5月7日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

コナモンの日(さらに、続き)。
香川県においてうどんは、地元で特に好まれている料理であり、1人当たりの消費量も、日本全国の都道府県別統計においても第1位である。料理等に地域名を冠してブランド化する、地域ブランドの1つとしても、讃岐うどんは観光客の増加、うどん生産量の増加、知名度注目度の上昇等の効果をもたらし、地域ブランド成功例の筆頭に挙げられる。日本経済新聞社グループの総合調査会社、日経リサーチの隔年調査では、地域ブランドの総合力において、讃岐うどんは350品目中1位となり(2008[平成20]年、2010[平成22]年)、観光客は行き先選択の理由、そして、香川の魅力の第一にうどんを挙げ、2011(平成23)年には、香川県庁と香川県観光協会が、うどんを全面的に推し出した観光キャンペーン「うどん県」をスタートさせた。古くから良質の小麦、塩、醤油、そして、地元ではイリコと呼ばれている煮干し等が、讃岐国(現香川県域の旧国名)の特産品であり、それらのうどん材料となる食品の入手が容易であった。時代が下り、現在の地域ブランド名称となる「讃岐うどん」が広く知られるようになったのは、うどんを名物とし始めた1960年代頃と考えられている。讃岐うどんは、香川県のうどん店や家庭で作られるうどんを指すと共に、日本全国各地の飲食店でも、うどん料理が「讃岐うどん」として供されていたり、冷凍食品等、店頭で手軽に入手可能等、香川県外の地域でも容易に食せる料理として広まっている。香川県民を対象とした調査によると、うどんを「週に1回以上食べる」人の割合は約90.5%、「全く食べない」人は約9.5%であり、「週1回」が最も多く約50.8%であった。香川県でのうどんは、観光客向けの名物というよりは、老若男女問わず、県民の生活に密着した食物・食習慣となっている。日本国内では、「讃岐うどん」「さぬきうどん」の名称に対する使用制限はない。理由として、全国生麺類公正取引協議会と公正取引委員会(「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律[独占禁止法、昭和22年4月14日法律第54号]を運用するために設置された行政委員会[合議制の行政機関]で、内閣府の外局[特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織])は、「どこで作っても物は同じ」との見解を示している。この要因によって、全国各地で「讃岐うどん」「さぬきうどん」を名乗るうどんが作られている。2000年代初旬頃まで、うどん業界では「讃岐うどんは香川産」という常識が存在していたが、人気の全国的な拡大によって、この常識は崩れていった。独自のうどん文化を持つ大阪でも、「讃岐うどん」の店は増えている。人気の理由は、「讃岐うどん」の特徴となる「しこしこ」とした、コシのある麺とされる。「大阪のうどん」は、麺のコシはあまり強くないが、もちもちした食感が魅力で、ウルメ節やサバ節等からとった「4%以上」という、濃いダシとの一体感が売りとなる。麺の断面にも特徴があり、「讃岐うどん」は四角いのに対し、「大阪のうどん」は丸い。麺を茹でると、角がなくなって丸くなるという。うどん・そばにおいてのきつねとは、かけうどんやかけそばに、甘辛く煮た油揚げを乗せたものであり、「きつねうどん」「きつねそば」と呼ぶ。但し、大阪では、「きつね」と言えばうどんが常識で、「きつねそば」なるものは「たぬき」と呼ばれる。「マルちゃん」のブランドで親しまれている、即席麺を中心とした食品会社、東洋水産を代表するうどんとそばの和風カップ麺の通称が、「マルちゃん赤いきつね(正式な商品名は、マルちゃん赤いきつねうどん)」「マルちゃん緑のたぬき(正式な商品名は、マルちゃん緑のたぬき天そば)」であることからも窺えるが、関西以外での揚げ玉を乗せたそば、又はうどん「たぬき」と呼ばれるものは、大阪では「ハイカラうどん(又はそば)」と呼ばれる。