4月27日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

国会図書館開館記念日(続き)。
世界各国の国立中央図書館は、法律等によって定められた納本制度によって、出版者に特定の図書館に出版物を納めることを義務付け、国内の出版物を網羅的に収集することを重要な役割としている。日本の国立中央図書館である国立国会図書館においては、「国立国会図書館法」が、国内全ての官公庁、団体と個人に出版物を国立国会図書館に納本することを義務付けている。納本の対象となる出版物は、図書、小冊子、逐次刊行物(雑誌や新聞、年鑑)、楽譜、地図、マイクロフィルム資料、点字資料、及びCD-ROM、DVD等、パッケージで頒布される電子出版物(音楽CDやゲームソフトも含む)等である。納本を求められる部数は、官公庁では2部から30部までの複数部であり、民間の出版物は1部である。納本以外の資料収集手段としては、寄贈、購入や、出版物の国際交換がある。購入を通じては、古書・古典籍等、納本の対象とならないものや、百科事典、辞典、年鑑等、参考図書として極めて利用の多い資料の複本、そして学術研究に有用であると判断され選択された外国資料が収集される。国際交換は、他国の国立図書館や議会図書館に対して、納本制度によって複数部が受入れられた官公庁出版物を主に提供することにより、交換で入手の難しい外国の官公庁資料等を収集するのに用いられている。こうして、国立国会図書館に新たに収集された資料は、1件1件についてその書名、著者、出版者、出版年等の個体同定情報が記述された書誌データが作成される。また、国立国会図書館の書誌データには、同館独自の国立国会図書館分類表(NDLC)によって分類番号が付けられ、国立国会図書館件名標目表(NDLSH)によって件名が付与されて、目録に登録される。現在では、目録の大半は NDL-OPAC としてオンライン化されており、その蔵書の内のかなり部分は、インターネット上から検索することが可能になっている。国会図書館の蔵書の中には、旧帝国図書館時代を含め、図書館が纏めて受入れた特色あるコレクションが含まれる。これらの特殊コレクションは、資料的に価値の高いものが多い。また、第二次世界大戦前に発禁処分を受けた書籍・雑誌もコレクションに含まれ、旧帝国図書館所蔵の発禁図書は一般資料の一部として、旧内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)保管の発禁図書は貴重書扱いのため、一定の制限下で閲覧に供されている。
駅伝誕生の日。
1917(大正6)年4月27日、「東海道駅伝徒歩競走」が始まった。東京奠都(明治維新の時、江戸が東京とされ、都として定められたこと)50周年記念として、讀賣新聞社会部長であった土岐善麿(歌人・詩人の石川啄木と親交があり、石川啄木を世に出すことに努めた歌人・国語学者でもある)の発案で、讀賣新聞社が主催した「東海道駅伝徒歩競走」では、京都の三条大橋を午後2時に出発し、東京の上野不忍池までの23区間、約508kmを走り抜き、到着したのは翌々日の午前11時34分であった。三条大橋と不忍池の畔には、それぞれ「駅伝発祥の地」の碑が現存する。これが、競技としての最初の「駅伝」とされる。「駅伝」という言葉は、「東海道駅伝徒歩競争」の開催に当たり、当時の大日本体育協会(現在の中央競技団体、及び各都道府県の体育協会を統括する団体、公益財団法人日本スポーツ協会の前身)副会長で神宮皇學館(三重県伊勢市に本部を置く私立大学、皇學館大学の前身)館長の武田千代三郎が名付けた。当時、江戸時代における東海道五十三次での伝馬制からヒントを得たと言われている。「駅伝」という言葉自体は、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』にも記載されている程古いものである。首都と地方の間の道路網に30里(約16Km)毎に置かれた中継所のことを「駅」と言い、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。駅に朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を「駅制と伝馬制」、或いは「駅伝貢進」と称した。国際陸上競技連盟(IAAF)では、駅伝の国際名称を「Road relay」としているが、日本発祥であることから、そのまま「Ekiden」と呼んだり、説明的に「Marathon relay」と呼んだりする。駅伝の各走者は、途中の「中継所」、又はゴールまで走り、走り終える毎に前の走者から受継いだたすきを次の走者に渡していくが、公道使用上の制限から遅れが大きいチームの場合、前の区間の走者が来ない内に予備のたすきを持って「繰上げスタート」を余儀なくされる場合もある。各走者が走る距離、総距離、区間数、性別等の組合わせは大会によって様々であるが、国際陸上競技連盟(国際陸連)が定める国際レースの基準では、男女別に、フルマラソンと同じ42.195kmを6区間(5km、10km、5km、10km、5km、7.195km)で走る。日本実業団陸上競技連合が主催する駅伝大会、全日本実業団対抗駅伝競走大会は、1988(昭和63)年の第32回大会より1月1日に開催され、ニューイヤー駅伝の通称が用いられるようになった。日本における実業団駅伝日本一を決定する競技大会であるが、クラブチームはこの大会に出場することができない(予選はこの限りではない)。例年、1月2日と翌1月3日の2日間に亘って行なわれる大学駅伝の競技会(地方大会)で、学生長距離界最大の駅伝競走である東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)と共に、正月の二大駅伝競走の1つとして親しまれている。1957(昭和32)年に第1回大会が、三重県の伊勢神宮外宮(豊受大神宮)前をスタートし、賢島(三重県志摩市の英虞湾内にある有人島)を折返す7区間83.5kmで開催された。当初は早春に開催されたが、第5回大会より12月の開催となった。1970(昭和45)年の第15回大会より、伊勢神宮内宮(皇大神宮)を循環するコースを加えた99kmに延長、以降第30回(1985[昭和60]年)まで三重県で開催された。第31回(1986昭和61年)は滋賀県で開催され、距離も84.4kmとなり、約15km短縮された。第32回(1988[昭和63]年)から実施日が1月1日、元日になり、群馬県で開催されるようになった。群馬県の主要都市を巡る7区間、全長100kmのコースに変更されたのは、第45回大会(2001[平成13]年)からである。全日本実業団対抗駅伝競走大会には代々、箱根駅伝で一躍有名になった選手が多く出場している。旭化成陸上部は、宮崎県延岡市に本拠地を置く、旭化成(化学、繊維、住宅、建材、エレクトロニクス、医薬品、医療等の事業を行なう企業)の実業団陸上競技部である。全日本実業団対抗駅伝競走大会では、第1回大会で第2位となり、第9回大会で初優勝を果たした後、3連覇を2回、6連覇を2回達成する等、他の実業団を引離し、歴代最多23回の優勝を誇っている。大学駅伝の全国大会には、1970(昭和45)年より毎年秋に開催される、日本国内の男子大学生チームを対象とした競技大会、秩父宮賜杯 全日本大学駅伝対校選手権大会(「全日本大学駅伝」と略称され、8区間/106.8kmで、開催地は愛知県と三重県)と、1989(平成元)年より、毎年体育の日に開催される出雲全日本大学選抜駅伝競走(「出雲駅伝」と略称され、6区間/45.1kmで、開催地は島根県)とがあり、日本の男子の大学駅伝としては、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)を含め、男子の三大大学駅伝とされている。