5月4日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

競艇の日。
競艇場のイメージの向上と競艇ファンの拡大をねらい、山口県下関市長府松小田東町にある下関競艇場(本州にある公営競技施設としては最西端に位置する)が制定した。日付は、競艇の創始者である政治運動家・政治家・社会奉仕活動家、笹川良一の誕生日(1899[明治32]年5月4日)から。笹川良一の競艇創設の栄誉を称え、競艇の競走格付けの中で、最高峰のクラスに位置する競走、SG(スペシャルグレード)競走の1つである「笹川賞競走」が、毎年5月に行なわれている。「笹川賞競走」は、2014(平成26)年から「ボートレース オールスター(BOAT RACE ALL STARS)」という通称名称が用いられている。他のSG(スペシャルグレード)競走とは異なり、ファン投票によって出場選手が決定される。笹川良一は、大阪府三島郡豊川村小野原(現在の大阪府箕面市小野原)に、造り酒屋(蔵で酒を醸造し、店舗でそれを販売する職業であり、元々素封家が多く、地域の名士的存在ともなっている)の長男として生まれた。笹川記念会館(東京都港区三田に所在し、各種会議室や、大人数を収用可能なホールが設置されている)、船の科学館(東京都品川区東八潮に所在する海事博物館で、初代南極観測船『宗谷』の展示公開と、屋外展示場での収蔵物展示を中心に、博物館として営業しており、体験教室等、各種イベントを実施している)、箕面市や全国の競艇場、競艇関係の施設には、笹川良一の孝子像(こうしぞう)が置かれている。孝子とは、父母によく仕える子どものことで、この像は、笹川良一が59歳の時、82歳の母親テルを背負って、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社で、「こんぴらさん」と呼ばれ、親しまれている金刀比羅宮に参るため、785段の石段を登っている様子を表わしている、とされる。「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」「世界は一家、人類は皆兄弟」との碑文が刻まれている。なお、この銅像は、笹川良一の生前に建立され、開示されたものである。競艇は、競輪・競馬・オートレース(プロの選手達が、競走車(現在では二輪車のみで、過去には四輪車もあった)によって行なう公営競技)と並ぶ公営競技の1つで、 「モーターボート競走法(昭和26年6月18日法律第242号)」を始めとする法令・ルールの下、プロの選手達によって行なわれるモーターボート競技、かつギャンブルである。「モーターボート競走法」により、総務大臣による指定自治体が「地方自治法(昭和22年4月17日法律第67号)」に基づく一部事務組合(複数の普通地方公共団体や特別区が、行政サービスの一部を共同で行なうことを目的として設置する組織)となり、パリミュチュエル方式(投票券の総売上げをプールし、興行主はそこから一定割合を差引き、残りの金額を勝ち投票券に配分する方法)により、勝舟投票券(舟券)を販売している。舟券の売上げの内、75%は払戻金に充てられる。残り25%の内の7%は収益金として自治体が受取り、18%は賞金や従業員の賃金、公益財団法人日本財団(旧:財団法人日本船舶振興会)への交付金、モーターボート競走会への委託料等に充てられる。所轄官庁は国土交通省海事局(2001[平成13]年の中央省庁再編前は運輸省)で、造船関係の産業を振興すること等を目的として、1952(昭和27)年から実施された。かつての呼称は、「ボート」「ボートレース」「モーターボート競走」と統一性はなかったが、1997(平成9)年度から2009(平成21)年度まで「競艇 (kyotei)」に統一され、2010(平成22)年度からは、統一呼称を「BOAT RACE」(ボートレース)に変更した。競艇選手には定年がなく、他の公営競技と比べ、現役選手として活動する期間が長く、経験が豊富で駆引きの巧みな年長者と新人選手の競走も見所である。先輩・後輩の力関係、日本各地の競艇場を転戦するため、選手の出身地も舟券予想の重要なポイントの1つとされる。一見、機械に依存している様に見えるが、実際には熱い人間ドラマが繰広げられている。