4月14日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ブラックチョコレートの日。
東京都中央区京橋に本社を置き、菓子、牛乳、乳製品、食品、一般用医薬品の製造販売等を手掛ける大手食品会社、株式会社明治が制定。日付は、2月14日の「バレンタインデー」、3月14日の「ホワイトデー」に続き、韓国では4月14日を「ブラックデー」と呼び、恋人がいない人が黒い服を着て、黒いものを飲食し、新たな出会いのきっかけとなるイベントを行なうことから、同じ名前の「ブラック(黒)」繋がりで4月14日としたもの。2021(令和3)年に「明治ブラックチョコレート」が発売60周年を迎えることを記念し、「ブラックチョコレート」とその名前に因んだ黒を楽しむ日、とすることが目的。「ブラックチョコレート」は、1961(昭和36)年にチョコレート「ブラック」として発売されたのが始まりで、キレのある上質な苦みに、カカオが華やかに香る、拘りのビターチョコレートとなっている。明治ホールディングス株式会社は、株式会社明治と、大手製薬会社のMeiji Seika ファルマ株式会社を傘下に持つ持株会社である。株式会社明治とMeiji Seika ファルマ株式会社の前身企業、明治乳業株式会社と明治製菓株式会社は、元々は同門(同根)企業であった。商品の共同開発等を手掛けていた一方で、両社間での資本の持合いについては、独自性を尊重して僅かなものに留まっていた。しかし、アメリカ合衆国のサブプライムローン問題(2007[平成19]年末から2009[平成21]年頃を中心として起きた、住宅購入用途向けサブプライムローン[優良客とされるプライム層よりも、下位の層向けとして位置付けられるローン商品]の不良債権化)に端を発する世界経済の混乱や、地球温暖化対策としてバイオエタノールの生産が拡大したこと等により、原材料価格の高騰が経営に重く圧し掛かる事態となっていた。そこで、こうした事態を乗切ると共に、同門企業の強みを生かし、両社の事業分野で培ったものを生かして、新たな展開を図ることを目的とした経営統合が実行され、2009(平成21)年に明治ホールディングス株式会社が設立された。2011(平成23)年、明治製菓株式会社のフード&ヘルスケア事業が、吸収分割により明治乳業株式会社へ継承され、同時に、食品事業が一体化した明治乳業株式会社は株式会社明治へ、医薬品事業が残った明治製菓株式会社はMeiji Seikaファルマ株式会社へ、それぞれ商号変更することになった。これによって、長年使用されてきた『明治乳業』と『明治製菓』の社名は、2011(平成23)年3月31日をもって消滅した。
良い年の日。 
健康でいきいきとしたシニアライフを応援したい、との思いから、100年以上の長きに亘り、医薬品や健康食品等を手掛けてきた日本を代表する医薬品メーカーの1つであり、口中清涼剤「仁丹」の製造販売元として知られる、大阪市中央区玉造に本社を置く森下仁丹株式会社が制定。日付は、4月14日の「4」と「14」で、「良い年(よ[4]い[1]とし[4])」と読む語呂合わせから。なお、森下仁丹株式会社は、自社の創業日である1893(明治26)年2月11日と、「仁丹」の発売日である1905(明治38)年2月11日から、2月11日を「仁丹の日」としている。森下仁丹株式会社は現在、かつての主力商品「銀粒仁丹」のコーティング技法を発展させることで開発した、最先端のシームレスカプセル(継ぎ目のないカプセル)を用いた、食品会社からの受託製造と、ビフィズス菌を使用した食品・化粧品、植物エキスを主成分とするダイエット食品・健康食品(栄養補助食品)の製造・販売を主な事業内容としており、「銀粒仁丹」の原料でもある生薬成分の研究にも力を入れ、それを生かした食品会社への原料の供給等も行なっている。「仁丹」の名前の由来は、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた儒教の教えの中心で最高の徳とされる「仁」と良薬や丸薬の意である「丹」を合わせたもので、森下仁丹創業者で、「日本の広告王」と称された商品広告の先駆者でもある森下博が命名した。