メートル法公布記念日(度量衡記念日)(続き)。
これらの単位系を再統一するために、派生した単位系の1つであるMKSA単位系を元として作られたのが、国際単位系(SI)である。MKS単位系は、長さの単位メートル(metre; m)・質量の単位キログラム(kilogram; kg)・時間の単位秒(second; s)を基本単位とする単位系である。そのMKS単位系に4つめの基本単位としてアンペア(ampere = A)を追加した単位系である。MKSは力学のみを扱えるが、電流の単位アンペアを追加することで、電磁気学を扱うことができる。現在広く使われている国際単位系(SI)は、MKSA単位系に3つの基本単位を追加して拡張した単位系であり、MKSA単位系の単位は、基本的に国際単位系(SI)の単位でもある。国際単位系(SI)では、長さの単位「メートル(m)」は、1秒の 1/299792458 の時間に光が真空中を進む距離、質量の単位「キログラム(kg)」は、国際キログラム原器(プラチナ90%、イリジウム10% からなる合金で、直径・高さ共に39ミリメートル[mm]の円柱)の質量、と規定されている。他の国際単位系(SI)基本単位は、「普遍的な物理量」に基づく定義に改められてきたのに対し、「キログラム(kg)」だけが未だ「人工物に依存」する単位として残っていた。人工物による定義では、経年変化により値が変化し、また、焼損や紛失の惧れもある。このため、1970年代から、普遍的な物理量による「キログラム(kg)」の定義が検討され、2011(平成23)年10月21日、第24回国際度量衡総会(CGPM)において、キログラム原器による基準を廃止し、新しい定義を設けることが決議された。国際度量衡委員会(CIPM)は、「メートル(m)は長さの単位である。その大きさは、単位m·s−1 による表現で、真空中の光速度cの数値を正確に299792458と定めることによって設定される」とする新定義を提案し、2018(平成30)年11月16日には、第26回国際度量衡総会(CGPM)で決議・承認された。なお、「キログラム(kg)」と共に、電流の単位アンペア、熱力学温度(絶対温度)の単位ケルビン、物質量の単位モルの定義も大きく変更されたため、これらの変更も含めた、新しい国際単位系(SI)の施行日は、周知期間・準備期間を置いて、2019(令和元)年5月20日(メートル条約が締結された日であり、世界計量記念日[World Metrology Day]である)の予定となっている。グラム(g)は質量の単位であり、国際単位系(SI)においては、「キログラム(㎏)の1,000分の1」と定義されている。「キログラム(㎏)」は、グラム(g)に接頭辞キロ(kilo-)を付けたものである。しかし、国際単位系(SI)においては、グラム(g)ではなく、キログラム(㎏)が基本単位となっており、グラム(g)はその分量単位の1つとされている。
ガッツポーズの日。
1974(昭和49)年4月11日、東京都墨田区両国にある日大講堂(広範な学問領域を包含する国内屈指の総合大学、日本大学を象徴する建物として有名であるが、日本大学のイベント等よりは、プロボクシングやプロレスリング、コンサート等、多くの興行に使用され、1983[昭和58]年に老朽化のため取壊される)で行なわれたボクシング世界WBCライト級タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ出身)に対し、8ラウンドKO勝ちした。その時、両手を挙げて勝利の喜びを表わした姿を、新聞記者が「ガッツポーズ」と表現したのが、喜びのポーズ「ガッツポーズ」の始りと言われている。但し、「ガッツポーズ」の名は、ボウリング雑誌「ガッツボウリング」でストライクを出した時に、ボウラーがするポーズを「ガッツポーズ」と書いたのが初めて、とする説もある。それでも、ガッツ石松により、ガッツポーズが広く知られるようになったことは事実である。なお、この日の試合は、本来3ヶ月前に行なわれる筈であったが、ロドルフォ・ゴンザレスがクモに噛まれたために延期になった。後に、ガッツ石松は「この3ヶ月の延期によってスタミナを付けることができた。私には運があった。」と述べている。ガッツ石松は、この対戦から32年後に番組の企画で再会した際、ロドルフォ・ゴンザレスも貧しい家に生まれたこと、ボクシングの世界チャンピオンになったこと、そして、引退後に俳優になったこと等、あらゆる点で共通していたことを知る。ガッツ石松は、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンであった。当時のライト級は、非常に層の厚い階級で、錚々たる世界の強豪を抑えタイトルを5度防衛。ボクシング引退後は、テレビのバラエティ番組クイズ番組に出演する等、タレント、俳優として活躍している。世界王者になるまでは、鈴木石松というリングネームであったが、試合で少しでも形勢が悪くなると、試合放棄に近い行動を取り、勝てる試合を落とすことがしばしばであったり(日本の世界王者の中で、チャンピオンになる前に10敗以上しているのはガッツ石松のみである)、ランニングが嫌いで、「ランニング行って来ると言ってはジムを出て、帰りに水を被ってくる(本人談)」ということがしばしばあったので、ジム側が「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との思いを込めて「ガッツ石松」という名前に改めた。ロドルフォ・ゴンザレスへの挑戦前は、世界王座獲得後は元の鈴木石松に戻すと語っていた。因みに、「石松」の由来は、「死んでも直らない程のおっちょこちょい」という森の石松(浪曲、映画で「海道一の親分」として取上げられ人気を博する侠客[市井無頼の徒「やくざ者」に対する美称]、清水次郎長の子分として、幕末期に活躍したとされる人物)から。「ガッツポーズ」は、喜びを表わすポーズの1つで、スポーツ等で勝利した時や、良い成績を残した時によく見られる。なお、武道、スポーツ等の一部の場面等では、「ガッツポーズ」が問題視されることがある。2009(平成21)年1月場所千秋楽の優勝決定戦で、白鵬翔に勝利して復活優勝を遂げた横綱の朝青龍明徳が、勝利直後に土俵上でガッツポーズをした際には、横綱審議委員会等から問題視され、後日に日本相撲協会から所属部屋の七代高砂親方(元大関朝潮太郎[4代])を通じて、厳重注意を受けた。プロ野球では、ホームランを打った後等に、派手なガッツポーズを行なってはいけないとされ、日本高等学校野球連盟は、高校野球は教育の一環との考えから、球児に対してガッツポーズを慎むように指導している。卓球では、試合中に相手の目を見てガッツポーズをした際には、マナー違反として、審判からイエローカードが出されることがある。因みに、「2年で大平へ政権を禅譲する」とした、いわゆる「大福密約」の元で大福連合を樹立しながら、内閣総理大臣であった福田赳夫は、「大福密約」を反故にして再選出馬を表明し、大平正芳が福田赳夫に挑戦する形で総裁選に出馬した。この「大福戦争」を戦っていた大平正芳(当時、自由民主党[自民党]幹事長)は、1978(昭和53)年の自由民主党(自民党)総裁選挙の際、初めて開催される予備選挙を見越して、全国を遊説していた。派手な振舞いの苦手な大平正芳は、話を終えて一礼すると、素っ気なく立去ろうとする。これではまずい、と感じた党本部幹事長室長が「幹事長、何かポーズを」と囁いた。大平正芳は、振返ると咄嗟に「ガッツポーズ」を披露し、「あー、うー」の大平正芳が、いきなり「ガッツポーズ」を取ったことから、会場はどよめき、大喝采となった。