4月15日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0069年 - 四皇帝の年(ローマ皇帝が4名、次々と擁立された年のこと): 四皇帝の年に第2番目の皇帝となったオト(マルクス・サルウィウス・オト)が、ウィテッリウス(アウルス・ウィテッリウス・ゲルマニクス)に率いられた軍に敗北し、市民間の流血を避けるため、極めて早い段階で自死する。
1017年 - 藤原氏が最も栄えた時代を作った公卿、藤原道長の長男、藤原頼通が摂政(天皇が幼少であるか、女帝である場合、天皇に代わって政務を行なう職)に就任。藤原頼通は、藤原道長から若くして第68代天皇、後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。藤原道長の死後は、朝政の第一人者として、第69代天皇、後朱雀天皇、及び、第70代天皇、後冷泉天皇の治世で、関白(成人の天皇を補佐する官職で、実質上の公家の最高位であった)を約50年の長きに亘って務め、父の藤原道長と共に、藤原氏の全盛時代を築く。現代に残るその栄華の象徴が、藤原頼通が造営した平等院鳳凰堂である。現在の京都府宇治市宇治蓮華に所在する平等院は、11世紀の建築、仏像、絵画、庭園等を今日に伝え、古都京都の文化財の1つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録されている。鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園は、『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土(「幸福のあるところ」の意味)と、その教主である阿弥陀如来を観想(特定の対象に心を集中させること)するために造られた、とするものが定説である。
1071年 - 東ローマ帝国(東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家)の南イタリア最後の領地であるバーリ(現在のイタリア共和国南部に所在)が、ノルマン人傭兵ロベルト・イル・グイスカルドにより占領される。 
1245年 - モンゴル帝国(最盛期には、ユーラシア大陸を横断する帝国を築き上げ、後の中国元朝の前身となる)に対するローマ教皇の使者として、修道士プラノ・カルピニがモンゴルへ出発する。 
1450年 - 百年戦争: フォルミニーの戦い。フランスが勝利し、イングランドはノルマンディー(イギリス海峡に臨むフランス北西部の地方)から撤退する。 
1632年 - 三十年戦争: レヒ川の戦い。 
1869年 - 明治政府が、日本の通貨単位、円貨の制度を定める。
1870年 - 元下総国佐倉藩藩士で、脱藩して商人に転じた西村勝三が、東京の築地入舟町(現在の東京都中央区入船)に伊勢勝造靴場を設立。日本初の西洋靴工場となる。 
1885年 - 巨文島事件。イギリス海軍が、朝鮮半島の南部沿岸沖にある巨文島を占領。ロシアが積極的な反対運動を行なったことから、イギリスは1887年3月に撤退する。 
1892年 - 世界最大のコングロマリット(複合企業)、ゼネラル・エレクトリック(GE)が創業。ゼネラル・エレクトリック(GE)は、航空機エンジン、医療機器、産業用ソフトウェア、鉱山機械、鉄道機器、火力発電用ガスタービン、原子力、油田サービス、天然ガス採掘機器、水処理機器、化学プロセス、各種センサー、家庭用電化製品(LED照明、白物家電、スマートメーター)、金融事業(法人向けファイナンス、不動産ファイナンス、各種リース、銀行、信販)等、幅広い分野でビジネスを行なっている。ダウ平均株価(アメリカ合衆国の代表的な株価指数の構成銘柄)の内、1896年5月26日の算出開始以来、唯一残存している企業である。
1896年 - 4月6日から開催されていた近代五輪最初の大会、1896年アテネオリンピック(第1回オリンピック競技大会)が閉幕。 
1897年 - オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方(中央ヨーロッパにある、ポーランドの南部からチェコの北部にかけての地方)において、ドイツ語と並んで、チェコ語も公用語と定めた政令が発布される(バデーニ言語令)。 
1900年 - フランスの首都パリで開催された国際博覧会、パリ万国博覧会が開幕。11月5日まで。19世紀最後の年を飾る国際博覧会であるが、新世紀の幕開けを祝う意味も込められており、開催期間中には、過去最大となるおよそ4,800万名が訪れている。また、パリオリンピック(第2回オリンピック競技大会)に合わせての開催でもあり、1855年以後、パリで開催された国際博覧会では5回目となる。 
1910年 - 日本海軍の第六潜水艇が、広島湾でガソリン潜航の訓練中に遭難。乗組員14名全員が死亡する。破損の修理をしていた2名を除く全員が配置に付いたまま殉職したことが、世界に感銘を与える。 
