5月3日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

スケートパトロールの日。 
岐阜県のスケートボード等の愛好家グループ「RED SKATE(レッドスケート)」が、スケートボーダー(スケーター)のマナーの向上、ルールの尊重、地域貢献等を目的とした活動「スケートパトロール」を行なっていることから制定した日。日付は、ルールを守ることから憲法記念日の日であり、清掃活動等を行なうことから、5月3日の「5」と「3」で、「ゴ(5)ミ(3)」と読めるこの日に。スケートボードとは、一枚の板に車輪が付いた乗り物(運動用具)で、単にスケートと呼ばれる他、日本では「スケボー」と略して呼ばれることもある。通常は、4つの車輪を持つ1枚の板に足を固定せずに立って乗る。全長31インチ(約78cm)程度のものが一般的となっている。1960年代に、車輪を靴底に取付けて地面を滑走する運動用具、ローラースケートを流用した、木製四輪キックスケーター(地面を蹴って進む、ハンドル付きの乗物)からハンドルを取ったものが、スケートボードの原型と言われている。その後、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のサーファーが、水を抜いたすり鉢状のプールで乗り始めたことから、流行が本格化する。当時は「サイドウォークサーフボード」「ロックライダー」等と呼ばれていた。1970年代には、それまでの単なるサーフィンの練習用のものから、グラスファイバーを使ったスラローム向けの小さめ(幅約15cm)の板と、合板を使ったランプ向けの大きめ(幅約25cm程)の板に分派した。また、この時代より、大きめの板の「裏側」に着目して、飲料水メーカー等のグラフィックが描かれる様になる。この裏面のグラフィックアートが、その世代の流行を反映しながら、今日まで続いている。1980年代頃からは、優秀なスケーターにはスポンサーが付くようになり、スケートボード専門誌が設立され、世界的にも広く普及し始めた。2000年代に入ると、従来のスケートボードはストリートスタイル普及の結果、街頭の建造物がスケートボーダーにより破壊される問題が発生し、街頭でのスケートボーディングが一部制限される。代わりに、公共スケートパークが増え、パークスケートボーディングが発展した。「道路交通法(昭和35年6月25日法律第105号)」では、スケートボードは「ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為」として、「交通のひんぱんな道路」における使用が禁止されている。「ひんぱん」の基準に関しては、明確な基準はないが、概ね、他の歩行者や車両等との交通の危険が生じうる程度の交通量がある場所と解される。実際に、逮捕・検挙者も出ている。スケートパークは、主にスケートボード、アグレッシブインラインスケート(アイススケートのブレード[刃]状に、細いウィール[車輪]を縦一列に配置したローラースケート、インラインスケート[専用設計されたもの]を用いて行なう、エクストリームスポーツ[速さや高さ、危険さや華麗さ等の「過激な」要素を持った、離れ業を売りとするスポーツ]の一種)、フリースタイルバイシクルモトクロス(BMX)向けに作られた運動施設で、舗装面にジャンプ台等の構造物(セクション)が設置されている。略称、及び競技種目として、単にパーク(Park)とも呼ばれる。スケートボーダー向けに、ハーフパイプ(円筒を半分にして横に倒した形状をしており、水平な底面ボトム、円弧状の斜面トランジション、頂上の水平部分デッキからなるセクション[構造物])やボウル(曲面に囲まれた窪地)を備えた施設が作られたことが始まりで、やがて、ローラースケートやバイシクルモトクロス(BMX)にも使われるようになったが、施設によっては、スケートボード専用であったり、バイシクルモトクロス(BMX)の部品に条件を付けている場合もある。厳しい規定を持った施設以外ではキャスターボード、マウンテンボード、スネークボード等のスケートボード亜種やフリーラインスケート、キックスケーター、マウンテンバイク等でも利用されている。利用者の増加に伴なって、自治体による公営スケートパークも作られるようになっており、利用料が掛からないものも多い。徹底の度合いは不揃いであるが、殆どの施設では、ヘルメットやニーパッド、エルボーパッドの着用が義務付けられている。スケートボード競技は、2021(令和3)年に開催された東京オリンピック(第32回オリンピック競技大会)の競技種目となり、男子ストリートで堀米雄斗、女子ストリートで 西矢椛、女子パークで四十住さくらが、それぞれ金メダルを獲得した。  
五三焼カステラの日。
