 - ククタ地震。南アメリカ北西部に位置するコロンビアの北部にあるククタで、マグニチュード(M)7.5の地震が発生。犠牲者の総数は不明とされるが、コロンビア北部と、東隣のベネズエラ西部で壊滅的な被害が出る。
1896年 - アメリカ合衆国最高裁判所がプレッシー対ファーガソン裁判で、「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」とする判決を出す。
1897年 - アイルランド人の作家、ブラム・ストーカーの長編小説『ドラキュラ』が発刊される。『ドラキュラ』は怪奇小説の古典で、いわゆる「吸血鬼もの」の定番となった作品である。「ドラキュラ」はルーマニア語で「竜の息子」を意味するもので、日本では「吸血鬼」の意味で誤用されることが多い。しかし、あくまでも小説の登場人物の固有名詞であり、吸血鬼全般を「ドラキュラ」と呼ぶことは間違いで、吸血鬼を表わす英語は「ヴァンパイア」である。ドラキュラのモデルは、15世紀のワラキア(東ヨーロッパに位置する、現在のルーマニア南部)公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ、ヴラド・ドラキュラ)とされているが、設定として使われているのは、「ドラキュラ」というヴラド3世のニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。ブラム・ストーカーは、終生アイルランドから出ることは無かったが、この地域について、地図や文献でよく調査している。イギリス出身の映画俳優で、怪奇映画の大スターとして名を馳せ、90歳を超えても生涯現役で活躍した名優、クリストファー・リーは、ドラキュラ映画初のカラー作品となり、ホラー映画史上屈指の傑作として名高いイギリス映画『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)で、獰猛なドラキュラを殺伐と演じて大好評を博し、ドラキュラ役は、半世紀以上を経過した現在でも語り継がれる、クリストファー・リーの当たり役となっている。因みに、吸血鬼が牙を着けることがポピュラーになったことや、唇を血で濡らしている描写が映像表現されたことは、この『吸血鬼ドラキュラ』(1958)での演出が由来である。
1899年 - ロシア皇帝ニコライ2世の提唱により、オランダ南西部にある事実上のオランダの首都、ハーグ(デン・ハーグ)で第1回万国平和会議(ハーグ平和会議)が開会される。7月29日まで。
1901年 - 労働運動家の片山潜、ジャーナリストで思想家の幸徳秋水らが、日本最初の社会主義政党である社会民主党を結成するが、直後の5月20日、政府により禁止処分を受ける。
1927年 - バス学校爆破事件。アメリカ合衆国中西部、ミシガン州のバスにある学校で爆破事件が発生。45名が死亡、58名が負傷する。アメリカ合衆国史上、学校で発生した大量殺人としては犠牲者数が最多となる。
1933年 - ニューディール政策(アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが、世界恐慌[1929年から1933年までの間、世界中の資本主義諸国を襲った史上最大規模の恐慌]を克服するために行なった一連の経済政策)の重要政策の1つ、テネシー川流域開発公社を設置する法律が成立する。
1936年 - 阿部定事件。東京市荒川区(現在の東京都中央区)で、男性が愛人であった鰻料理店の仲居に殺害される。