5月10日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

リプトンの日。 
世界最大の紅茶ブランド「リプトン」は、1871(明治4)年5月10日に第1号店をグラスゴー(イギリスのスコットランド南西部に位置する都市)でオープンした。その生みの親であるトーマス・ジョンストン・リプトンの誕生日(1848[嘉永元]年5月10日)でもあるこの日を、上質な紅茶を楽しんで頂く日に、と制定したのは、東京都目黒区上目黒に本社を置き、リプトンブランドを展開する企業、ユニリーバ・ジャパン株式会社。オランダとイギリスに本拠を置く食品・生活用品メーカー、ユニリーバは、紅茶の生産から販売までを手掛け、品質の高い紅茶を手軽な価格で提供している紅茶の買付けで、世界シェアナンバーワンの企業である。リプトンブランドの始まりは、スコットランドに生れたトーマス・ジョンストン・リプトンが、15歳からの単身渡米の後に21歳で開いた食料品店「リプトン・マーケット」に由来する。商才に長けていたトーマス・ジョンストン・リプトンは、ポスター等の当時としては斬新な宣伝で世間の注目を集め、積極的な事業拡大によって、リプトンを一大紅茶ブランドへと導いた。第二次世界大戦の戦災により、リプトンの組織は大きなダメージを受けた。また、1952(昭和27)年まで続いた紅茶の供給減少と、国力の低下による購買力の減少により、イギリスは紅茶市場の中心とは言えない存在となった。 その後、リプトンはそのブランド力と、世界に先駆けて量産化させたティーバッグが北米市場を皮切りにヒットし、復活を遂げた。ユニリーバは1938(昭和13)年、リプトンのアメリカ合衆国、及びカナダにおけるビジネスを買収し、1972(昭和47)年までには、リプトンの全てがユニリーバの所有となった。1906(明治39)年、食料品・和洋酒類の小売業者である明治屋(現在は東京都中央区京橋に本社が所在)によって、日本への輸入が開始された。1961(昭和36)年にティーバッグタイプの紅茶が急速に普及し、国内でのリプトンブランドが浸透するようになった。なお、ティーバッグは、紅茶の葉を含む小さな袋である。紅茶を抽出した後に、茶こしを使うことなくお茶を飲むことができるようになっている。2002(平成14)年には、紅茶のおいしさを最大限に引出すピラミッド型ティーバッグが、日本でも採用された。
コンクリート住宅の日。 
東京都板橋区高島平に共同組合事務局を置く、特殊FRP型枠を使用して、精度の高い鉄筋コンクリート住宅を建築するRC-Zシステムを手掛ける業界団体、RC-Z家の会共同組合が制定。地震や火災に強く、長期間使えるコンクリート住宅の性能や、デザインの良さをアピールすることが目的。日付は、5月10日の「5」と「10」が、「コ(5)ンクリート(10、十)」の語感に近いことから。鉄筋コンクリート造(RC造)は、コンクリートの中に鉄筋を配した素材を使い、建てられた建物である。 コンクリートは圧縮力に強い反面、張引力には弱い素材で、この性質を補うため、その逆の性質を持ち、破断しにくい鉄筋を芯材としたのが鉄筋コンクリートであり、錆び易い鉄筋をアルカリ性のコンクリートが保護しているため、耐久性が高くなることも特徴となっている。RC-Zシステムは、FRP(Fiber-Reinforced Plastics:繊維強化プラスチック)製型枠が基幹となっており、材料の無駄、人員の無駄、工程の無駄を省き、建築費を削減する考えを主眼においたシステムである。施工現場からベニヤ材や木材の使用を大幅に減らし、さらに、産業廃棄物等のゴミ排出量の減量に成功した、地球環境にやさしい工法である。
メイトーの日。 
東京都中央区日本橋小網町に本社を置く、牛乳、プリン、アイスクリーム等の乳製品で知られる総合乳業メーカー、協同乳業株式会社が、自社の商品ブランドである「メイトー」を、さらにアピールするために制定。日付は、5月10日の5月(メイ)と10日(トー、十)を組合せて、「メイトー」の語呂合わせから。消費者に向けたさまざまな活動を行なう。協同乳業株式会社は、メイトー(MeITO)のブランド名で製品を製造・販売し、乳業メーカーとしては、長い期間に亘り、テトラパック(食品用紙容器の開発・製造を主たる業務とする国際企業で、創業の地であるスウェーデンに本社を置くテトラパック社が開発して製造する、正四面体型紙容器の旧名称で、現在は「テトラ・クラシック (TC)」と称するが、日本では「三角パック」と多く俗称される)入りの乳製品を製造していた企業としても知られる。
