5月16日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0675年 - 第40代天皇、天武天皇が、日本で初めて肉食・狩猟を禁じる詔を発する。日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく、主に、狩猟で得たシカやイノシシの肉を食しており、仏教伝来以降は、獣肉全般が敬遠されるようになっていったが、日本人の間で、全く食べられなくなったという時期は見られない。獣肉食に関する嫌悪感も、時代と共に変わっていったが、概ね、狩猟で得た獣肉は良いが、家畜を殺した獣肉は駄目、そして、足が多い程駄目(哺乳類>鳥>魚)と考えられることが多かったが、これは、タコやイカは例外とされている。獣肉消費量が魚肉を上回るのは、第二次世界大戦後の1954年12月から1973年11月までの約19年間の時期とされる、高度経済成長期(日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期)より後のことである。飛鳥時代(6世紀末頃から7世紀末頃までの、飛鳥[現在の奈良県高市郡明日香村大字飛鳥周辺]に宮都が置かれていた時代)には、典籍(古代の図書)や仏教が入り、誰もが食して旨いと知っているものの例えから、誰もが知っていることを「膾炙」(原義は「なます」と「焙った肉」)という言葉もある程であったが、仏教では、動物の殺生が禁じられていることから、この影響で、肉食も度々禁じられるようになる。第40代天皇、天武天皇は、仏教の立場から檻阱(落とし穴)や機槍(飛出す槍)を使った狩猟を禁じ、農耕期間でもある4月から9月までの間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することが禁止される。しかし、以前より一般的な習慣として食べられていた鹿と猪は、獣肉であっても禁じられていない。鶏や豚の飼育も奨励され、貴族の間では、牛乳や乳製品の摂取が盛んになり、動物性たんぱく質が補われるようになる。鎌倉時代になると、武士が台頭し、獣肉に対する禁忌が薄まる。武士は、狩で得たウサギ、猪、鹿、クマ、狸等の鳥獣を食べた一方、坐禅修行を主とする仏教宗派、禅宗の影響で、動物性の材料を一切用いない精進料理も発達する。仏教の戒律(修行者の生活規律)に基づき、殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理である精進料理は、単なる植物食ではなく、「猪羹」等のように、獣食に見立てた料理もある。一方で、神社の物忌み期間中の獣食は厳しくなり、平安時代には禁止されていなかった、鹿や猪肉までもが禁令に含まれ、その期間も数十日程度にまで長くなっている。戦国時代になると、南蛮貿易(東南アジアから東アジアの海域にかけて行なわれた、日本の商人、南蛮人[ポルトガル人とスペイン人]、中国明朝時代の中国人、及びヨーロッパとアジアの混血住民との間での貿易)等を通じた食品の輸入が本格化し、この時代には、新大陸(南北アメリカ大陸)の食材ももたらされている。江戸時代には、建前としては獣肉食の禁忌が守られ、特に、上流階級はこの禁忌を守っている。獣肉食の禁忌のピークは、生類憐れみの令(犬、猫、鳥、魚類、貝類、虫類等にまで及んだ複数のお触れの総称)等が施された17世紀後半の元禄時代である。この法令自体は、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の治世に限られ、影響も一時のもので終ったが、特に、犬を保護したことについての影響は後世まで残り、中国や朝鮮半島で犬肉が一般的な食材になっている一方で、日本では、現代に至るまで、犬肉は一般的な食材と看做されなくなっている。明治時代になると、牛肉を食べることが文明開化(明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象)の象徴と考えられ、牛肉を使ったすき焼きが流行する。明治新政府は、発足当初から肉食奨励のキャンペーンを大々的に展開し、陸軍でも、日常で食される兵食や野戦糧食に、肉食・洋食が多く取入れられる。明治時代中期になると、家庭でも西洋料理が作られるようになり、明治時代後期に勃発した日露戦争のため、戦場食糧として、牛肉の大和煮缶詰や乾燥牛肉が考案され、軍隊で牛肉の味を覚えた庶民も増えている。第二次世界大戦対米英戦終戦後でも、日本人の動物性たんぱく源は魚肉が中心であったが、高度経済成長期には食肉の需要が急増し、1988年には、実質供給たんぱく質量で魚肉を逆転している。  
1204年 - フランドル伯ボードゥアン9世が、ラテン帝国(ロマニア帝国)の初代皇帝に即位。ラテン帝国は、第4回十字軍が東ローマ帝国(地中海地域を支配したローマ帝国の東側の領域)の首都コンスタンチノープル(現在のトルコ北東部にある都市、イスタンブルの前身)を占領し、建国したが、東ローマ帝国の正統な亡命政権とされるニカイア帝国によって、1261年に滅ぼされる。
