4月21日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ローマの創建記念日。 
ローマの建国神話(イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家、古代ローマが誕生するまでの伝承や神話)で、紀元前753年にロームルス(ロムルス)が都市ローマ(現在のイタリアの首都)を建設し、王となったとされている日。ローマという都市名も、王政ローマの初代王ロームルスに因むとされるが、この王については、存在すら疑問視される向きもある。当時のローマは人口数千名程で、丘2つを巡る防塞を設けただけの小村であったという。その後、紀元前509年からは共和政(君主を持たない政体)が取られ、2名の執政官(都市ローマの長であり、共和政ローマの形式上の元首)がローマの政治を司ることになった(共和政ローマ)。 
オーベルジュの日。
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根に事務局を置く、オーベルジュのオーナシェフ等によって設立された業界団体、日本オーベルジュ協会が、オーベルジュの魅力や文化を伝えることを目的に制定。日付は、日本で本格的なオーベルジュとされる、「オーベルジュ オー・ミラドー」(神奈川県足柄下郡箱根町元箱根に所在)が誕生した、1986(昭和61)年4月21日に因んで。また、春の訪れと共に素敵な旅の始まりを、との願いが込められている。オーベルジュとは、その土地の食材を使った絶品料理等を味わい、併設された客室で宿泊できるレストランのことである。発祥のフランスにおけるオーベルジュの歴史は、中世まで遡るとも言われるが、1900(明治33)年に創刊されたミシュラン・ガイド(フランスのタイヤメーカー、ミシュラン社により出版される、レストランの評価を星の数で表わすことで知られるレストラン・ホテルガイド)が、星によるレストランの格付けを1926(大正15)年から始め、自動車が普及するようになると、地方にあるオーベルジュも注目されるようになった。日本では、フレンチ(フランス料理)の一般化と共に、全国の観光地やリゾート地、別荘地等にも、オーベルジュがオープンするようになった。現在の日本におけるオーベルジュは、日本独自の旅文化とも融合し、日本料理や世界各地の料理を提供する多彩なスタイルで登場している。オーベルジュのオーナーは、料理人であることが多く、宿泊業をメインとするペンションや旅館等とは異なり、宿泊業と飲食業を兼ね備えている施設が殆どである。宿泊業がメインではないため、レストランの規模に合わせた宿泊設備を備えるという考え方があり、結果として、客室数の少ない施設が多い傾向にある。なお、特に2000(平成12)年頃以降は、食事を提供しない等、名ばかりのオーベルジュも増え、フランスで誕生したオーベルジュの流れを汲んでいない施設も見受けられるようになった。
川根茶の日。
日本屈指の銘茶である静岡県の川根茶を、多くの人に知ってもらおうと、川根茶の生産者等で結成され、その品質向上と「川根茶」を中心とした豊かなまちづくりを目指す「川根お茶街道推進協議会」(静岡県榛原郡川根本町下長尾に所在)が制定。新茶のシーズンの直前で、立春から数えて七十七夜となることの多い、4月21日を記念日とした。香りが高く、甘みと渋みのバランスの取れた川根茶の歴史や文化を思い、新茶シーズンを迎えるスタートの日と位置付けている。川根町は、静岡県の中部、榛原郡に位置していた町で、「川根茶」の産地として知られる町である。2008(平成20)年4月1日には、静岡県島田市に編入合併しされ、現在の住所表記は静岡県島田市川根町である。川根町は、大井川上流域の山間地斜面に広がる地域で、川から立上る朝霧や山間地特有の気候に育まれた良質な普通煎茶を産出し、古くからの銘茶の産地として全国的にその名を知られている。煎茶は、日本茶の1つで、しばしば狭義と広義の2つの意味で使われる。狭義の煎茶とは、日光を遮らずに栽培し、新芽を使い繊細に加工したものである。玉露やかぶせ茶は、栽培方法で日光を遮る点、また、番茶は大きな葉や茎を使用する点において狭義の煎茶と異なる。広義の煎茶とは、茶葉を揉まずに乾燥して粉末にした抹茶(てん茶)に対して、茶葉を湯に浸して(煮出して)成分を抽出する「煎じ茶」のことをいう。狭義の煎茶では、茶葉は一番茶と二番茶の早摘みのものを用いるが、収穫前に「棚」に寒冷紗(荒く平織に織込んだ布)等の覆いを掛けて日光を遮る玉露とは異なり、終始露天で栽培される。一般に、70℃前後のお湯で淹れ、1分から2分程度浸出する。甘みと苦み・渋みの調和が取れるのが良いとされる。煎茶とは、緑茶、即ち、不発酵茶の一種であるが、蒸熱により茶葉の酵素を失活させて製造する(蒸す)という点で、世界的にも珍しい茶であり、生産、消費ともほぼ日本に限られている。