1905(明治38)年に「懐中薬」として発売された「仁丹」は、赤色で大粒の物であったが、年を追う毎に改良が重ねられ、1929(昭和4)年に現在の形となる銀粒仁丹が発売される。医療水準が十分でなかった当時の日本において、創業者の森下博が「病気は予防すべきものである」という考えに基づき、毎日いつでも服用できるようにと、軍隊に召集された時、任地の台湾で現住民が清涼剤を口に含み、伝染病に感染しないようにしていたことに発想を得て、開発したものである。森下博は、売上げの3分の1を宣伝費に投資したと言われ、新聞や街の琺瑯(ホーロー、鉄、アルミニウム等の金属材料表面にシリカ[二酸化ケイ素]を主成分とするガラス質の釉薬を、高温で焼付けたもの)看板だけでなく、薬店に突出し看板やのぼり、自動販売機等を設置。大礼服マーク(通称「将軍マーク」)は、当時の薬局の目印になった程であった。また、電柱広告にも目を付け、町名表示と広告を併せてやったり、鉄道沿線の野立看板を設置。更に、東京浅草や大阪駅前に大イルミネーション「仁丹塔」を建て、これらは名所となった。全国津々浦々に名前が浸透した仁丹は、発売僅か約2年で売薬中、売上高第1位を達成し、莫大な利益を上げた。  
ピロリ菌検査の日。
神奈川県伊勢原市下糟屋に事務局を置く、プロバイオティクスの研究等を手掛ける一般社団法人、日本プロバイオティクス学会が制定。記念日を通してピロリ菌の検査を促し、ピロリ菌の除菌により、胃がんの発生や死亡率を減らす効果を啓発すると共に、ピロリ菌の感染予防、除菌が成功した後も、胃がんを早期発見するための定期的な検診の必要性等を再認識してもらうこと等が目的。日付は、1984(昭和59)年4月14日、オーストラリアの消化器病医、ロビン・ウォレンとバリー・マーシャルの2人によって、胃粘膜からピロリ菌が発見されたことから。プロバイオティクスとは、人体に良い影響を与える微生物(善玉菌)、又は、それらを含む製品、食品のことである。人間は体内の微生物のバランスを崩すと病気になるという概念から、体内環境を整えるために、乳酸菌に代表される善玉菌を食品から摂取することで、消化器系のバランスを改善し、病気の発生を未然に抑えることができる、とされる。一般社団法人日本プロバイオティクス学会は、プロバイオティクス、さらに、付随するプレバイオティクスの基礎臨床研究、及び、製品開発を支援することを目的として設立され、その目的に資するため、学術集会の開催、学術誌の刊行、プロバイオティクス・プレバイオティクス製品開発への助言、国内外の関連学会との交流等を行なっている。単に、ピロリ菌と呼ばれることもあるヘリコバクター・ピロリは、ヒト等の胃に生息する、らせん型のグラム陰性微好気性細菌で、ロビン・ウォレンとバリー・マーシャルにより発見されている。胃の内部は、胃液に含まれる塩酸によって、pH1の強酸性であるため、従来は細菌が生息できない環境と考えられていた。しかし、ヘリコバクター・ピロリは、ウレアーゼと呼ばれる酵素を産生しており、この酵素で胃粘液中の尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解し、生じたアンモニアで、局所的に胃酸を中和することによって、胃へ定着(感染)している。この菌の発見により、動物の胃に適応して生息する細菌が存在することが明らかにされた。細菌の中で、ヒト悪性腫瘍の原因となり得ることが明らかになっている病原体の1つで、世界人口の約50%以上は、消化器にヘリコバクター・ピロリが感染していて、先進国よりも、開発途上国の方が感染率が高いという。ロビン・ウォレンとバリー・マーシャルは、ヘリコバクター・ピロリが胃潰瘍の原因であることを証明し、潰瘍患者のヘリコバクター・ピロリの検出を容易にする便利な診断テストの開発に成功した。2005(平成17)年にこの業績が認められ、2人はノーベル生理学・医学賞を共同受賞した。