揚げ玉は、大阪では「天かす」と呼ばれ、サービスで取り放題になっている店もある。現在、大阪市中央区南船場、心斎橋筋商店街の近くに所在するうどん店『うさみ亭マツバヤ』創業者、宇佐美要太郎は、奉公先の寿司屋が廃業したのを機に、1893(明治26)年にうどん店『松葉屋本舗』を開店した。当初、うどんの付合わせとして、稲荷寿司用の甘辛く煮た油揚げを別皿にして出していた。しかし、油揚げをそのままうどんの中に入れて食べる客が多かったため、うどんに油揚げを乗せて一緒に出すことにした。これが、「きつねうどん」の元祖とされる(「きつねうどん」の発祥については諸説あるが、これが有名なものの1つとなっている)。大阪の「きつねうどん」は、甘辛く仕上げた油揚げ(「お揚げさん」と呼ばれる)が最大の特徴で、揚げの甘さに合わせて、つゆも工夫されている。つまり、「大阪のうどん」は、麺だけではなく、具とつゆ(ダシ)までを総合して食するもの、と言える。ラーメンは、江戸時代末に開港した横浜・神戸・長崎・函館等に、明治時代になると誕生した中華街(当時は南京町と呼ばれたが、神戸のものは、今でも南京町という名になっている)で食べられていた中国の麺料理をルーツとするものである。1910(明治43)年、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に初めて、日本人経営者尾崎貫一が横浜中華街から招いた中国人料理人12名を雇って、日本人向けの中華料理店『来々軒』を開店し、大人気となった。その主力メニューは、当時は南京そば・支那そば等と呼ばれたラーメンであった。この店の成功を受けて、日本に続々と庶民的な中華料理店が開店し、ラーメンは、餃子や焼売等と共に、定番メニューとして広まっていった。第二次世界大戦後は、中国からの引揚者によるラーメン屋台も多く出現した。約100年の歴史の中で、さまざまなアレンジが加えられていき、中国やベトナム等のアジアの麺料理とは異質な、日本独特の麺料理に発展・変化している。名称は、「ラーメン」「らーめん」と表記されることが多いが、稀に「らうめん」や「らあめん」表記されることもある。「中華そば」とも表記されるが、呼び方が違うだけで、料理は同じものである。時代と共に、南京そば→支那そば→中華そば、と日本での呼び名は変わっていき、ラーメンという呼び方を広めたのは、1958(昭和33)年にインスタントラーメンを中心とした食品加工会社、日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」である、とも言われている。近年では、ラーメンの多様化を受けて、懐古的な意味合いから、昔風のラーメンを支那そば、中華そばと呼ぶ店もある。中華そばは、インスタントラーメンの名称にも使われている。特定の地域で食べられている、それぞれ何らかの独自性があるラーメンを、ご当地ラーメンという。しかし、必ずしも、周辺地域の店が同じような味とは限らない。ご当地ラーメンのブームには、1960年代から1970年代から既に、高い知名度を持っていた札幌ラーメン等が観光に大きく寄与していたことも関わっている。「札幌ラーメン」を謳ったチェーン店が全国に展開したり、インスタントラーメンの呼称に使われた。そして、観光資源として雑誌媒体、テレビマスコミでのPR等に用いられることが見られるようになった。その後、これら「ご当地ラーメン」の個性を楽しむ人達が増え、現在でも、マスコミの取材等をきっかけとして、地域毎にラーメンブームの様相を呈することは珍しくない。ただ、ご当地ラーメンが、時に大きな市場や経済効果を創出しきた一方で、単にラーメン店の店舗数が人口や市街地の規模に比して多いだけで、その地域の固有と言える特段の共通の特徴がなかったり、マスコミに特集される程の質(味に加えて、接客サービス等)が伴なっていなかったりする地域も存在し、ブームに便乗しようとする者も多い。また、日本コナモン協会には、ラーメン連や鉄板連等、協会認定「連」も少しずつ増え、公式サイトを持つ連も登場している。