5月2日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0073年 - ユダヤ人(ユダヤ教を信仰する人々)最後の拠点となったマサダ(イスラエル東部、死海西岸近くにある岩山の上の要塞跡)がローマ軍により陥落し、第一次ユダヤ戦争が終結する。 
1164年 - 武士としては初めて太政大臣(司法・行政・立法を司る最高国家機関、太政官の長官)に任ぜられ、政治の実権を握っていた平氏棟梁(統率者)、平清盛の三女、平盛子が関白藤原基実の妻となり、北政所(宣旨[天皇の命令を伝達する文書]をもって特に授けられた摂政・関白の正室の称号)を称する。 
1536年 - イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃、アン・ブーリンが反逆罪・不義密通の容疑で逮捕され、5月19日に処刑される。 
1808年 - 半島戦争(スペイン独立戦争):スペイン中央部のマドリード(現在のスペインの首都)で、市民がフランスの占領に対し暴動を起こす。フランス軍が約1,500名の市民を射殺する事態となる。 
1864年 - 天狗党の乱。筑波山(関東地方東部、現在の茨城県つくば市北端にある山)で、常陸国水戸藩藩士で水戸藩過激派(尊皇攘夷派、天狗党)の首領格、藤田小四郎ら62名が蜂起する。最盛期には約1,400名という大集団へと膨れ上がったが、幕府軍によって鎮圧される。 
1875年 - 東京と横浜で郵便貯金業務を開始。 
1885年 - ベルギー国王レオポルド2世がコンゴ自由国を設立。コンゴ自由国は、かつてアフリカのザイール川流域に存在した国で、国と称しているが、実態はベルギー国王レオポルド2世の私領地である。植民地時代を経て、後にコンゴ共和国(1971年に国名をザイール共和国とするが、現在は中部アフリカに位置する、コンゴ民主共和国となっている)として独立を果たす。 
1889年 - イタリアとエチオピア帝国が、東アフリカに位置するエチオピアを、イタリアが事実上保護国化する内容のウッチャリ条約に調印。 
1896年 - 中央ヨーロッパに位置するハンガリーの首都ブダペストの地下鉄、ブダペスト地下鉄初の区間が開通。 
1904年 - 土佐電気鉄道(現在のとさでん交通)本町線(現在の伊野線の一部)の堀詰 - 乗出(現在のグランド通)間、潮江線(現在の桟橋線の一部)の梅ノ辻 - 桟橋(現在の桟橋車庫前)間が開業。
1906年 - 「医師法(旧法、明治39年5月2日法律第47号)」が制定され、医師の開業許可制が免許制となる。「医師法(旧法)」は、後の1948年に全部改正され、「医師法(新法、昭和23年7月30日法律201号)」となる。 
1906年 - 「歯科医師法(旧法、明治39年5月2日法律第48号)」公布。後の1948年に全部改正され、「歯科医師法(新法、昭和23年7月30日法律第202号)」となっている。
1913年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州で、日系人の土地所有を禁じる「カリフォルニア州外国人土地法(排日土地法)」が制定される。 
1916年 - アメリカ海軍のネバダ級戦艦の2番艦『オクラホマ』が就役。ネバダ級戦艦は、アメリカ海軍において初めて三連装砲塔を搭載した艦であり、集中防御形式を採用した最初のクラスでもある。第二次世界大戦対米英戦開戦時、日本海軍が、太平洋中央部の洋上に位置するアメリカ合衆国自治領、ハワイ準州(1959年8月21日、完全なアメリカ合衆国領としてハワイ州が成立し、今ではアメリカ合衆国50番目の州として認知されている)のオアフ島南部に所在する入り江の1つで、湾内にアメリカ海軍の軍事拠点(軍港)等が置かれている真珠湾を奇襲攻撃(空爆)した際、真珠湾を母港としていた『オクラホマ』は、日本海軍の艦載機編隊から集中攻撃を受け、転覆沈没する。その後は、最低限の処理が行なわれたのみで、真珠湾内にて横転着底状態のまま放置され、1944年9月1日に退役扱いとなる。  
1920年 - 上野恩賜公園(上野公園、現在の東京都台東区にある大型の公園)で、労働団体が挙行する、「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」等を訴えた集会、第1回メーデーが開催され、約5,000名が参加する。翌年からは5月1日の開催となり、開催地や参加人数も増えていったが、1936年にはメーデーの開催が禁止される。第二次世界大戦後の1946年、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年振りのメーデーが、通算で17回大会として、盛大に開かれている。 
