4月24日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1192年 - 盧溝河(現在は永定河と呼ばれる)に架かる盧溝橋が完成する。盧溝橋は、中国の首都北京の南西にある、石造りのアーチ橋である。橋の欄干には、それぞれが異なる表情や姿をした、計501基の獅子の彫像が置かれている。この獅子像の数を、通行人が正確に数えることは難しいことから、中国語では「数えられないもの」のことを「盧溝橋の獅子」と言い表わすこともある。かつてこの地を訪れた、ヴェネツィア共和国(現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした国家)の商人で冒険家のマルコ・ポーロは、その著書『東方見聞録』の第4章の中で、この橋が「世界中どこを探しても匹敵するものがない程の見事さ」と記す。そこから、西ヨーロッパでは、この橋のことを「マルコポーロの橋」と呼んでいる。盧溝橋の名は、1937年7月7日にこの地で起きた謎の発砲事件、「盧溝橋事件」の名と共に、日本でも広く知られるようになる。この事件が引き金となって、日本の支那駐屯軍と中華民国の国民革命軍が衝突し、これが日中戦争の発端となる。中華人民共和国の成立後は、路面が舗装されて自動車の通行も可能になったが、橋の老朽化が著しく進行したため、1980年代には、史跡保護を目的に大規模な修復工事が施され、以後、自動車の通行は一切禁止されている。路面は舗装されたままであるが、橋の中央部には昔日の石畳が一部復元されている。 
1771年 - 八重山地震。八重山列島(沖縄県西部、日本の南西端にある諸島で、東部を占める島嶼群、宮古列島と合わせて先島諸島と呼ばれる)近海を震源として発生した八重山地震では、津波により先島諸島(特に八重山列島)が大きな被害を受ける。そのため、元号を取って明和の大津波とも呼ばれる。推定マグニチュード(M)は、7.4 - 8.0。八重山列島の主島、石垣島における最大震度は、震度4(中震)程度と推定され、目立つような震害はなかったが、地震により、最大遡上高が、石垣島南東部で約30m程度に達する大津波が発生し、死者・行方不明者約112,000名、家屋流失2,000戸以上という大惨事になる。耕作可能地の多くが塩害の影響を享け、農作物の生産が低迷し、飢饉と疫病等により、明治時代初頭の人口は、地震前の約3分の1程度にまで減少している。 
1800年 - アメリカ合衆国の国立図書館で、蔵書数、予算額、職員数全ての点で世界最大規模の図書館、アメリカ議会図書館が設立される。 
1854年 - 周防国/長門国長州藩藩士で思想家・教育者の吉田松陰が、伊豆国(現在の静岡県伊豆半島)の下田で黒船(アメリカ海軍の軍人、マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊の艦船)への密航に失敗。翌日、幕吏に捕縛される。 
1877年 - ロシア帝国がオスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)に宣戦布告。露土戦争が勃発する。東ヨーロッパ諸国の独立回復のための重要な戦役となった露土戦争は、ヨーロッパ南東部にあるバルカン半島に在住する、オスマン帝国領下のスラヴ系諸民族がトルコ人の支配に対して反乱し、それを支援する形でロシアが介入して起こったもので、ロシア帝国の勝利で終わる。
1898年 - この年の4月22日に行なわれた日本の要求に基づき、中国清朝(清国)が福建省(現在の中国東南部に所在)の不割譲を宣言する。 
1913年 - アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市の超高層ビル『ウールワースビル』(57階建て、高さ241.4m)が開業。1913年から1930年までの間、世界で一番高いビルであった『ウールワースビル』のブロードウェイ(ニューヨーク市の中心街、マンハッタンを南北に走る目抜き通りで、「ミュージカル」の代名詞ともなっている)に面した高層部は、採光のために設けられた中庭を持つ低層部の上に聳え立っている。ヨーロッパのゴシック教会を思わせる壮麗さから、「商業の大聖堂」と称された『ウールワースビル』は、長きに亘って高等教育機関と関係が深く、今日に至っても、多くのテナントの中に、全米有数の大規模な私立総合大学となっており、卒業生が幅広い分野で活躍している、ニューヨーク大学等が含まれている。 
1915年 - 青年トルコ革命: オスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)北西部にあるイスタンブルで、約250名のアルメニア人(アルメニア[地理的には西北アジアに分類される地域に位置するものの、長らくソビエト連邦領であったこともあり、西アジアや中東には含めないことが多い]の主要民族)独立活動家が殺害される。この事件は、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺等により死亡した、「アルメニア人虐殺」の始まりとされている。 
1916年 - イースター蜂起。北大西洋東部の洋上に浮かぶ、アイルランド島に位置するアイルランドで、急進的な反英独立を掲げるシン・フェイン党が蜂起する。 
1921年 - 日本で初の女性による社会主義団体『赤瀾会』が結成される。しかし、『赤瀾会』は、1923年頃には自然解消となる。 
1926年 - ドイツ国(ヴァイマル共和国)とソビエト連邦がベルリン条約(独ソ友好中立条約)を締結。
1926年 - 青森と函館との間に電話が開通し、本州と北海道の市外通話が開始される。  
1932年 - 東京府荏原郡目黒村(現在の東京都目黒区)に所在した目黒競馬場(近隣の宅地化進展による地価高騰と手狭さ等からこの翌年に廃止され、その役割は東京都府中市にある東京競馬場[府中競馬場]に移される)で、第1回東京優駿大競走(現在の日本ダービー)が開催される。
1949年 - 国共内戦・渡江戦役: 中国共産党人民解放軍(中国共産党が指導する中華人民共和国の正規軍)35軍の104師312団が、南京(現在の中国中東部に所在)の中華民国総統府を占領する。
1951年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在の東日本旅客鉄道[JR東日本])桜木町電車火災事故。東海道本線支線(京浜東北線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で、赤羽駅発桜木町駅行き下り電車(63系5両編成)が架線・パンタグラフのショートによる火災を起こし、焼死者106名、重軽傷者92名を出す大惨事となる。乗客は、ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出す結果となる。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉付きの客車内には、乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正される。 
1953年 - 第3回参議院議員通常選挙。第1回参議院議員通常選挙によって選出された参議院議員は、日本国憲法第102条の定めにより、全議員の内の半数の任期を6年、残り半数の任期を3年とする。第3回参議院議員通常選挙は、この任期6年とされた議席を対象とした選挙である。 
1955年 - 第1回アジア・アフリカ会議(AA会議、バンドン会議)最終日で、平和五原則(領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)を拡張した平和十原則を採択する。 
1956年 - 17世紀前半の1628年に沈没し、放置されていたスウェーデンの戦列艦(単縦陣[艦隊の各艦が縦一列に並ぶ陣形]の戦列を作って、砲撃戦を行なうことを主目的としていた軍艦)『ヴァーサ』が引上げられる。低温の海中に沈んでいたため、船体や調度等が非常に良く原形を残しており、当時の戦列艦の姿、建造方法、設備等を知る、貴重な資料を提供している。