4月30日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

学力鑑定士の日。
学力全般を評価する専門家である学力鑑定士。その学力鑑定士によって、学習成果である知の財産を保障する制度を構築することを目的に、学力鑑定士に関する情報をホームページで公開している学力鑑定研究所が制定。日付は、その仕組みがホームページで公開された日に因んでいる。学力鑑定士の使命は、生涯をかけて蓄積した知の財産を守ることであり、英語等、専門とする学力を評価する鑑定士のことを基礎学力鑑定士といい、英語力鑑定士、数学力鑑定士、国語力鑑定士等がある。
派手髪の日。
福岡県北九州市小倉北区浅野に本社を置く、ヘアースタイリング剤やヘアカラーワックス等の開発・製造・販売を手掛ける企業、株式会社EMAJINYが制定。日付は、仮装するイベントとして定着している「ハロウィン」(10月31日)から半年後の4月30日。ゴールデンウィークの期間であり、「こどもの日」にも近いことから、仮装体験に触れる日として定着させたい、との願いが込められている。株式会社EMAJINYは、髪型や髪の色も個性と認め、容姿への偏見や差別を無くしていくには寛容なコミュニケーション力を身に付けることが重要、と考えている。記念日を通して、派手な髪や奇抜な髪型をしてもらい、他者を許容する力を養う日とすることが目的。株式会社EMAJINYでは、様々な色の「EMAJINY ヘアカラーワックス」や「鬼髪ヘアスタイリングスプレー」等の商品を販売している。「ヘアカラーワックス」は、ワックス感覚で気軽に1日ヘアカラーチェンジができる。使い方はワックスと同じで、手のひらでよく馴染ませ、乾く前に髪の上から馴染むように塗り込むだけでOK。カラーリングでは色を出すのが難しい、青や銀色も鮮やかに発色する。使用後は、石鹸やシャンプーだけで洗い流せる。
ヴァルプルギスの夜。
ヴァルプルギスの夜は、4月30日、或いは、5月1日に、中央ヨーロッパや北ヨーロッパで広く行なわれる行事である。古代ケルト人(中央アジアの草原から、馬と車輪付きの乗り物[戦車、馬車]を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族)の文化には、バルティナ、或いは、ケートハブンと呼ばれる春の祭りが5月1日にあり、この祭りの前夜がヴァルプルギスの夜等と呼ばれ、魔女達がサバト(ヨーロッパで信じられていた、魔女崇拝の集会)を開き、跋扈(ほしいままに振舞うこと)する等と伝えられていた。ケルト人達は、1年を暖季と寒季の2つに分け、暖季を迎えるこの日を、寒季の訪れる11月1日のサァオイン、或いは、ハロウマスの祭りと共に、季節の変わり目として大切にしていた。祭りは、710(和銅3)年にウェセックス(イングランドの七王国[中世初期に、現在のドイツ北岸から、北大西洋の洋上、ドーバー海峡を挟んで北西の方向に位置するグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が、同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国]の1つ)で生まれた聖ワルプルガに因んで名付けられた。聖ワルプルガは、8世紀に、フランク王国(最盛期には、イベリア半島とイタリア半島南部を除く、西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域を支配した国)にキリスト教を伝えた宣教師・殉教者、聖ボニファティウスの姪で、779(宝亀10)年2月25日に亡くなり、その日は、今も伝統的な聖人暦では聖名祝日として暦に残る。歴史的なヴァルプルギスの夜は、キリスト教到来以前の、異教の春の風習に因んでいる。北ヨーロッパ全体に広がった古代スカンディナヴィア(北ヨーロッパに位置する、ヨーロッパ最大の半島)発祥の人々、ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は、「死者を囲い込むもの」とされていた。北欧神話(キリスト教化される前のノース人の信仰)に基づく神話の主神オーディンが、古い文字体系の1つであるルーン文字の知識を得るために死んだことを記念するもので、その夜は、死者と生者との境が弱くなる時間と言われる。篝火は、生者の間を歩き回ると言われる死者と、無秩序な魂を追払うために焚かれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことに繋がる。聖ワルプルガの聖なる日が、同じ日に移動されたことにより、聖ワルプルガの名が祝祭と結び付く。ヴァイキング(9世紀から12世紀にかけて、現在のイギリスやフランス等、西ヨーロッパ各地の海岸地帯で、 海賊活動と共に交易を行ない、一部は移住していった北方系の民族集団)が春を祝った風習がヨーロッパに広まることで、聖ワルプルガは同じ方法で讃えられ、2つの記念日が共に混じり合い、ヴァルプルギスの夜の祭りとして成立していった。5月を祝う祭りは、今も「五月祭(メイフェア)」としてヨーロッパに残っている。