1933年 - 強制的同一化: 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が労働組合を禁止する。なお、強制的同一化とは、政治や社会全体を「均質化」しようとする、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党[ナチス]支配下のドイツ国)の根本政策、及びその思想である。 
1945年 - 第二次世界大戦・ベルリンの戦い: 赤軍(ソビエト連邦の地上軍[陸軍])がドイツの首都ベルリンを占領する。 
1945年 - 第二次世界大戦: イタリア戦線の枢軸軍が連合軍に降伏。 
1947年 - 翌日の日本国憲法施行に伴なう形で、この日限りで枢密院(枢密顧問[顧問官]により組織される天皇の諮問機関)が廃止される。 
1947年 - 「外国人登録令(昭和22年5月2日勅令第207号)」公布・施行。大日本帝国憲法下で公布された最後の勅令(「ポツダム勅令」)となる。また、「外国人登録法(昭和27年4月28日法律第125号)」の前身的法令でもある。なお、「外国人登録法」は「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律(平成21年7月15日法律第79号)」の施行により、2012年には廃止となっている。因みに、「ポツダム命令」は、いわゆる「ポツダム緊急勅令」に基づいて発せられた一群の命令の総称である。いわゆる「ポツダム緊急勅令」や「ポツダム命令」は、「ポツダム命令」の一種である。そして、「ポツダム緊急勅令」とは、大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき1945年9月20日に公布・即日施行された「『ポツダム』宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年9月20日勅令第542号)」の通称である。
1948年 - 同年4月28日施行の「夏時刻法(昭和23年4月28日法律第29号)」に基づき、日本で初めてのサマータイム(夏時間)を実施。夏時間とは、夏(正確には晩春から初秋)の間だけ、中央標準時に1時間を加えたタイムゾーンを採用する制度である。実施期間は「五月の第一土曜日の翌日(日曜)から九月の第二土曜日まで」とされている。この法律により、夏時間は1948年5月から毎年実施される。しかし、4回の実施を経て5回目直前の1952年4月11日に「夏時刻法」は廃止される。以後、日本では、法律に基づく全国一斉の本格的なサマータイムは実施されていない。 
1948年 - 東京にある講道館大道場(現在は東京都文京区春日に所在)で、第1回全日本柔道選手権大会が開催される。 
1949年 - 「国民金融公庫法(昭和24年5月2日法律第49号)」公布。この法律に基づいて、国民金融公庫が発足する。独立して継続が可能な事業の資金の内、一般の金融機関からその融通を受けることが困難で、かつ国民大衆が必要とするものを供給していたが、現在では、国民生活金融公庫を経て解散し、株式会社日本政策金融公庫に業務移管されている。 
1950年 - 「電波法(昭和25年5月2日法律第131号)」「放送法(昭和25年5月2日法律第132号)」「電波監理委員会設置法(昭和25年5月2日法律第133号)」の、いわゆる「電波三法」が公布される。第二次世界大戦終結後、日本で占領政策を実施した連合国軍機関、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、無線通信の利用について規定していた法律、「無線電信法(大正4年6月21日法律第26号)」を、新しく公布される日本国憲法に沿った、民主的な法律に改正するよう要求する。後に電波三法と呼ばれる形で法律案が作成されたが、紆余曲折を経て、内閣から独立した形で、電波監理を司る行政委員会(一般行政部門に属する、合議制の形態を採る行政庁)、電波監理委員会を設置することとなり、「電波法」、及び「放送法」と共に、「電波監理委員会設置法」が制定されたが、1952年4月に日本の主権が回復すると、同1952年7月31日には、「郵政省設置法の一部改正に伴う関係法令の整理に関する法律(昭和27年7月31日法律第280号)」により廃止され、電波監理委員会は郵政省(現在の総務省と日本郵政[JP]グループの前身)に統合され、電気通信は再度、国家管理されることになる。