4月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

0710年 - 第43代天皇、元明天皇が、藤原京(現在の奈良県橿原市に所在したと考えられている)から平城京(現在の奈良市、及び奈良県大和郡山市近辺に位置する、奈良時代の日本の首都)に遷都。藤原京は、日本史上で最初の条坊制(南北中央に朱雀大路[宮城の正面から南方に向かう道]を配し、南北の大路[坊]と東西の大路[条]を碁盤の目状に組合わせた左右対称で方形の都市プラン)を布いた本格的な唐風都城とされる。平城京が遷都された当時は、内裏(天皇の私的区域)と大極殿(朝廷の正殿)、その他の官舎が整備された程度と考えられており、寺院や邸宅は、山城国乙訓郡に存在した、現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区に該当する地域に所在する長岡京に遷都するまでの間に、段階的に造営されていったと考えられている。 
0744年 - 第45代天皇、聖武天皇が恭仁京(現在の京都府木津川市加茂地区に所在)から難波京(後期難波宮、現在の大阪市中央区に所在)へ遷都。翌年、平城京に戻す。740年に聖武天皇が平城京から遷都した恭仁京は、僅か3年余りで難波京に移ったため、「幻の都」と呼ばれる。難波京(後期難波宮)は、都が平城京に遷った後も、陪都(天皇が常住しない都)として、また、遣唐使の拠点や海運の港として、外交物流において栄えている。
1111年 - ハインリヒ5世が神聖ローマ皇帝に即位。 
1179年 - 平安京内で治承の大火(次郎焼亡)が発生。現在の京都市下京区にある七条東洞院から出火、折からの東風に煽られて、平安京の中央を南北に縦貫する朱雀大路に至るまでの三十数町が全焼する。この地域は、当時の人口密集地であり、そこを直撃したことになる。さらに、前年の安元の大火(太郎焼亡)で焼残った地域とも重なっており、人々に甚大な衝撃を与える。 
1336年 - 南北朝時代: 九州に落延びていた足利尊氏が再び挙兵し、多々良浜(筑前国多々良浜[現在の福岡市東区に所在])の戦いで、肥後国菊池郡(現在の熊本県菊池市)を本拠としていた南朝方の菊池武敏らを破る。 
1598年 - フランス国王アンリ4世が「ナントの勅令」を発布。プロテスタント(新教)に、カトリック(旧教)と同等の信教の自由を認める。 
1668年 - 宇都宮興禅寺刃傷事件。下野国宇都宮藩の前藩主、奥平忠昌の法要の際に、家臣相互が刃傷事件を起こす。宇都宮藩奥平家には、長篠の戦い(三河国長篠城[現在の愛知県新城市長篠に所在]を巡り、織田信長・徳川家康連合軍約38,000と武田勝頼軍約15,000とが激突し、敗北した武田勝頼軍は甚大な被害を受け、織田信長は「天下人」として台頭するきっかけを掴み、武田氏は後の1582年に滅亡する)で武勲を挙げ、将軍に対する永代御目見えという特権を得た「七族五老」と呼ばれる重臣12家があり、その内の2家の当主であった奥平内蔵允と奥平隼人の2名が、些細なことから口論となる。奥平内蔵允と奥平隼人は、互いの母が実の姉妹という従兄弟同士であったが、気質が異なり、平素からソリが合わず、武人肌の奥平隼人から軽侮されていた文人肌の奥平内蔵允が、奥平家の菩提寺となっていた下野興禅寺(現在の栃木県宇都宮市に所在)における、前藩主奥平忠昌の葬儀の場という大事さを顧みず、度重なる面罵に堪え兼ねて抜刀する。ところが、返討ちに遭って刀傷を被った奥平内蔵允は、満座の法要で一層の侮辱を受ける。その場に居合わせた大身衆の同輩、兵藤玄蕃等の仲裁により、双方はそれぞれの親戚宅へ預かりの身となる。しかし、その夜に、奥平内蔵允は切腹する。藩庁に対しては、興禅寺での刀傷から「破傷風で死去」と報告される。藩の処分は事件から約半年後に下され、奥平隼人は改易(身分を剥奪し、所領と屋敷を没収すること)、切腹した奥平内蔵允の嫡子で、12歳の奥平源八、並びに奥平内蔵允の従弟、伝蔵正長は家禄没収の上、追放が申渡される。両者とも奥平家を追出される形でありながら、大きな差が生じ、奥平内蔵充の遺児達は、両成敗ならば隼人は切腹となる筈であると考えて、藩の裁定を依怙贔屓と受止める。約4年後の1672年3月2日、奥平源八とその一党42名が、父の仇である同藩の元藩士奥平隼人を討った事件、浄瑠璃坂の仇討が発生するが、宇都宮興禅寺刃傷事件は、その原因となっている。 