選手に要求される能力は、スタート勘の良さとターンマークを旋回するテクニック、さらに、モーターを整備する手腕である。第二次世界大戦前からあった公営競技の競馬が第二次世界大戦後の1946(昭和21)年に復活すると、地方自治体の戦後復興のための財源の1つとして、1948(昭和23)年には競輪が、1950(昭和25)年にはオートレースが新たに公営競技として始まり、1951(昭和26)年に競艇も認められた。1950(昭和25)年5月、神奈川県逗子海岸と東京都の江戸川で、日米対抗の「逗子モーターボートレース」が開催され、これを元に、現在の競艇が構築されたと言われる。レース開始は、1952(昭和27)年の大村競艇場(長崎県大村市玖島にある日本最西端の競艇場)からとなる。  
うすいえんどうの日。 
和歌山市美園町に所在する、全国の農業協同組合が出資し組織している「全国農業協同組合連合会(JA全農)」の中の県本部組織の1つ、和歌山県農業協同組合連合会(JA和歌山県農)が制定。和歌山県は、「実えんどう」の内、「うすいえんどう」の収穫量日本一を誇っている。日付は、収穫期がピークとなる5月のゴールデンウィークの頃で、2007(平成19)年から「みどりの日」となったこの日を、うすいえんどうのさわやかな緑と重ね合わせたもの。この日には、豆むき大会等のイベントが開催される。「うすいえんどう」は和歌山県の特産品で、生産量の約750%以上を占め、中でも、和歌山県中部の日高地方が一大産地となっている。関東方面にはあまり出回っておらず、主に関西方面の地域で流通、消費されている。 「うすいえんどう」は、えんどう豆の一種で、莢(さや)を取って中の未成熟の実を食べる「実えんどう」である。一般的に、グリーンピースと呼ばれている種類であるが、冷凍物や缶詰等とは違い、豆ご飯や卵とじ等、様々な料理に使える春の旬野菜として関西では親しまれてる食材である。「うすいえんどう」は、実が大きく上品で繊細な甘みがあり、ほくほくとした食感が特徴とされ、グリーンピースと比べて皮が薄く、青臭さも少ない。 
しらすの日。 
愛媛県西宇和郡伊方町川之浜に本社を置き、しらす等の海産物の加工販売を手掛ける企業、朝日共販株式会社が、しらすの美味しさを多くの人に知ってもらおうと制定。日付は、5月は全国的にしらす漁が全盛となる旬の時期で、しらすの「し」を「4」と見立てて、5月4日とした。また、この日は「みどりの日」で、森や山からの豊富な恵みが豊饒な海をつくり、上質なしらすを育ててくれることへの感謝の意味も込められている。朝日共販株式会社の看板商品は「釜あげしらす」で、捕れたてのしらすをさっとボイルし、讃岐(現在の香川県)の塩のみを加えて作られる。シンプルであるからこそ、その新鮮さが際立ち、素材一本で勝負した、無添加の美味しさを楽しむことができる。しらすとは、カタクチイワシ・マイワシ・イカナゴ・ウナギ・アユ・ニシン等、体に色素がなく白い稚魚の総称である。シラウオ(白魚)、シロウオ(素魚)とよく混同され、シロウオのことを「しらす」と呼ぶ地方もある。しらすを塩ゆでにして干したものは、ちりめんじゃこ、しらす干し(白子乾し)等と呼ばれる。幼魚は、まだ骨格があまり発達しておらず、しらす干し等は様々な食品にまぶして丸のまま食べられる。ごはんの上にふり掛けたり(しらす丼)、大根おろしと和えて、醤油で味付けしたりして食べられ、たんぱく質やカルシウムが豊富な食品である。塩茹でして加工されるものが殆どで、水分含有量の違いで区別され、茹上げ後、水切り程度で製品となるものが釜揚げと呼ばれ、85%前後の水分含有量となる。50%から60%程度に乾燥されたものが白す干と呼ばれ(関西では太白とも)、25%から35%程度まで乾燥させたものがちりめんと呼ばれて(関東ではかちり等)、区別される。それ以外の加工方法として、畳いわしという海苔を作るような方法で、しらすを板状に乾燥させたものがあり、これは水分含有量15%程度となる。また、近年は生食の消費も増えてきている。かつては、関西以西ではちりめんが主流、静岡周辺は釜揚げが主流、関東以北はシラス干が主流となっていたが、現在は流通事情も変わり、昔程の地域性はなくなった。漁場は主に太平洋沿岸で、豊後水道、瀬戸内海、伊勢湾、駿河湾、相模湾等でも多く漁獲される。