ドイツでは、ヴァルプルギスナハト、又はヘクセンナハト(「魔女の夜」という意味)は、4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜を指し、伝えられるところによれば、魔女達がブロッケン山で大規模な祭りを催して、春の到来を待つという。ブロッケン山は、中央ドイツ北部にある、ハルツ山地の最高峰で、ブロッケン現象による自然現象と、魔女の酒宴がヴァルプルギスの夜に催されることで有名である。ブロッケン現象とは、見る人の影の周りに、虹に似た輪が現れる現象である。最初にこの自然現象が報告されたのがブロッケン山で、現象の名の由来となった。ドイツを代表する文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの長編戯曲『ファウスト 第一部』での場面は「ヴァルプルギスの夜」と呼ばれ、第二部での場面は「古典的ヴァルプルギスの夜」と呼ばれる。
荷風忌。
作家・随筆家、永井荷風の1959(昭和34)年の忌日。永井荷風は、短編小説『地獄の花』等でゾライズム(自然主義文学の定義者であるフランスの作家、エミール・フランソワ・ゾラの唱えた,科学的・実証主義的な小説論、及び表現技法)を標榜。フランスから帰国後は、皮相な近代化に反発し、江戸趣味へ傾斜しつつ、終生反俗的な文明批評家としての姿勢を貫いた。慶應義塾大学文学部の主任教授も務め、その講義は、「講義は面白かった。しかし、雑談はそれ以上に面白かった」と、艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌と、その活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した詩人・作家、佐藤春夫が評したように好評であった。この講義から、探偵小説の創作や翻訳に活躍し、特に、「犯罪小説」と呼ばれる分野での先駆者として知られている推理作家の松本泰、第125代天皇、今上天皇の教育の責任者を務めた経済学者の小泉信三、小泉信三の同期生で、明治生命保険(いわゆる「四大生保」の一角を担う、現在の明治安田生命保険の前身の1つ)に入社した後は、創作と実業を両立させた、作家・評論家・劇作家の水上瀧太郎、生粋の江戸っ子として、伝統的な江戸言葉を駆使し、滅びゆく下町の人情を描いた俳人・作家・劇作家の久保田万太郎等の人材が生まれている。1952(昭和27)年、「温雅な詩情と高邁な文明批評と透徹した現実観照の三面が備わる多くの優れた創作を出した他江戸文学の研究、外国文学の移植に業績を上げ、わが国近代文学史上に独自の巨歩を印した」との理由で、文化勲章(科学技術や芸術等の、文化の発展や向上に目覚ましい功績のある者に授与される勲章)を受章する。翌1953(昭和28)年には、日本芸術院(文部科学省の外局[省内に置かれる、特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織]の1つである文化庁の「特別の機関」[特に必要がある場合に設置される機関]で、美術・文芸・音楽・演劇等、芸術のさまざまな分野において、優れた功績のある芸術家を優遇し、顕彰するために置かれた国の栄誉機関)会員に選ばれる等、名誉に包まれた。著作としては、長編小説の『あめりか物語』『ふらんす物語』『濹東綺譚』等や、訳詩集の『珊瑚集』、日記の『断腸亭日乗』等がある。 
ひとひら忌。
作家、渡辺淳一の2014(平成26)年の忌日。「ひとひら忌」という名称は、ベストセラーとなった長編小説『ひとひらの雪』に因む。渡辺淳一は、医業と並行して、北海道の同人誌に執筆を続ける。札幌医科大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした長編小説『小説・心臓移植』(1969[昭和44]年3月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。1970(昭和45)年、37歳の時に、総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる短編小説『光と影』で、第63回直木三十五賞(直木賞、無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞)を受賞し、本格的に作家活動を開始した。主題は、評伝、医療、恋愛の3つに大別されるが、各ジャンルを融合したものも少なくない。初期においては、医療をテーマとした社会派的な作品が多い。伝記は、時期を問わず書き続けられている他、医療や身体から恋愛論、身辺雑記に至るまで、幅広いテーマでエッセイも多く手掛けている。デビュー以来、約40年以上に亘り第一線で執筆を続け、ミリオン・セラーも複数ある。渡辺淳一の功績を称え、大手総合出版社の集英社により、2015(平成27)年に創設された渡辺淳一文学賞では、純文学・大衆文学の枠を超えた、人間心理に深く迫る豊潤な物語性をもつ小説作品が顕彰される。第1回の表彰は、翌2016(平成28)年3月に行なわれた。