ミリオンゴッドの日。
東京都江東区有明に本社を置く、パチンコ・パチスロ台やその周辺機器の製造等を行なう大手メーカー、株式会社ユニバーサルエンターテインメントが制定。株式会社ユニバーサルエンターテインメントのパチスロ「ミリオンゴッド」を始めとする、歴代ミリオンゴッドシリーズの総称『GOD(ゴッド)』をPRすることが目的。液晶上で奇数、又はV図柄が揃うと当たりとなり、プレミアム扱いのGOD図柄が揃えば、神(ゴッド)が降臨することで知られる。日付は、5月10日の「5」と「10」で、「ゴ(5)ッド(10、十)」と読む語呂合わせから。
コメドの日。
大阪市北区中津に本社を置く、皮膚科学に特化した、外用薬を専門とする製薬会社、マルホ株式会社が制定。「コメド」とは、面皰(めんぽう)の英語名で、ニキビになる前の毛穴が詰まった状態のことである。ニキビの前段階の「コメド」の認知度を高め、ニキビの早期治療を促すことが目的。日付は、5月10日の「5」と「10」で、「コ(5)メド(10、十)」と読む語呂合わせと、「コ(5)メド・一(1)緒に・治そう(0にしよう)」の意味を込めて。マルホ株式会社は、関西を地盤とする製薬会社の中の一社であり、皮膚科、整形外科を守備範囲に置くスペシャリティファーマ(特定の分野における製品のシェアが圧倒的に高い、世界的な薬を創出する新薬メーカーで、一般的に中堅と呼ばれる優良企業が多く、この分野については、今後も多くのメーカーが目指すべき分野と考えられている)としてその名を知られる。コーポレート・キャッチである「皮膚科学関連医薬品のブティック・カンパニー」とあるように、皮膚関連専門薬のみで経営を進行させて来た製薬会社として、また、医薬情報担当者(MR)活動に力を入れている企業でもある。医薬情報担当者(MR)とは、、医薬品の適正使用のため、医療従事者を訪問すること等により、医薬品の品質、有効性、安全性等に関する情報の提供、収集、伝達を主な業務として行なう者のことを指す。医薬情報担当者(MR)は、製薬業界における、医療従事者相手の営業職に当たる。但し、他業界の営業職とは異なり、営業活動の中心は、医薬情報の提供や、集めた副作用情報のフィードバックが主であり、医薬品の販売促進活動ではない。
VIOケアの日。
東京都品川区上大崎に本社を置く、髭剃りやシェービング剤等のシェービング関連製品の輸入・製造・販売を手掛ける企業、シック・ジャパン株式会社が制定。日付は、「VIO」をローマ数字の「V」から「5」、アルファベットの「IO」を、数字の「10」に見立てて5月10日としたもの。デリケートゾーンの「VIO」は、Vライン・Iライン・Oラインの3ヶ所に分けられる。気温が上がり始める5月は、身体のVIO周辺が蒸れ易くなり、夏に向けて、その部分のケアへの意識が高まる頃である。そこで、多くの人にVIOゾーンをケアして、快適な生活を送るきっかけの日としてもらうことが目的。アメリカの電池メーカー、エナジャイザーの子会社となっているシック・ジャパン株式会社は、日本の髭剃りに革新的な進歩をもたらした、シックブランドの製品を取扱っている。トップブランドとしての高い実績を築いているシックブランドは、2020(令和2)年、日本上陸60周年を迎え、翌2021(令和3)年には創業100周年を迎えた。
四迷忌。
作家・翻訳家、二葉亭四迷の1909(明治42)年の忌日。二葉亭四迷の筆名の由来は、処女作の長編小説『浮雲』に対する卑下、特に、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた作家・評論家・翻訳家・劇作家、坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによるもので、文学に理解のなかった父に言われた、というのは俗説である。坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多く手掛けており、19世紀ロシア文学を代表する文豪、イワン・ツルゲーネフの小説の翻訳は特に有名で、自然主義作家へ大きな影響を与えた。1908(明治41)年から、朝日新聞社特派員としてロシアに渡っていたが、病気(肺炎、肺結核)となり、イギリスの首都ロンドンを経て日本への帰国の途中、インド洋(ベンガル湾)上で肺炎が悪化し死去した。享年46(満45歳没)。