1910年 - 京阪電気鉄道(京阪)京阪本線の天満橋駅 - 五条駅(現:清水五条駅)間(路線距離46.4km)が開業。 
1912年 - タイタニック号沈没事故。4月14日午後11時40分、世界一の豪華客船と言われた『タイタニック』が、イギリス南部のサウサンプトン港からアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州にあるニューヨーク港に向けての処女航海中に、北西大西洋上、カナダの東海岸に位置するニューファンドランド島沖で氷山に接触。15日未明にかけて沈没し、当時世界最悪の海難事故となる。
1913年 - 京王電気軌道(現在の京王電鉄の前身の1つ)が、笹塚駅 - 調布駅間(現在の京王電鉄京王線の一部、路線距離11.9km)、及び、同線に接続する新宿駅 - 笹塚駅、調布駅 - 府中町 - 国分寺駅間のバス路線(東京都内初のバス路線)の運行を開始。 
1915年 - ハイデラバード・ハイ・コート起工。ハイデラバード・ハイ・コート(ハイデラバード高等裁判所)は、インド南部アーンドラ・プラデーシュ州のムシ川の南岸に位置する高等裁判所で、1919年3月31日に完成する。 
1915年 - 武蔵野鉄道の池袋駅 - 飯能駅間(現在の西武鉄道池袋線の主要区間、路線距離43.7km)が開業。 
1919年 - 提岩里教会事件。日本統治下の朝鮮京畿道水原郡郷南面提岩里(現在の韓国北西部、華城市郷南邑提岩里)で、三・一独立運動(大日本帝国からの独立運動)の最中に生じた事件で、暴動を指揮した29名の朝鮮人が殺害される。
1920年 - 明治大学、法政大学、中央大学、日本大学、國學院大學(明治政府の神道政策の一環として、古典研究と神職養成の機関として創立された、皇典講究所を母体とする)、同志社大学の、「大学令(大正7年12月6日勅令第388号)」による私立大学設立が認可される。
1921年 - 日本女性初のジャーナリストで思想家、羽仁もと子が自由学園を創立。自由学園は、キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようとして創立される。学生の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理は、特に危険な仕事を除き全て生徒の手によって行なわれている。これは、毎日の生活を生徒自身が責任を持って行なう自労自治の精神に基づくものとされる。文部科学省の学習指導要領に捉われない独自の教育方法で知られる。 
1929年 - 阪急百貨店開店。阪急百貨店は、日本初のターミナルデパートとされる。1920年11月1日に、5階建ての阪急梅田ビル1階に東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)の老舗呉服店系百貨店、白木屋(現在の東急百貨店の前身)を招致して、白木屋梅田出張店が開店する。約55坪の店舗で、食料品や日用雑貨の販売を行なわせ、同月5日、2階に阪急直営である大衆食堂の阪急食堂を開設したのが始まりである。その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し、敷地面積約328坪で延べ床面積約3,280坪という、百貨店に相応しい規模の店舗を作り、鉄道会社直営 = 電鉄系百貨店として阪急百貨店を開業したものである。開業直前の1929年4月13日と4月14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れたように、開業当初は大衆向けの路線を採り、沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手掛ける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。経営の中心であった7階と8階の大食堂は、高層階からの眺望や食券方式等の目新しさにより、人気を博す。また、看板メニューとして、当時高級品であったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供する等、ランチも名物として話題となる。開業直後に襲った昭和恐慌(1930年から翌193年にかけて、日本経済を危機的な状況に陥れた、第二次世界大戦前の日本における最も深刻な恐慌)の時代、ライスのみを注文して、テーブルに備えられていたウスターソースを掛けただけで食べるソーライスが流行した際には、他の店舗や当店の大食堂の店員が締出しを図ろうとしたが、創業者(現在の阪急阪神グループの創業者)の小林一三は、「今は貧しいが、やがて結婚し子どもができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ、福神漬けまで付けて提供する等し、これも話題となる。 
1929年 - 国有鉄道(官設鉄道)房総線(現在の東日本旅客鉄道[JR東日本]外房線と内房線)上総興津駅 - 安房鴨川駅間(現在は外房線に所属、路線距離16.1km)が延伸開業。房総線が全通して、房総半島一周の列車が運行を開始する。