5月6日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0604年 - 有力豪族の蘇我馬子と協調して政治を行ない、国際的緊張の中で遣隋使を派遣する等、大陸の進んだ文化や制度を取入れた、第31代天皇、用明天皇の第二皇子で、第33代天皇、推古天皇の下、摂政・皇太子を務めた聖徳太子(厩戸皇子)が、十七条憲法を制定する。十七条憲法では、官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されている。政府と国民の関係を規律する近代憲法とは異なり、行政法や行政組織法としての性格が強い。 
1527年 - ローマ略奪。神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、教皇領のローマで殺戮、破壊、強奪、強姦等を行なう。 
1542年 - キリスト教、カトリック教会の男子修道会であるイエズス会の創設メンバーの1人で、ナバラ王国(中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国)生まれのカトリック教会の司祭・宣教師、フランシスコ・ザビエルが、ポルトガル領インドの首府ゴアに到達。ゴアは、インド西海岸中部に位置し、天然の良港を有する。17世紀初頭のゴアは、アフリカ大陸南東部に位置するモザンビークから、日本の長崎にまで広がるポルトガル海上帝国の首府として、「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎える。当時のゴアの人口は約20万に達し、市内には、壮麗な教会や修道院、総督府等の建物が立並んで、ヨーロッパの都市にも引けを取らなかったとされる。1961年にインド政府が武力侵攻するまで、ゴアはポルトガルの植民地支配を受けている。ゴアで宣教監督となったフランシスコ・ザビエルは、スペインのイエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスや、スペインのイエズス会宣教師フアン・フェルナンデス、中国人、インド人、そして、ヤジロウ(鹿児島出身とされ、史料上、確かな最初の日本人キリスト教徒と目される人物)ら3名の日本人と共に日本を目指す。1549年には、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着している。 
1626年 - オランダ(現在のオランダ王国の原型であるネーデルラント連邦共和国)で設立された貿易会社、オランダ西インド会社がマンハッタン島を買収し、ニューアムステルダムと命名する(現在のアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市)。 
1671年 - 伊達騒動(寛文事件)。陸奥国仙台藩(伊達藩)重臣の原田宗輔(通称:原田甲斐)が、陸奥国仙台藩一門(伊達家中で、支藩のような大名格の有力者)の伊達宗重(通称:伊達安芸)を、江戸幕府大老酒井忠清邸で斬り付ける。伊達宗重は深手を負ってその場で絶命し、騒ぎを聞いて駆け付けた陸奥国仙台藩重臣の古内義如(通称:古内志摩)と柴田朝意(通称:柴田外記)が原田宗輔を斬り、原田宗輔は即死、柴田朝意もその日の内に死亡する。この事件は後に、歌舞伎『伽羅先代萩』『伊達競阿国戯場』や、作家、山本周五郎の歴史長編小説『樅ノ木は残った』等の題材となる。
1682年 - フランス王ルイ14世が、フランスの首都パリの南西約22kmに位置し、イヴリーヌ県ヴェルサイユに所在するヴェルサイユ宮殿に移り住む。ルイ14世を始めとした王族と、その臣下が共に住むヴェルサイユ宮殿においては、生活の全てが絶対王政(王が絶対的な権力を行使する政治の形態)の実現のために利用され、その結果、さまざまなルール、エチケット、マナーが生まれている。フランス絶対王政の象徴的建造物とも言われ、バロック建築(1590年頃から盛んになった建築様式で、建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする)の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。儀式や外国の賓客を謁見するために使われた鏡の間は、1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行なわれ、また、第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約が調印された場所でもある。