1527年 - ローマ略奪: イタリア中部にあるフィレンツェから、実質支配していたメディチ家が追放され、共和制が復活する。
1532年 - イングランドの政治家、トマス・モアが官僚で最高位の大法官を辞職。
1568年 - スコットランドの元女王、メアリーがイングランドに亡命する。
1689年 - 日本史上最高の俳諧師の1人とされる松尾芭蕉が、弟子の河合曾良と共に『おくのほそ道』の旅に出発。『おくのほそ道』は、松尾芭蕉による紀行文で、日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、松尾芭蕉の著作中で最も著名である。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。また、作品中には、多数の俳句が詠み込まれている。
1770年 - 後にフランス国王ルイ16世となるルイ・オーギュストが、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとオーストリア大公国大公マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットと結婚。
1771年 - 世直しの戦争(現在のアメリカ合衆国南東部、ノースカロライナ州で発生した暴動): アラマンスの戦い。
1811年 - スペイン独立戦争: アルブエラの戦い。
1842年 - オレゴン・トレイル(北アメリカ大陸の西部開拓時代にアメリカ合衆国の開拓者達が通った主要道の1つで、現在のアメリカ合衆国中西部にあるミズーリ州から、西部にあるオレゴン州に至るルート)を通る最初の幌馬車隊が、ミズーリ州エルム・グラブを出発する。
1843年 - イギリスの首都ロンドン市内、パディントンとロンドン郊外のスラウ間で、世界初の電報業務を開始。
1866年 - アメリカ人のチャールズ・エルマー・ハイアーが、アルコールを含まない炭酸飲料の一種、『ルートビア』を商品化。アメリカ合衆国において『ルートビア』は、飲料市場において約3%のシェアを持っており、市民にとって馴染み深い飲料と言える。日本においては、アメリカ合衆国による長期に亘る占領の経験がある、沖縄県や小笠原諸島ではよく飲まれるが、それ以外の地域では、輸入食品店や沖縄地方の商品を扱う専門店、物産展等、ごく僅かに販売されるのみである。
1889年 - 東京上野(現在の東京都台東区に所在)の宮内省(現在の宮内庁[内閣府に置かれる独自の位置付けの機関]の前身)所管博物館を、帝国博物館(現在の東京国立博物館の前身)に改称。京都と奈良にも帝国博物館を設置する(現在の京都国立博物館と奈良国立博物館の前身)。
1912年 - 日本初(アジアでも初となる)のオリンピック選手団(陸上競技/短距離の三島弥彦と、陸上競技/長距離・マラソンの金栗四三、計2名)が、ストックホルムオリンピック(第5回オリンピック競技大会)の開催地、スウェーデンの首都ストックホルムへ向けて出発する。
1916年 - 第一次世界大戦:イギリスとフランスとの間で、オスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身で、全盛期には地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国となっていた)領アラブ地域の分割に関するサイクス・ピコ協定が結ばれる。
1919年 - アメリカ海軍軍人、アルバート・リードらの搭乗する超大型飛行艇カーチスNC-4、他2機(カーチスNC-1とカーチスNC-3)が、世界初の大西洋横断飛行を目指し、大西洋の中央部にあるアゾレス諸島を目指し出発する。1427年、ポルトガル人によって発見されたアゾレス諸島は、その地理上の位置から、新大陸への重要な航海基地となる。捕鯨、及び遠洋漁業の基地としても使われた他、現在では、温暖な気候から、保養地として人気がある。 
1920年 - ローマ教皇ベネディクトゥス15世が、神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍した、15世紀のフランス王国の軍人ジャンヌ・ダルクを列聖(キリスト教で聖人崇敬を行なう教会が、信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位に揚げること)。
1929年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州ロサンゼルス市にある映画産業の中心地、ハリウッドで、第1回アカデミー賞の授賞式が行なわれる。アカデミー賞は、アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞である。授与されるオスカー像(アカデミー賞の副賞で、裸の男性の立像)から、単にオスカー(Oscars)とも呼ばれる。