1742年 - バロック期(17世紀初頭から18世紀半ばまで)を代表する重要な作曲家の1人で、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオラトリオ(日本語では「聖譚曲」と呼ばれる、バロック音楽を代表する楽曲形式の1つ)『メサイア』が、ヨーロッパ大陸の北西沖の大西洋に位置するアイルランド東部のダブリンで初演。『メサイア』の題名は、「メシア」(救世主)の英語読みに由来する。聖書から歌詞を取り(但し、文脈に合わせて人称代名詞を変更している)、イエス・キリストの生涯を題材とした独唱曲・重唱曲・合唱曲で構成されている。合唱の効果も秀逸で、第2部最終曲の「ハレルヤ」(通称「ハレルヤコーラス」)は特に有名であり、日本の中学校等で、合唱コンクールや卒業式等で歌われることが多い。  
1777年 - アメリカ独立戦争: バウンドブルックの戦い。 
1829年 - イギリスで、カトリック解放令が制定され、これにより、カトリック教徒の信教の自由が公的に保障される。 
1856年 - 長崎や、伊豆半島南部に位置する下田等の開港地での踏み絵を廃止。踏み絵とは、江戸幕府が当時禁止していたキリスト教(カトリック教会)の信徒(キリシタン)を発見するために使用した絵である。但し、キリスト教に対する宗教弾圧自体は、明治維新後もしばらく続き、1873年になってようやく、日本におけるキリスト教弾圧は終わりを迎える。 
1888年 - 東京府東京市下谷区上野西黒門町(現在の東京都台東区上野の一部)に、日本初のコーヒー専門店とされる『可否茶館』が開店。 
1903年 - 「小学校令(第二次、明治23年10月7日勅令第215号)」が改正され(「小学校令[第三次、明治33年8月20日勅令第344号]」)、国定教科書制度(教科書・教科用図書の編集・発行等の権限を国家が占有する制度)が取入れられる。 
1917年 - アメリカ海軍の第一次世界大戦型旧式戦艦群の最終版である、ニューメキシコ級戦艦のネームシップ、戦艦『ニューメキシコ』が進水。 
1919年 - 南アジアに位置するインドで、イギリス軍が発砲してインド民衆に数百名の死傷者が出る(アムリットサル事件、アムリットサルの虐殺、アムリッツァル虐殺事件)。インド北西部のパンジャーブ地方アムリットサル(シク教[シーク教等とも呼ばれる、インド由来の宗教]の聖地)で、スワデーシー(自分の国の意で、国産品を愛用すること)の要求と、ローラット法(インド政庁発布の、破壊活動容疑者に対する令状なしの逮捕、裁判抜きの投獄を認めた法規)発布に対する抗議のために集まった、非武装のインド人市民に対して、インド軍部隊が無差別射撃を行ない、1,500名以上の死傷者を出す。 
1922年 - 少年団日本連盟(現在の財団法人ボーイスカウト[世界規模の青少年団体]日本連盟)が結成される。 
1923年 - 大阪鉄道の大阪天王寺駅が開業。大阪鉄道は、南大阪線や長野線等、現在の近畿日本鉄道(近鉄)の路線の一部をかつて運営していた鉄道事業者で、大阪天王寺駅は、近畿日本鉄道(近鉄)の駅の中で最大の利用者数を誇る、現在の大阪阿部野橋駅である。
1940年 - 日本放送協会(NHK)が、日本初のテレビドラマ『夕餉前』の実験放送を行なう。『夕餉前』は15分程のホームドラマで、適齢期の娘の縁談を中心とした内容になっている。テレビドラマの実験を含めたテレビ研究は、1941年5月1日から週1回の定期実験放送を開始し(6月末で中止)、同年12月に、第二次世界大戦対米英戦の勃発によって全面的に中止となるまで、熱心に行なわれることとなる。 
1940年 - 第二次世界大戦: 第2次ナルヴィク海戦。