鏡の間には、多くの銀製品が飾られていたというが、ルイ14世は晩年になって、スペインとの王位継承争いが続いたことから戦費の捻出に困り、破産を免れるため、これらを売って戦費に充てたという。ヴェルサイユ宮殿は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)にも登録されている。因みに、上空から見ると、ヴェルサイユ宮殿脇の庭園の一部が、ミッキーマウスの顔と酷似している。これは、衛星写真の映像を見た人の指摘で判明している。このことは、2007年1月27日放送回、映画・ドラマ・バラエティ番組・アニメ等を放送されている単発特別番組枠、「土曜プレミアム」枠で放送されたバラエティ番組「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」(フジテレビ系列)で、『ヴェルサイユ宮殿の庭園を上空から見ると、あのネズミに見える』と紹介される。重要文化財であるヴェルサイユ宮殿の上空は飛行禁止であったため、フジテレビの問合わせに対し、宮殿の管理を行なう関係者は、「全く知らなかった。こんな変な問合わせをしてきたのは、あなた達が初めてだ。」と驚いた様子が放送されている。 
1757年 - 七年戦争(1754年から1763年まで[主な戦闘は1756年から1763年まで]行なわれた戦争で、直接の原因は、ハプスブルク家[現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系]が、オーストリア継承戦争で失ったシュレージエン[現在のポーランド南西部からチェコ北東部に位置するシレジア]を、プロイセン[現在のドイツ北東部からポーランド北部を支配した国]から奪回を意図したことであるが、そこに1754年以来の英仏間の植民地競争が加わり、世界規模の戦争となる): プラハの戦い。プロイセン軍とオーストリア軍との会戦で、プロイセン軍が勝利する。 
1833年 - ドイツの数学者・天文学者・物理学者で、19世紀最大の数学者の1人とされるカール・フリードリヒ・ガウスと、ドイツの物理学者、ヴィルヘルム・ヴェーバーが、ドイツ中部の大学都市ゲッティンゲンに、商業的には使用されなかったものの、世界初となる実用的な電信装置を設置する。 
1861年 - 南北戦争: アーカンソー州がアメリカ合衆国を脱退。 
1887年 - 東京綿商社(後の繊維等のメーカー、カネボウで、2008年に消滅する)が設立される。東京府南葛飾郡隅田村の通称、鐘ヶ淵(現在の東京都墨田区墨田)に紡績会社として創業し、紡績工場は1889年に完成する。明治時代後半から昭和初期にかけて、国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めたが、第二次世界大戦下の1945年の空襲等で、国内外の工場を失い、ゼロから再出発することになる。多角化路線を推進して、化粧品事業に乗出し、高収益の原動力としたが、1973年の第四次中東戦争がもたらしたオイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱は、繊維業界全体に影響を与え、カネボウは、人員の削減、工場の閉鎖・機能移転や不採算事業の撤退、子会社を吸収合併する等の経営改革に取組み、業績を回復する。1991年3月から1993年10月までの景気後退期、バブル崩壊以降、粉飾決算を繰返す等、経営は迷走して、2008年のカネボウ法人格消滅に至っている。 
1889年 - フランスの首都パリで、パリ万国博覧会が開幕。パリで開催された国際博覧会では4回目となり、フランス革命の発端とされるバスティーユ襲撃100周年となる年に開催される。この博覧会に合わせ、電波塔・展望タワーのエッフェル塔が建設されて、後にパリのシンボルとなる。
1891年 - 松方正義が第4代内閣総理大臣に就任し、第1次松方内閣が発足。 
1909年 - 「新聞紙法(明治42年5月6日法律第41号)」公布。「新聞紙法」は、日刊新聞、及び定期刊行雑誌を規制する法律である。「新聞紙条例(明治20年12月29日勅令第75号)」を引継ぐ形で公布・施行され、1949年に「出版法及び新聞紙法を廃止する法律(昭和24年5月24日法律第95号)」が公布・施行されて廃止となる。 
1909年 - 物理学者の長岡半太郎が、長岡係数を提唱。長岡係数とは、電気工学において、有限長ソレノイド(3次元のコイルで、螺旋状、特に密巻きにした形状のもの)のインダクタンス(誘導係数、コイル等において、電流の変化が誘導起電力となって現れる性質)を求めるための係数のことをいう。 
1910年 - イギリス国王エドワード7世が死去。エドワード7世の第二王男子、ジョージ5世が即位する。