4月12日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0467年 - 軍の要職に就いていたプロコピオス・アンティミウスが、西ローマ帝国(古代ヨーロッパ最大の帝国であるローマ帝国の西半分を領有した国)皇帝に就任する。 
0601年 - 第33代天皇、推古天皇が、高句麗(現在の中国東北部の南部から朝鮮半島北中部にあった国)と百済(朝鮮半島南西部にあった国)に使いを送り、任那(朝鮮半島南部の地域で、当時の日本の政権との関係が深かったとされる)の復興を要請する。 
0646年 - 薄葬令(身分に応じて、墳墓の規模等を制限した勅令)が発布される。豪族を中心とした政治から、天皇を中心とする政治へと変わった政治的改革、大化の改新の一環とされ、「大化の薄葬令」とも呼ばれる。墳陵は小型簡素化され、前方後円墳(円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなす)の造営がなくなり、古墳時代(概ね、3世紀半ば過ぎから7世紀頃までとされる)は事実上終わりを告げる。  
1204年 - 第4回十字軍により、コンスタンティノープル(西アジアのアナトリア半島[小アジア]と、東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、現在のトルコの北西部にある都市、イスタンブルの前身)が陥落。第4回十字軍は、第176代ローマ教皇インノケンティウス3世によって呼掛けられ、フランスの諸侯とヴェネツィア共和国(現在の東北イタリアに位置するヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家)を中心として行なわれた十字軍(キリスト教の十字を掲げてイスラームの領域に侵攻した軍隊)で、当初の目的であった聖地には向かわず、キリスト教国の東ローマ帝国を攻略し、コンスタンティノープルを陥落させ、略奪や殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍として知られる。 
1606年 - イングランド・スコットランド同君連合の旗として、ユニオン・フラッグ(現在のイギリスが国旗として使用する王室旗)が定められる。 
1633年 - イタリアの物理学者・天文学者・哲学者、ガリレオ・ガリレイの異端審問の正式な尋問が始まる。異端審問とは、中世以降のカトリック教会において、正統信仰に反する教えを持つ(異端である)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムである。 
1638年 - 現在の長崎県南島原市南有馬町にある原城が落城し、肥前国(現在の長崎県)島原、及び、肥後国(現在の熊本県)天草に起こった農民一揆で、日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦となった、島原の乱が終結する。 
1657年 - 江戸幕府が、明暦の大火(振袖火事)で亡くなった約10万余の霊を供養するため、江戸の本所牛島新田(現在の東京都墨田区両国)に回向院(本所回向院)を建立する。無縁寺回向院とも呼ばれ、あらゆる宗派だけでなく人、動物全ての生あるものを供養するという理念から、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数ある。 
1784年 - 筑前国志賀島(博多湾の北部に位置し、現在は福岡市東区に所属する島)で、純金製の王印(金印)「漢委奴国王印」が偶然発見される。 
1861年 - 南北戦争: 南軍が北軍のサムター要塞(現在のアメリカ合衆国南東部、サウスカロライナ州チャールストンの港に位置する石造りの要塞)を攻撃し、これが、南北戦争(アメリカ合衆国と、奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州の内、11州が合衆国を脱退して結成したアメリカ連合国との間で行なわれた戦争)の発端とされる(サムター要塞の戦い)。 
1864年 - 南北戦争: ピロー砦の戦い。 
1877年 - 東京大学(「旧東京大学」とも称される、後の帝国大学、東京帝国大学、現在の東京大学の前身)が設立される。 
1877年 - イギリスがトランスヴァール共和国(現在の南アフリカ共和国北部に所在した国)を併合。 
1883年 - 陸軍大学校(大日本帝国陸軍における、参謀将校の養成機関で、現在の陸上自衛隊では幹部学校に相当するものであり、1945年に廃止される)が開校する。 
1905年 - 阪神電気鉄道(阪神)が大阪(出入橋駅[1948年に廃駅]) - 神戸(三宮駅[現在の神戸三宮駅])間で開業。日本初の都市間電気鉄道となる。翌年の1906年、仮線名目で、単線の線路を400m程梅田側に延伸することが実現し、1914年にはそれが複線化されて、大阪側のターミナル駅として機能している現在の阪神本線の起点、大阪梅田駅の駅舎が完成する。 
1919年 - 「関東軍司令部条例(大正8年4月12日軍令陸第12号)」が公布され、関東軍が設置される。関東軍は、大日本帝国陸軍の総軍の1つである。大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(現在の中国北東部にある遼東半島先端)の守備、及び南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊を前身とする。「関東軍」の名称は、警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。中華民国初期の軍閥政治家、張作霖を乗せた特別列車が爆破された張作霖爆殺事件や、満州事変(現在の中国東北部、満州で発生した日本軍と中国軍との武力衝突)を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を、現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(第二次世界大戦対英米戦)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となる。なお、これら一連の行動は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる第124代天皇、昭和天皇の許可なしに、越境で軍事行動をすることは死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころか皆出世している。
1924年 - 九州鉄道の福岡(現:西鉄福岡[天神])駅 - 久留米(現:西鉄久留米)駅間が開通。西日本鉄道(西鉄)の前身の鉄道会社の1つである九州鉄道は、現在の西鉄天神大牟田線に当たる路線を建設した他、同線沿線の鉄・軌道事業者の買収を進める。1939年には、現在の西鉄天神大牟田線の全区間、福岡駅 - 大牟田駅間が全通する。第二次世界大戦対米英戦中の1942年、福岡県下の鉄道事業が戦時統合され、西日本鉄道(西鉄)が成立している。 
1927年 - 中国東部にある上海で、中国国民党右派の蒋介石が上海クーデター(四・一二クーデター)を起こし、中国共産党を弾圧する。
1927年 - 北ヨーロッパに位置する、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国、リトアニアの初代大統領、アンターナス・スメトナが第三国会を解散。
1945年 - 約半年前の1944年11月7日に、戦時指導者として高い評価を受け、先例のない4選を果たしたアメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトが、重い障害を持ちながら戦争中を通じて世界中を飛回り、体調が悪い中で、戦争終結に向けてヤルタ会談(当時のソビエト連邦クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ[東ヨーロッパ南部に位置するクリミア半島南端にあり、黒海に臨む]近郊のリヴァディア宮殿[ロマノフ朝ロシア帝国第14代皇帝ニコライ2世の離宮として建造された宮殿]で行なわれた、アメリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦による首脳会談)に参加する等、心身に負担を掛け続けたこと等から、在任中に脳卒中で死去し、副大統領であったハリー・S・トルーマンが大統領に昇格する。フランクリン・D・ルーズベルトの政策を支持して活動した上院議員のハリー・S・トルーマンは、1944年の大統領選で副大統領候補となり、フランクリン・D・ルーズベルトが4選を果たしたことで副大統領に就任したが、外交経験が全くない上に、フランクリン・D・ルーズベルトとは僅か1度しか会っておらず、戦争の進捗や内部の情報は、全く聞かされていなかったという。そのため、ハリー・S・トルーマンは、大統領に就任してから第二次世界大戦終戦にかけては、外交政策に没頭することになる。