歯科医師記念日。
東京都千代田区九段北に所在する社団法人日本歯科医師会(現在は、公益社団法人となっている)が、1957(昭和32)年5月に制定。1906(明治39)年5月2日、「歯科医師法(旧法、明治39年5月2日法律第48号)」が施行された。日本歯科医師会では、この日を歯科医師記念日と定めている。なお、「歯科医師法(旧法)」は1948(昭和23)年に全部改正され、「歯科医師法(新法、昭和23年7月30日法律第202号)」となっている。歯科医師は、歯学に基づいて傷病の予防、診断、及び治療、そして公衆衛生の普及を責務とする医療従事者である。日本において、その職務等に関しては、「歯科医師法」により規定されている。業務独占資格(ある資格を有する者のみが行なうことができるもの)、及び名称独占資格の医療資格(資格取得者以外の者にその資格の呼称の利用が法令で禁止されているもの)である。明治維新以前は、口歯科、口中科を専業にする医師がいて、口、喉、歯の治療を行なっていた。世界的には、紀元前2500年頃のものと推定される義歯が、古代エジプトのギーザ遺跡(現在のエジプト東北部に所在)から発掘されている。1874(明治7)年8月に「医制(明治7年8月18日文部省ヨリ東京京都大阪三府ヘ達)」が公布され、西洋を模範とした医療制度が整えられ始めた。「医制」により、医師になるには、医術開業試験を合格することが求められた。1875(明治8)年、豊前国中津(現在の大分県中津市)出身の小幡英之助は、第1回目の医術開業試験に「歯科」を専門に試験を申請し合格した。小幡英之助は医籍4号をもって登録された。これは「歯科を専攻する医師として登録された」ということであるが、小幡英之助が西洋歯科医学を専攻した先達であり、「歯科」という語を初めて用いたこともあり、日本で最初の(近代)歯科医師とされている。1883(明治16)年、医籍とは別に歯科医籍が作られ、医師と歯科医師とは独立した、別個の存在となった。1906(明治39)年に「歯科医師法(旧法)」が制定されたが、1942(昭和17)年、第二次世界大戦中の医療体制確立のために、「医師法(旧法、明治39年5月2日法律第47号)」と合わせられ「国民医療法、昭和17年2月25日法律第70号)」となったが、歯科医師制度そのものに変化はなかった。第二次世界大戦後、「国民医療法」は、「医師法(新法、昭和23年7月30日法律第201号)」「歯科医師法(新法)」「医療法(昭和23年7月30日法律第205号)」(医療機関について規定した法律)に分かれ、現在に至る。歯科医師は、歯科医療と保健指導を掌ると定められるが、「歯科医業」とは、咬合構築に関与する行為(補綴、充填、矯正)、歯牙・顎骨・口腔粘膜・舌・口唇・唾液腺・咀嚼筋等の下顔面に発生する疾患の治療、全身疾患の内、口腔、又は下顔面に症状を現わす疾患の治療、及び機能回復訓練、等の行為をいう。業として、医行為(医療行為)を行なうことをいう医業について、「医師法(新法)」では、「医師でなければ、医業をなしてはならない」と規定されており、医師(医師免許を持つ者)以外が行なうことを禁止している。これに対して、「歯科医師法(新法)」では、「歯科医師でなければ、歯科医業をなしてはならない 」と規定されている歯科医業があるが、医業と歯科医業が重複することもあり、重複している部分は、医師、歯科医師共に医療行為を行なってもよい。各都道府県歯科医師会を法人会員として、都道府県歯科医師会会員となっている歯科医師を個人会員として組織される職能団体(法律や医療等の専門的資格を持つ専門職従事者らが、自己の専門性の維持・向上や、専門職としての待遇や利益を保持・改善するための組織)、公益社団法人日本歯科医師会は、1903(明治36)年、日本最古の歯科大学である東京歯科大学の前身、高山歯科医学院を設立した歯科医、高山紀齋等によって設立され、国民へ歯科に関する予防・啓発事業等を実施しており、職能団体として、歯科に関する啓蒙、啓発活動や患者、及び、歯科医師の権利を守るための社会的活動等を行なっている。
婚活の日。