長崎県雲仙市愛野町に本社を置き、長崎県内各地に店舗を構えて、カステラ等の菓子や、長崎ちゃんぽん・皿うどん等の麺類、冷凍惣菜等の製造販売、売店・レストラン等の経営等を手掛ける企業、有限会社和泉屋が指定。有限会社和泉屋の、通常品よりも卵黄をぜいたくに使い、しっとりとした舌ざわりと、深く濃厚な甘さの「五三焼カステラ」を、より多くの人に知ってもらい、その美味しさを味わってもらうことが目的。この日を記念して、「カステラづくり体験 ペアご招待」「和泉屋商品詰合せ」が当たるプレゼントキャンペーンが実施される。日付は、「五三焼カステラ」の名前の由来が、使用する卵黄と卵白の割合が五対三であったこと、大切な贈り物として桐箱に収めて贈ることから、桐の家紋「五三の桐」に因んで名付けられたとの説から、「五」と「三」で5月3日に。極一部の熟練した職人にしか焼き上げることは難しいとされる「五三焼カステラ」の味は、職人の「技の結晶」とも言われ、想いを込めて贈るにふさわしい、長崎カステラの特撰品である。因みに、ゴマノハグサ科の樹木であるキリ(桐)の葉や花を図案化した桐紋の基本的図案の1つで、花の数が3-5-3となる「五三の桐」は、その代表的なものとなる。古くから、キリ(桐)は鳳凰(中国神話の伝説の鳥、霊鳥で、日本や朝鮮等、東アジア全域に亘って、装飾やシンボル、物語・説話・説教等で登場する)の止まる木として神聖視されており、日本でも、9世紀前半の第52代天皇、嵯峨天皇の頃から、天皇の衣類の刺繍や染抜きに用いられる等、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。また、中世以降は、天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や豊臣秀吉等も、これを天皇から賜っている。このため、花の数が5-7-5となっている五七の桐は、「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。
F&E酵素の日。
北海道札幌市北区百合が原に所在する、発酵飲料や機能性飲料の製造・販売等を手掛ける企業、株式会社ケルプ研究所が制定。日付は、5月3日の「5」と「3」で、「酵素(こう[5]そ[3])」と読む語呂合わせから。株式会社ケルプ研究所が販売する「F&E酵素」は、野菜や果物のエキスを発酵させた植物エキス発酵飲料。原料に由来する酵母や乳酸菌を活かして発酵させる、日本の伝統的な自然発酵の製法を創業時から変えずに守り続け、手間と時間を掛けて丁寧に製造している。記念日を通して、「F&E酵素」をより多くの人に知ってもらうことが目的。株式会社ケルプ研究所の創業は1978(昭和53)年のことで、それ以来「F&E酵素」の製造を行なっている。仕込み作業が殆ど手作業でしか行なえない等、手間と時間と経験が必要なことから、同種の製品は、国内で数社のみが製造を行なっていると言われている。株式会社ケルプ研究所では、伝統的な製法を守りつつ、公的研究機関とも連携し、発酵過程の微生物動態の解明や、機能性の学術的検討を進めている。製品は、発酵エキスのブレンドのバランスによって「F&E緑ラベル」「F&E赤ラベル」「スーパーF&E鳳」の3つのランクを用意している。  
憲法週間。
憲法の精神や、司法の機能に対する理解を啓発をするための週間で、毎年、憲法記念日である5月3日を中心とした1週間、5月1日から5月7日までがこれに宛てられる。1950(昭和25)年の日本国憲法施行3周年式典に合わせ、憲法の意義について再確認することを国民に喚起する目的で、最高裁判所が中心となって「憲法記念週間」として始められた。1953(昭和28)年からは、法務省、検察庁、弁護士会の協力で実施され、1956(昭和31)年から、現在の「憲法週間」に改称している。この期間には、官民を問わず、各種団体が憲法に関する講演会等を開催している。  
可有忌(かゆうき)、木綿忌。
『誹風柳多留』の編者、呉陵軒可有(ごりょうけんかゆう[あるべし、とも]、1788[天明8]年没)を偲ぶ法要が、この日に行なわれる。『誹風柳多留』は、江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集である。単に『柳多留』と呼ぶこともある。前句付けの点者、柄井川柳が前句付け興行の『万句合』で選んだ句の中から、呉陵軒可有が掲載作を選考した。前句付け興行は、柄井川柳の号である『川柳』の名が、宗家として代々受継がれたことから、『川柳』と呼ばれるようになる。呉陵軒可有こと作者名(別号)木綿は、『誹風柳多留』の企画者、著者として重要な人物となっている。なお、前句付けとは、連歌、俳諧連歌が本来、発句から始めて参加者が交互に下の句を続けていく集団文芸であるのに対し、逆に下の句(七・七)のお題を用意し、気の利いた上の句(五・七・五)を考えて技巧を競うものである。この前句付けが独立したものが『川柳』で、俳句にみられる季語や切れの約束がなく、現在では口語が主体であり、字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られる等、規律に囚われない言葉遊びの要素も少なくない。