4月11日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

しっかりいい朝食の日。
東京都千代田区丸の内に本社を置き、グラノーラの日本トップシェアブランド「フルグラ®」を国内で展開するスナック菓子メーカー、カルビー株式会社が制定。新学期のスタートや入園、入学といった新しい生活が始まる忙しい4月に、しっかりといい朝食をとってもらうことが目的。日付は、4月11日の「4」と「11」で、「し(4)っかりいい(11)朝食」の語呂合わせから。4月11日は「ガッツポーズの日」でもあり、しっかりいい朝食で、元気にガッツポーズを、という意味も込められている。カルビー株式会社の「フルグラ」は、オーツ麦、ライ麦、小麦、玄米等の穀類を主原材料とする、おいしさ・栄養に拘ったグラノーラである。グラノーラは、穀物を押潰して薄い破片(フレーク)にする、パフ状にする(膨化させる)、混ぜ合わせてシート状にしてから砕く等の加熱調理で食べ易く加工し、長期保存に適した形状にした簡便食、シリアル食品の一種である。ロールドオーツ(燕麦[オートムギ]の押麦[精白した麦に水と熱を加えて、2つのローラーで押したもの])や、麦、玄米、とうもろこし等を主とした穀物加工品と、ココナッツ、ナッツ等を、砂糖、蜂蜜、メープル等のシロップ(糖蜜)、植物油とで混ぜてオーブンで焼いたものをいい、さらに、ドライフルーツ等が混ぜられることも多い。オーブンで焼く途中に何度かかき混ぜる、若しくは、焼き上げた後に破砕することで適当な塊状とする。加熱処理の有無が、同じくシリアル食品の一種であるが、未調理の加工穀物とドライフルーツ、ナッツ、種子類等を混ぜ合わせたミューズリーとの違いと言える。ヨーグルトや牛乳をかけて朝食としたり、おやつとしてそのまま食べる。軽くて持運び易く、栄養価が高いため、キャンプやハイキングの携帯食にも向いている。今日では、グラノーラを棒状に固めた「グラノーラ・バー」もおやつや携帯食として人気がある。日本の食品メーカーでは、主にカルビー、日清シスコ(菓子メーカー)、日本ケロッグ(シリアル食品の製造・輸入を行なう会社)が販売している。グラノーラは、加熱処理を行なっており、原材料の持つ栄養素が破壊されている。各メーカーとも必須ビタミン等を添加し、高栄養価であることを謳っている。また、様々な栄養価が高い半面で、糖質(炭水化物)が低めであるため、「低糖質ダイエット」をする人に利用される等、日本でも人気の理由にもなっている。但し、食パン等と比較してもカロリーは低くないので、食べ過ぎればダイエット効果はないことに注意する必要がある。19世紀末期から20世紀初頭のアメリカで、それまでの典型的な豚肉と白パンのような朝食は不健康であり、科学に基づいた質素で健康的な朝食を勧める健康改革運動が起こった。この運動は、科学者の権威を使った食品業界のキャンペーンであったが、ピューリタン(日本語では清教徒と訳される、キリスト教のプロテスタント[新教]の大きなグループ)的道徳心と結び付いて、菜食主義の熱狂的な流行へと発展した。そして、流行が去った後も、シリアル食品はアメリカの朝食として定着した。科学的に健康な食品であった筈のシリアル食品であるが、子ども向けシリアル食品は、カロリー過多のジャンクフードとして批判にさらされている。シリアル食品の起源とも言われるグラノーラは、全粒穀物を粉にしたグラハム粉をぶどうの種程度の大きさに粒状に加工した穀物食品「グラニューラ」を起源とする。1863(文久3)年、アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市の医師であったジェームス・ケイレブ・ジャクソンがサナトリウム(長期的な療養を必要とする人のための療養所)の患者のために、グラハム粉を使った「グラニューラ」を発明する。グラハム粉の生地を伸ばしてシート状にした後に焼成、粉砕を2度行ない、小さな粒状にしたもので、とても固く、食べるまでに水や牛乳に長時間浸す必要があった。「グラニューラ」は、ジェームス・ケイレブ・ジョンソンの診療所の治療プログラムのために開発されたことから、一般に知られることはなかったが、後のシリアル産業の発展に大きな影響を与えた。また、ほぼ同時期に、穀物を主とした自然健康食品として、スイス人医師マクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーがミューズリーを発明した。1880(明治13)年頃、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグはジャクソンのグラニューラを名称もそのままに模倣した製品を販売していた。1887(明治20)年、菜食や運動で健康回復を指導する「バトルクリーク・サナトリウム」の所長であったジョン・ハーヴェイ・ケロッグは、オート麦、小麦、トウモロコシ粉を粒状に固めたシリアルを作り「グラニューラ」として売出したが、ジェームス・ケイレブ・ジョンソンから商標権の侵害で訴えられたため、「グラノーラ」に改名した。「グラノーラ」は好評であったが、医師のジョン・ハーヴェイ・ケロッグは商売をするつもりはなかったので、弟のウィル・キース・ケロッグに経営を任せた。2人がさらに研究開発を勧めた結果、1894(明治27)年には、今日の姿に近い小麦フレークを完成させ、1898(明治31)年にはコーンフレークを作り出した。ウィル・キース・ケロッグは、無味乾燥であったコーンフレークを美味しくするために砂糖を加え、大々的な宣伝を行ない、爆発的な成功を収めた。「グラノーラ」は、その後に発明されるコーンフレーク(水で練ったコーンミールを加熱してから圧搾し、長さ1cm程度の薄い破片に成型したシリアル食品)等のより食べ易いシリアル食品に取って代わられ、1960(昭和35)年頃までは、健康食品の1つとして細々と販売されていた。1960年代の自然食、及び健康食品ブームの折りに「グラノーラ」の人気が再燃し、ドライフルーツやナッツを加えて変化を付け、甘味料を加えて食べ易くして、今のような形になった。シリアル食品は、健康食品としてアメリカの朝食の定番となり、更には世界各国にも広まっていった。1962(昭和37)年には、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグと、弟のウィル・キース・ケロッグが設立したケロッグ社の日本法人である日本ケロッグも設立され、第二次世界大戦後の日本経済が飛躍的に成長を遂げた、1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間の時期である高度経済成長期に、健康朝食として大流行した。シリアル食品産業の発展により、シリアルを固めてそのまま齧れるようにした「シリアルバー」が、コンビニエンスストアやキヨスク(JRグループの駅構内にある小型売店)、ドラッグストア等で多く販売されるようになり、その他、クッキーやビスケットにシリアルを練込んだものや、シリアルをチョコレートコーティングした菓子類、一口大に固めて食べ易くした「ビッツ」、又は「バイト」と呼ばれる形状や、或いは、「ウィートシュレッド」のようなスナック菓子としても味付けして食することができるもの、カップタイプの個食や、スープに合う塩味のシリアル食品等、応用製品も多数存在する。ホテルの朝食バイキングでは、米飯やパンと共に、提供されることがある。この場合には、ミルク、又はヨーグルトが提供されていることがある。なお、カルビー株式会社は、米飯、パンに続く「第三の朝食」として、グラノーラが日本の食卓に根付よう、その認知度向上を目的に、10月2日の「10」と「2」で、「10」を「スプーン(1)と皿(0)」に見立て、グラノーラの主原料であるオーツ麦を「オーツ(02)」と読む語呂合わせから、10月2日を「グラノーラの日」としている。