4月12日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

東京大学創立記念日。
1877(明治10)年4月12日、「東京開成高校」と「東京医学校」が併合され、「東京大学」が創立された。東京大学では、この日に入学式が行なわれている。1877(明治10)年設立の日本唯一の大学(当時)「東京大学」は1886(明治19)年3月2日、「帝国大学令(明治19年3月2日勅令第3号)」の公布により、東京大学と工部大学校を統合して「帝国大学」に改称・改組した。1897(明治30)年6月、京都帝国大学の設置に伴ない「東京帝国大学」と改称する。第二次世界大戦後の1947(昭和22)年9月には、再度「東京大学」に改称する。そして1949(昭和24)年5月には旧制第一高等学校と旧制東京高等学校高等科を併合し、新制の「東京大学」となり、現在に至っている。東京大学の起源は、1684(貞享元)年に江戸幕府が設立した天体運行、及び暦の研究機関である天文方と、1858(安政5)年に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所(天然痘の予防、及び治療を目的に設立された医療機関)、1797(寛政9)年に創設された昌平坂学問所(昌平黌、江戸幕府直轄の教学機関・施設)である。但し、昌平坂学問所は1871(明治4)年に廃止されたため、組織的に直接の繋がりはない。天文方はその後、1857(安政4)年に蕃書調所、1862(文久2)年に洋書調所、1863(文久3)年に開成所と変遷していった。また、種痘所も1860(万延元)年に江戸幕府へ移管された後、1861(文久元)年に西洋医学所、1863(文久3)年に医学所と変遷していった。これら3つの江戸幕府直轄の教育機関は、明治政府が1868(明治元)年に、開成学校、医学校、昌平学校として復興した。それぞれ洋学、西洋医学、国学・漢学の教育機関であったが、1869(明治2)年にはこれらを統合するため、昌平学校が大学校(本校)となり、開成学校、及び医学校が大学校分局とされた。同年の内に大学校、開成学校、医学校は大学、大学南校、大学東校と改称されたが、1870(明治3)年には、学制改革により大学が閉鎖されてしまう。1871(明治4)年に大学は廃止され、大学南校、大学東校は南校、東校と改称された。両校は1874(明治7)年にそれぞれ東京開成学校、東京医学校と改称された。そして1877(明治10)年4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、校名に「大学」の文字を持つ、日本で初めての近代的な大学が設立された。東京大学は江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、及び種痘所の流れを汲みながらも、欧米諸国の諸制度に倣った、日本国内では初となる、近代的な大学として設立された。国内外から高い評価を受けており、大学評価の世界的指標の1つであるイギリスの高等教育情報誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による「世界大学ランキング 2014-2015」では第23位、アジア第1位(同誌の世界大学名声ランキングでは第11位)である。東京大学には、特に創立時に明文化された建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴ない、現在は「東京大学憲章」が定められている。「東京大学憲章」は、「大学」としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育(教養教育)を重視することを謳っている。なお、学士(大学を卒業した者に与えられていた称号)の学位を授与する機関としては、1876(明治9)年設置の札幌農学校(現在の北海道大学)に次ぐ2番目に古い高等教育機関とされる。東京大学のカレッジカラーは淡青(ライトブルー)である。これは、東京大学ボート部が1920(大正9)年9月24日、京都帝国大学(現在の京都大学の前身)と初めてボート競技を行なった際、乗るボートをくじ引きで決めたところ、京都大学は濃青、東京大学は淡青となったことに由来する。東京大学には校歌が存在しないが、応援歌『ただ一つ』と運動会歌『大空と』が「東京大学の歌」として公認されている。また、「学生歌」として『足音を高めよ』が存在する。各種学校/専門学校から帝国大学令を廃止して旧制の新「(大正7年12月6日勅令第388号)」により1920(大正9)年以降に旧制大学に昇格した歴史は東京大学には無く、最初から大学として存在するため、校歌というよりもむしろ、「学生歌」だけの存在で代替できるとの見解もある。東京大学の教養教育は、カリキュラムこそ現代に合わせて変化しているものの、実質的に旧制高等学校時代で重視されていた教養教育の流れを汲んでいる。大手予備校等の教育関係者やマスメディアの間では、旧制高等学校からの教養教育体系がそのまま維持されている大学は、現在の日本では東京大学以外存在していない、という評価がある。これは、現在の日本では実学が重視されており、多くの大学で教養教育を大幅に縮小するというカリキュラム改変が実施されているためである。東京大学は、新制大学となってから長い間(日本全国に分布する研究施設等を除くと)、本郷キャンパス(東京都文京区本郷、東京都文京区弥生)・駒場キャンパス(東京都目黒区駒場)の主要2キャンパスで構成されていたが、1992(平成4)年6月に立案された三極構造構想に基づいて柏キャンパス(千葉県柏市柏の葉)が設置されてからは、本郷・駒場・柏が主要キャンパスと扱われるようになった。現在、東京大学公式サイトでは、これらに白金(東京都港区白金台)・中野(東京都中野区南台)を加えた5キャンパス体制を謳っている。本郷・駒場・柏はさらに、複数のキャンパスに分かれている。現在、東京大学は、一層の国際化推進を図り、総長直轄の本部組織である国際連携本部を中心とした国際化推進計画を進行させている。「国立大学法人法(平成15年7月16日法律第112号)」の規定により設立されている法人、国立大学法人になって以降、積極的な改革を行なっており、それは、商標登録(工業所有権関連の事務を所掌する経済産業省の外局[特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織]、特許庁に商標を登録すること)等のブランド力向上の施策、知的財産権(発案・発明、ソフトウェア、企業や商品のブランド等、無形の財産に関する権利)移転に関する関連団体の設立、任期付講師の積極的な外部からの登用、学外識者も参加する大学運営理事会等である。また、教育というサービスを提供する観点から、学内にレストランやコンビニエンスストア等、外部テナントの誘致を進めてきた。本郷キャンパスには、世界規模で展開するコーヒーチェーン店、スターバックスや、サンドイッチを主力商品としているファーストフードチェーン店で、世界最大の飲食店チェーンでもあるサブウェイ、大手コンビニエンスストアのローソン等が店舗を構えており、医学部研究棟にはイタリアンレストランが入る等、アメリカの大学のように施設を誘致している。情報発信を強化するために、学生がホームページ等の運営をしている。日本で初めて設立された近代的な大学、東京大学には、明治以降の日本における教育史を象徴する数多くの建造物が、1923(大正12)年に発生した大正関東地震(関東大震災)や、1945(昭和20)年の東京大空襲等による被害から免れ、残存している。そのため、重要文化財や登録有形文化財となっている建築物も多い。さらに、指定までは受けていないものの、建築関係者に評価の高い建物等もある。