5月14日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1932年 - イギリス出身の俳優で映画プロデューサーのチャールズ・チャップリンが、初の来日を果たす。チャールズ・チャップリンは、神戸や東京を訪問するものの、訪日中にたまたま発生した、国粋主義(明治維新に始まる、余りに極端な西欧文化の流入による近代化に警笛を鳴らし、明治政府の政策を欧化主義として非難したもので、日本人の本来の文化や歴史、その長所を尊ぶことを主張している)的な士官によるクーデター未遂事件、五・一五事件の巻添えになり掛ける。五・一五事件の首謀者達の間では、「日本に退廃文化を流した元凶」として、チャールズ・チャップリンの暗殺が画策されていたという。五・一五事件に多大な衝撃を受けたチャールズ・チャップリンであったが、5月19日に、五・一五事件で殺害された犬養毅首相の葬儀が挙行された際、「憂国の大宰相・犬養毅閣下の永眠を謹んで哀悼す」との弔電を寄せている。
1935年 - 東南アジアに位置するフィリピンが、独立協定を批准する。
1935年 - アメリカ合衆国中西部、オハイオ州のシンシナティで、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)初のナイトゲームが開催される。ナイトゲームは、野外で行なわれる競技を、夜間に照明下で行なう夜間試合で、日本では、「ナイター」と呼ばれることも多い。「ナイター」は、和製英語と言われるが、英語では「night game」と呼ぶことは確かであるが、「nighter」も、稀にではあるが(野球に限らず)「夜間興行」という意味で、確かに存在する。アメリカンフットボール等でも「ナイター」を使うことから、和製英語ではないという説もある。日本生まれの和製英語が偶然、英語で稀に使われている語と一致したのか、或いは、英語の稀語が日本で定着したのか(言語の伝来において、このようなことは珍しくない)、はたまた、和製英語が逆輸出された結果なのか、定説はない。  
1939年 - 南アメリカ西部に位置するペルー出身の女性、リナ・メディナが、世界最年少の5歳7ヶ月21日で子を出産する(かつては、『ギネス世界記録』[イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集]にも載っていたが、現在では倫理的な問題で、項目自体がない)。
1940年 - 第二次世界大戦・オランダにおける戦い: ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)軍が、オランダ南西部にある港湾都市ロッテルダムを爆撃し、オランダが降伏する。
1940年 - イギリスで、地域防衛義勇隊(後のホーム・ガードと呼ばれる民間軍事組織)が発足する。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: アメリカ軍の戦略爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレス440機による名古屋大空襲で、「国宝保存法(昭和4年3月28日法律第17号)」(「文化財保護法[昭和25年5月30日法律第214号]」の制定により、1950[昭和25]年に廃止される)に基づき、旧国宝に指定されていた名古屋城の本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓等が焼失した他、家屋21,905棟が被災する。66,585名が罹災し、338名の死者、783名の負傷者を出す。
1948年 - 中東に位置するイスラエルが建国を宣言。同日、アラブ連盟5ヶ国(北アフリカ・中東諸国にあるアラブ世界[アラビア語を話す人々であるアラブ人が主に住む地域]の政治的な地域協力機構)がイスラエルへの戦争を宣言し、第一次中東戦争が始まる。
1955年 - ソビエト連邦を含む8ヶ国の共産圏諸国が、相互軍事援助を目的としたワルシャワ条約に調印。このワルシャワ条約により、ソビエト連邦の軍事的脅威に対抗するための、北大西洋地域における集団安全保障条約である北大西洋条約機構(NATO)に対する組織で、ソビエト連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟、ワルシャワ条約機構が成立する。1989年の冷戦(第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造)終結に伴なって東欧革命が始まり、ワルシャワ条約機構は1991年3月に軍事機構を廃止し、7月1日には正式解散している。