業界屈指のカウンセラー数を誇り、紹介とサポートの両面から幸せな結婚へのチャンスを広げる結婚情報サービス運営企業、サンマリエ株式会社(現在は、東京都新宿区西新宿に本店を置く、婚活事業を展開する企業、株式会社IBJ傘下の株式会社サンマリエとなっている)が制定。記念日を制定することで、結婚活動(婚活)をバックアップする姿勢をさらに明確にした。日付は、5月2日の「5」と「2」で、「婚活(こ[5]んかつ[2])」と読む語呂合わせから。会員1人ひとりが、より豊かに人生を歩むことができるように、ベストパートナーづくりのプロとしての意識を高く持ち、成婚者数業界No.1の結婚相談所を目指している株式会社サンマリエでは、担当スタッフからの紹介を軸にして、お見合い、データベース検索、お見合いパーティー、お役立セミナー等、多種多様のサービスを用意している。結婚活動を略した婚活は、就職活動を表わす「就活」をもじった造語で、結婚相手を見付けるための積極的な活動をいう。晩婚・非婚時代と言われるようになり、理想の結婚相手を見付けるためには、就職活動と同じく幅広い情報の入手や積極的なアピールが欠かせないという意識が、若い世代の「婚活」を後押ししている、ともされる。婚活ビジネスも盛況で、自治体が見合いパーティー等を主催する「婚活」支援事業や、特定非営利活動法人(NPO法人)の支援活動も注目を浴びている。婚活という言葉は、2007(平成19)年に晩婚化や非婚化の実態を取上げた週刊誌『朝日新聞ウィークリー AERA(アエラ)』(朝日新聞社出版本部が発行する週刊誌で、2008[平成20]年以降は、朝日新聞社の完全子会社である朝日新聞出版が発行している)の記事が話題になった後、社会学者・コピーライターの山田昌弘が、その著書『「婚活」時代』(2008[平成20]年刊行)の中で、ジャーナリストの白河桃子と共に考案・提唱したもので、2008(平成20)年の新語・流行語大賞(年刊事典・用語辞典「現代用語の基礎知識」を発行する出版社、自由国民社が、その年1年間に発生した「ことば」の中から、世相を軽妙に映し、多くの人々の話題に上った新語・流行語を選び、その「ことば」に関わった人物、団体を顕彰するとされている賞で、2004[平成16]年より、ユーキャン新語・流行語大賞に改称している)候補にもなった。2010(平成20)年には、佐賀県伊万里市が婚活応援課を新設して話題となった。また、防衛省と自衛隊の広報誌『MAMOR(マモル)』では、「マモルの婚活」という連載が始められ、自衛官の結婚に関する話題を掲載している。婚活は、さまざまな形式で社会に定着しつつあり、商店街で割安に飲食しながら合コンを楽しめる「街コン」、ボランティア活動への参加をきっかけに、趣味等の共通する相手を見付ける「ボラ婚」、ソーシャルネットワーク(「SNS」とも呼ばれる、人と人との現実の関係をインターネットを使って補助するコミュニケーション・サービス)等を介して相性のよい異性を紹介してもらう「ソーシャル婚活」、親同士が積極的に結婚相手を探すことを意味する「代理婚活」等、次々に新たな活動と関連語を生み出している。また、2013(平成25)年11月には、自由民主党(自民党)内に「婚活・街コン推進議員連盟」が設立され、男女の出会いを応援する国の取組みを支える活動も始まった。なお、山田昌弘は、1999(平成11)年に、成人後や学卒後も親と同居し続ける未婚者を「パラサイト・シングル」と命名して話題となり、一躍その名を知られるようになっている。
VIVUS GOLFの日。
愛知県名古屋市中区丸の内に本社を置く、ゴルフ専門プレミアムトータルスキンケアブランド「VIVUS GOLF(ビーバースゴルフ)」等を手掛ける企業、株式会社WEGO JAPANが制定。日付は、季節感と「ゴ(5)ルフ(2)」と読む語呂合わせから。長い冬が終わり、花々が咲き誇る気持ちのいい季節に、知人や家族、同僚等とゴルフに出掛け、心も体もリフレッシュする健康的なゴルフライフを楽しんでもらうことが目的。記念日を通して、自社ブランドのアピールと全国のゴルフプレイヤーを応援し、ゴルフ業界を盛上げたい、との願いも込められている。「VIVUS GOLF(ビーバースゴルフ)」は、プレミアム等級の有効成分と独自の技術を利用して、「ゴルフ場特有の皮膚ストレスからプレイヤーを保護する化粧品を開発しよう」という熱意から始まった。現在はゴルフ業界だけでなく、様々なスポーツや美容業界でも注目されている。「VIVUS」は、ラテン語(ギリシャ語と並んで西欧の古典語で、古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた)で「LIFE」「活気に満ちた」という意味。「VIVUS GOLF(ビーバースゴルフ)」は、新しい視点と厳選された原料、個性溢れるユニークなデザインで、より楽しくエネルギッシュな「VIVUS GOLF LIFE STYLE」を提案し、プレイヤーの生き生きとしたゴルフライフを応援する。