5月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1221年 - 第85代天皇、仲恭天皇が即位。仲恭天皇は4歳で践祚(天子の位を受継ぐこと)するも、践祚のみで即位式が行なわれず、極めて短期間(約2ヶ月半)で廃位となる。九条廃帝、承久の廃帝、半帝、後廃帝等と呼ばれていたが、崩御から636年後の1870年、ようやく「仲恭」の諡号(貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名)が贈られている。因みに、仲恭天皇は、歴代の天皇の中で、在位期間が最も短い天皇である。第84代天皇順徳天皇の第四皇子として誕生した仲恭天皇は、父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇(第82代天皇、後鳥羽天皇が譲位した時の称号)と共に、鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(いわゆる承久の乱)に参加するため譲位されたが、承久の乱では、鎌倉幕府第2代執権率いる幕府軍に敗北し、後鳥羽上皇と順徳上皇は配流され、鎌倉幕府の手によって皇位を廃されている。
1373年 - イングランドの神学者、ノリッチのジュリアンが、後に『神の愛の十六の啓示』として纏められる幻視を見る。
1397年 - 現在の京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺、鹿苑寺の上棟式(建物の新築の際に行なわれる祭祀で、家屋建造の際、棟木を上げるに当たり、大工の棟梁等が神を祭り、新屋の安全を祈るもの)。鹿苑寺の建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。寺名は開基(創設者)である室町幕府第3代将軍足利義満の法号「鹿苑院殿」に因む。
1497年 - ローマ教皇アレクサンデル6世が、教皇領(教皇国等とも呼ばれる、ローマ教皇庁の支配していた領土)を批判したイタリアのカトリック修道士、ジロラモ・サヴォナローラを破門(異端的信仰をもつ信者になされる措置)する。 
1612年 - 二刀を用いる二天一流兵法の開祖である剣術家・兵法家、宮本武蔵と剣客の佐々木小次郎が巌流島(現在の山口県下関市大字彦島字船島に所在する、豊前国小倉藩の藩領で、関門海峡内に位置する無人島、船島)で決闘(宮本武蔵の伝記『二教皇領教皇領天記』による、新暦に換算した日付で、旧暦では4月13日となる)。
1648年 - インド北部、デリーにあるムガル帝国(北インドのトルコ系イスラーム王朝)時代の城塞『赤い城』が完成する。約9年をかけて築造され、名称の由来ともなった城壁の赤い色は、建材として用いられた赤砂岩のものである。
1779年 - 中部ヨーロッパの内陸に位置するオーストリアと、プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)がテッシェン条約を締結。バイエルン継承戦争が終結する。バイエルン継承戦争は、中部ヨーロッパで行なわれた戦争であるが、戦争とは言うものの本格的な戦闘は殆どなく、食糧調達に終始したことから、別名「じゃがいも戦争」とも呼ばれる。
1784年 - 江戸幕府老中を務めた遠江国相良藩(田沼家主)初代藩主田沼意次の嫡男、若年寄の田沼意知が、旗本の佐野政言に殿中で斬られる。田沼意知は、その8日後に死亡する。佐野政言による犯行の動機は諸説あったが、幕府は乱心として処理する。しかし、江戸市民の間では佐野政言を賞賛して、田沼政治(田沼意次が幕政の実権を握り、数々の幕政改革を手掛けたもので、伝統的な緊縮財政策を捨て、それまで見られなかった商業資本の利用等、積極的な政策が取られた一方で、当時から賄賂政治の代名詞としても有名で、贈収賄が横行し、治安の悪化等で不満も高まった)に対する批判が高まり、幕閣においても、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の孫に当たる陸奥国白河藩第3代藩主で、老中となった松平定信ら、反田沼派が台頭することとなる。
1787年 - オーストラリア東南部、ニューサウスウェールズに設けられたイギリスの流刑植民地に向けた最初の船が、ニューサウスウェールズ総督の海軍軍人アーサー・フィリップに率いられてイギリスを出航。
1830年 - 南アメリカ西部に位置するエクアドルが、大コロンビア(現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部に相当する領域を支配した国、コロンビア共和国)からの分離独立を宣言。
1833年 - ドイツロマン派の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンの『交響曲第4番(イタリア)』が、イギリスの首都ロンドンで作曲者自身の指揮により初演。フェリックス・メンデルスゾーンがイタリア旅行中に書き始めたこの曲は、躍動的なリズム、叙情と熱狂、長調と短調の交錯による明暗の表出が特徴的で、フェリックス・メンデルスゾーンの交響曲の中では、最も親しまれている曲とされる。
1846年 - 米墨戦争: アメリカ合衆国議会が、メキシコに対する宣戦布告を決議。
1848年 - 北ヨーロッパに位置するフィンランドの国歌『我等の地』が、初めて演奏される。 
1861年 - イギリスが、アメリカ合衆国と、その連邦組織から脱退した南部11州が結成した南部連合(アメリカ連合国)との戦争、南北戦争に対する中立を宣言。
1879年 - 日本初の地質調査報告書「山梨県地質取調報告」が内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)地理局地質課課員、和田維四郎により作成される。和田維四郎は、ドイツの地質学者で、日本における近代地質学の基礎を築くと共に、地形図の作成と並行して地質調査を行なった、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンの事実上の弟子となり、本草学(中国古来の植物を中心とする薬物学で、中国の薬物を日本産のものに当てる研究から博物学等に発展する)の域を出なかった日本の鉱物学を、近代鉱物学に改変させる。晩年には古書籍を蒐集、研究し、科学的な書誌学の開拓に貢献している。
1888年 - 南アメリカ東部に位置するブラジルで、奴隷を解放する「黄金法」が議会を通過する。
1912年 - イギリス陸軍航空隊(イギリス空軍の前身の1つ)が設立される。
1917年 - ポルトガル中部にある小さな町、ファティマで、3名の子どもの前に謎の婦人(「ファティマの聖母」)が現れる。「ファティマの聖母」は、キリスト教最大の教派であるカトリック教会が公認している、聖母の出現(聖母マリアが人々の前に現れたとされるできごと)の1つとなる。
1936年 - 三重県四日市市で開かれていた国産振興四日市大博覧会が閉幕。
1939年 - 放送技術の開発を行なっている日本放送協会(NHK)が設立した研究所、NHK放送技術研究所が、国産テレビの試験電波発信を開始。
1940年 - イギリスの首都ロンドンで、オランダ王国亡命政府が樹立される。
1940年 - リマ排日暴動事件。南アメリカ西部に位置するペルーの首都リマで、日系移民経営の商店等に対する大規模な破壊掠奪事件が発生する。この暴動事件は、第二次世界大戦対米英戦終結までの約5年間、ペルーの日系移民にとって、最悪の試練の期間の始まりとなる。事件の要因として、ペルー日系移民の都市集中とペルーへの同化に対する拒否感、その状況を受けての、ペルー側の排日感情の高まりが挙げられる。リマに始まった暴動は、リマ近郊から他の地方、農村部にも拡大する。5月24日、リマ地方に大きな地震が発生し、建物が至るところで倒壊し、リマ日本人小学校には、暴動の被害者である日系移民が数百名程度収容されていたが、そこに近隣の震災被害者が流れ込む等、人々は大混乱に陥る。暴動の被害は、日系移民の死者1名、負傷者10名以上で、掠奪を受けた家屋は約500軒を上回るという。