当初の「煎茶」は、文字通り「煎じる茶」の意味で、茶葉を湯で煮出すことによって成分を抽出するため、今日のように急須で手軽に淹れられるものではなかった。中世以降の日本における茶の服用方法には、「煎じ茶」と茶葉を臼ですり潰した「挽茶」があり、当初は摘んだ茶葉を蒸すか、湯がくかして酸化酵素の働きを止め、日光と「焙炉(ほいろ)」(対象物を下から弱く加熱して乾燥させつつ、人が対象物に手作業を加えられるように工夫された一種の作業台)により乾燥させるものであったが、近世には「揉み」の工程が入るようになっていった。江戸時代前期に、山城国宇治田原郷湯屋谷村(現在の京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷)に住んでいた農業従事者で、湿田改良等の事業を行ない、村人を指導する立場であったとされる永谷宗円(お茶漬け海苔・ふりかけ・味噌汁等を製造・販売する食品メーカー、永谷園の創業者)が、青製煎茶製法(乾燥させる前に「揉む」工程を入れて、煎茶の完成品の茶葉を青く緑色に仕上げる製法)を開発したことにより、現在の煎茶の製法が確立・普及し、初代山本嘉兵衛(海苔とお茶を製造している食品メーカー、山本山の創業者)が、永谷宗円により開発された煎茶を江戸で委託販売して、煎茶の商業的成功に至ったことにより、急須で出せる茶(「だし茶」)は、現在の日本茶の主流となっている。明治時代以降、手揉みに代わる能率的な機械製法が考案され、現在では、蒸熱、粗揉、揉捻、中揉、精揉、乾燥の6工程で製造されている。品質としては、形状が細く針状のものを良とし、香気は、特に一番茶新芽の新鮮な香りを保持したものが良い。また、滋味には、特有の旨味と適度な渋みのバランスが重要である。このような品質上の特性を重視することから、その製造工程においては、茶葉の短時間の蒸熱と、それに続く低温乾燥という、きめ細かな注意が払われている。
錦通り・ニッキーの日。
神奈川県小田原市小田原市栄町に所在する、1964(昭和39)年に設立された組合、小田原錦通り商店街協同組合が制定。2012(平成24)年4月21日、商店街に隣接する公園の木に、動物のぬいぐるみの忘れ物が掛けられていたが、その愛らしさから、錦通りに因んで「ニッキー」と命名した。2014(平成26)年、錦通り商店街は組合設立50周年を迎えることから、多くの人に愛される商店街のシンボルキャラクターとして、発見された日を記念日としたもの。同2014(平成26)年4月21日、「ニッキー」のデビューイベントが行なわれ、小田原市民として特別住民票が市長から交付された。小田原錦通り商店街は、古くから城下町、東海道の宿場町として栄えた小田原市の中心駅で、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・小田急電鉄(小田急)・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道が乗入れる神奈川県西部のターミナル駅、小田原駅の東口側にあり、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る、全国的に見ても珍しい城郭、小田原城にも近い位置にある。商店街入口には、小スペース「北條ポケットパーク」があり、猿まわし等の催し物が行なわれる他、冬期にはイルミネーションも行なっている。 
「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」の日。
東京都中野区中野に本社を置く、牛乳や乳製品を中心にさまざまな食品の製造販売を手掛ける企業、小岩井乳業株式会社が制定。「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」は、日本で初めて生乳を100%使用し、長時間前発酵で製造したやさしい酸味のなめらかなヨーグルト。2024(令和6)年で発売40周年を迎えることを機に記念日を登録し、お客様のご愛顧への感謝を伝えることが目的。日付は、「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」の発売日、1984(昭和59)年4月21日から4月21日としたもの。小岩井乳業株式会社は、1891(明治24)年創業の小岩井農場(岩手県岩手郡雫石町に所在する、日本最大の民間総合農場)を母体とし、1976(昭和51)年、小岩井農場を経営する小岩井農牧株式会社(1938[昭和13]年設立)の乳業部門を引継ぎ、小岩井農牧株式会社と麒麟麦酒株式会社(現在のキリングループの持株会社、キリンホールディングス)との折半出資により設立された。小岩井農場内の小岩井工場、埼玉県狭山市の東京工場、栃木県那須塩原市の那須工場等の生産拠点を持つ。