1955年 - アメリカ合衆国が、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州サンディエゴ沖で核実験を行なう(ウィグワム作戦)。実験の目的は、潜水艦に対する核兵器の威力、つまり、核爆雷としての核兵器の実効性を検証することで、発生した放射能も極めて軽微であったとされる。
1963年 - 中東のアラビア半島最北東部に位置するクウェートが国際連合に加盟。
1971年 - 第48代横綱大鵬幸喜が引退。初の一代年寄に。一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、日本相撲協会の理事会が、その横綱一代に限って認める特別な年寄名跡で、名称には引退時の四股名がそのまま用いられる。大鵬幸喜は、第二次世界大戦終戦直後の復興から、1954年12月から1973年11月までの約19年間の時期である高度経済成長期の相撲黄金時代を支え、第47代横綱となる柏戸剛と共に、1961年に揃って横綱に推挙され、「柏鵬(はくほう)時代」と言われる黄金時代を築く。後に第69代横綱となった白鵬翔の四股名は、この両横綱に由来する。大鵬幸喜は、2013年に死去するが、多年に亘る相撲界での功績や、その活躍が社会に与えた影響等が評価され、故人(死去した人物)として国民栄誉賞が授与されている。
1972年 - 「火炎びんの使用等の処罰に関する法律(火炎瓶処罰法、昭和47年4月24日法律第17号)」公布・施行。
1973年 - アメリカ合衆国初の宇宙ステーション「スカイラブ」が打上げられる。宇宙開発の基礎となる実験や、地球観測や長時間の無重量環境を必要とするような自然科学、及び科学技術の実験に使われた「スカイラブ」は、1979年まで地球を周回しており、その期間中、宇宙飛行士が3回に亘って滞在する(滞在日数は、合計で84日間)。
1991年 - 信楽高原鐵道列車衝突事故。滋賀県甲賀郡信楽町(現:滋賀県甲賀市信楽町)の信楽高原鐵道信楽線小野谷信号場 - 紫香楽宮跡駅間で、信楽駅発貴生川駅行きの上り普通列車(4両編成)と、京都駅発信楽駅行きの西日本旅客鉄道(JR西日本)直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(3両編成)が正面衝突。42名が死亡(JR側乗客30名、信楽高原鐵道側乗客12名、運転士と添乗の職員4名)、614名が重軽傷を負う大惨事となる。衝突した臨時快速列車は、乗客で超満員の状態(定員の約2.8倍)であったため、人的被害が非常に大きくなる。当時、沿線の信楽町では「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が開催されており、信楽高原鐵道は線路容量を遥かに超える来場者輸送(ピーク時約2万名/日)に追われていたこと等が、事故の背景として指摘されている。
1991年 - 前人未踏であった通算1,000勝の大記録を達成し、昭和最後の大横綱とも言われた、第58代横綱千代の富士貢が引退。
1997年 - エア・カナダ、ルフトハンザ航空、スカンジナビア航空、タイ国際航空、ユナイテッド航空により、スターアライアンスが設立される。スターアライアンスは、世界で最初及び、世界最大の航空連合で、日本の航空会社としては全日本空輸(ANA)が加入している。
1997年 - 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ文化振興法、アイヌ文化法、アイヌ新法、平成9年5月14日法律第52号)」が公布される。
1999年 - 自動車のナンバープレート(自動車登録番号標のみ)の分類番号3桁化が全国で行なわれ、レンタカーと駐留軍車の希望番号制度を実施。
2004年 - 盧武鉉韓国大統領弾劾訴追: 韓国の憲法裁判所が弾劾訴追を棄却、盧武鉉大統領が職務に復帰する。
2006年 - 東京都千代田区神田須田町に置かれていた「交通博物館」が閉館。後継施設として翌2007年に、埼玉県さいたま市大宮区大成町に「鉄道博物館」が開館する。
2007年 - 日本国憲法改正の手続きを定める「日本国憲法の改正手続に関する法律(国民投票法、平成19年5月18日法律第51号)」が成立する。
2010年 - スペースシャトルのオービタ(実際に宇宙と地上を往還する宇宙船本体部分)『アトランティス』が、国際宇宙ステーション利用補給ミッション(ULF4)で打上げられる。これが、『アトランティス』最後の打上げとなる。退役後の『アトランティス』は、2012年11月に展示施設に輸送され、2013年7月より一般公開されている。