4月19日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

乗馬許可記念日。
1871(明治4)年4月19日(旧暦)、それまで武士にのみ認められていた乗馬が、庶民にも許可された。馬術は武芸の1つであり、刀剣や鉄砲と同じように兵器として扱われていたので、江戸時代は、武士以外の者(商人や農民)の乗馬は禁じられていた。江戸幕府から明治政府に代わり、庶民にも許可されることとなった。明治以降は、日本伝統の馬術ではなく、西洋馬術を主として発達した。江戸時代、日本での馬術は「武芸十八般」に数えられていた。これは、合戦で戦うための技芸のことで、修得すべきとされた18種類の武技の総称である。18の武技の内容は時代や集団により異なるが、馬術の他に、弓術・水術・薙刀術・槍術・剣術・小具足・棒術・杖術・鎖鎌術・分銅鎖・手裏剣等が挙げられる。乗馬の目的は、歴史的にはまず移動である。20世紀前半に自動車に取って代わられるまでは、乗馬は、陸上における個人の移動手段の筆頭であった。次に、乗馬の機動性を活かした、役務の提供が挙げられる。古くは、軍馬として騎兵と共に戦争に従事した。また、カウボーイにみられるように、牧畜にも利用される。現代では、この面でも活躍の場は限られてきているが、この他にも、警察による警備や、広大な自然公園等での巡回に用いられている。そして現代では、乗馬は趣味やスポーツとして、人々に楽しまれている。スポーツ競技としては、騎乗の正確さや活発さ等を競う馬術競技や、馬の速さ、着順を競う競馬、乗馬ホッケーとでもいうべきポロ、カウボーイの腕自慢から発展したロデオ等の種類がある。また、競技に捉われず、野外での乗馬を楽しむ外乗、逍遥乗馬や狐狩りに代表される猟騎、より身近には、乗馬学校・乗馬クラブでの練習等、騎乗自体を楽しむためにも、乗馬は幅広く親しまれている。また近年、乗馬による心身の癒し効果の見地より、治療行為としての乗馬(ホースセラピー)が、ドイツやアメリカから始まって、世界に広がりつつある。日本でも近年、情緒水準が高度と言われる馬との交流を通じて、他者を信頼できるようになるとされ、ホースセラピー、乗馬療法、治療的乗馬、障害者乗馬等の名称で行なわれている。中近世の日本では、馬術は長く武芸の1つとして位置付けがなされており、基本的に武士のみに許されていた。それ以外は、馬子(近代以前の日本において、馬の背中に貨物や人を乗せて輸送に従事する者)等、別の者に馬を引かせる場合に限って騎乗が許され、例え自分の馬でも、自ら手綱を握ることはできなかった。1871(明治4)年になり、ようやく庶民の乗馬が許可された。しかし、その後も民間の乗馬人口は余り増えることはなく、馬術の大きな拠点は陸軍であった。日本では、その歴史的経緯から、乗用馬を自宅で飼育する例は稀であり、殆どの場合は、乗馬学校・乗馬クラブで騎乗することになる。乗馬機会の提供や技術習得を目的とした乗馬サークル、乗馬スクール等の団体も多く設立されている。「乗馬」という言葉は、騎乗全般を指すと共に、「馬術」と比べて「騎乗の楽しみ」の側面を重視した表現として用いられる。馬に乗って行動する隊を、騎馬隊と言う。日本の騎馬隊は、軍事力の中心となった、騎馬武者とその供を基本単位として構成された部隊を指しており、歩兵の一種である足軽が戦闘要員として台頭するまでは、基本的に公儀(日本の中世から近世において、公権力を指した語)の戦闘は、武士団、イコール騎馬隊のみが行なうものと認識されていた。戦国時代以降、足軽が新たな戦闘力として認識されると、戦国大名の軍制は、備(戦時に編成された部隊)を基本としたものへ変貌し、その中で騎馬隊は、備の一隊として、足軽隊の形成した前線の突破、又は、それらに対する逆襲が主な任務とされた。また、騎馬隊と言えば、戦国期での甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄の騎馬隊が有名であるが、これは、古来から甲斐国や信濃国(現在の長野県)に御牧(天皇の勅旨[天皇の命令]により開発された牧場)が設置され、騎馬の扱いに長けた者や、馬の産地が多く、「甲斐の黒駒」伝承(甲斐国から中央へ貢上された駿馬)に象徴されるイメージ的な要素や、かの地の馬が山岳機動に優れた能力を示した、といった様々な説が唱えられている。 
飼育の日。 
東京都台東区台東に所在し、教育活動の充実や希少動物の保護・繁殖等を目的に活動している社団法人日本動物園水族館協会(JAZA、2012[平成24]年には、公益社団法人へ移行している)が、2009(平成21)年に制定した。日付は、4月19日の「4」と「19」で、「飼育(し[4]い[1]く[9])」の語呂合せから。2022(令和4)年8月16日現在、公益社団法人日本動物園水族館協会の正会員数は、日本国内の動物園90、水族館50の計140園館で、その他に、82団体の維持会員がいる。加盟園館数は近年、脱退が新規加盟を上回り、漸減が続いている。動物園、又は水族館が団体として正会員となるのではなく、動物園、又は水族館の代表者が個人の資格で正会員となる。動物園は、生きた動物を飼育・研究し、一般に公開する施設である。一般に、陸上の動物を中心として扱うものを指す。水中の動物を中心として扱うものは、特に水族館とされ、動物園の特殊な形態として、サファリパークや移動動物園、鳥類園、クマ牧場等がある。日本では、1882(明治15)年、現在の東京都台東区にある上野恩賜公園内に、現在の東京国立博物館が移転開設され、天産部(動植物の研究部門)付属施設として、恩賜上野動物園の前身が作られたのが始まりと言われている。その後、全国の各地方都市に動物園が開園したが、第二次世界大戦の戦時中には、殆どの動物園が閉鎖状態となり、第二次世界大戦後に徐々に再開されていく。1970年代まで、教育施設としても子ども連れを中心に親しまれ、また、この頃は移動動物園も多かった。しかし、1980年代以降は、余暇活動の多様化や、出生率の低下(少子化)等の理由によって入場者が減り、閉園に至る園も出た。そうした環境下で、行動展示等によって成功した例の1つに、北海道にある旭川市旭山動物園が挙げられている。現代の動物園では単に、動物を研究用に収蔵する、或いは、市民の見世物とすることへの批判が高まったこともあり、研究面では、飼育下での繁殖等を通じて、野生個体群における種の保存への還元のための基幹研究施設として、市民社会向けには、単なる珍獣の見世物ではなく、動物の生態を、より高度に学ぶことができる生涯教育施設としての充実が求められている。この一環として、公益社団法人日本動物園水族館協会では、国内外の動物園と連携して、動物の所有権を移動させることなく累代繁殖を行なうための「ブリーディングローン」制度や、種毎に血統管理を伴なう繁殖計画を策定する「種別調整者」制度を導入している。その代表例が、希少種を特定の動物園に集約し繁殖・展示する、公益財団法人東京動物園協会による「ズーストック計画」である。また、展示面でも、動物本来の動きを引出す行動展示や、生息地の自然環境を再現した「ランドスケープ・イマージョン」を取入れた生態展示、夜行性の動物の活動中の状態を観察できるようにするための夜間開園等、よりアピール度の高い活動が行なわれるようになっている。水族館とは、海や河川・湖沼等の水中や、水辺で生活する生き物(水族)を主として飼育・研究し、一般に公開する施設である。1882(明治15)年、恩賜上野動物園の前身である附属動物園の一角に「観魚室(うをのぞき)」が開設されたことが、日本における「水族館」の始まりとされる。循環濾過装置のない水槽で、淡水魚を展示した施設であった。1897(明治30)年に、兵庫県神戸市兵庫区の和田岬で開かれた第2回水産博覧会において、和楽園水族館が開設された。博覧会期間中だけの開設ではあったが、海水の水槽に本格的な循環濾過装置を備えていたことから、日本初の「水族館」と呼ばれている。また、神戸は「日本の水族館発祥の地」ともされている。 
良いクリニックの日。 
東京都渋谷区東に本社を置き、インターネットメディア「キレイクリニックナビ」を運営する、マーケティングPR事業、メディア事業、動画事業、スマートフォン関連事業を展開する企業、トレンダーズ株式会社が制定。「キレイクリニックナビ」は、キレイを目指す女性に対して美容医療を受けられる、クリニック(医療機関)の情報を提供するサイトである。日付は、4月19日の「4」と「19」で、「良いクリニック(よ[4]い[1]ク[9]リニック)」の語呂合わせから。