4月7日 記念日 その6 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

セルフケアの日。
東京都千代田区丸の内に本社を置く、物理療法の普及等を手掛ける企業、株式会社プラスプが制定。株式会社プラスプが運営する、自分で健康を管理をする意識を高めるヘルスケアサイト「ヘルスリテ」の認知度を高め、より多くの人に健康になってもらうことが目的。日付は、世界保健機関憲章によって設立された国際連合の機関、世界保健機関(WHO)が定めた国際デー、「世界保健デー(World Health Day)」に合わせて4月7日に。「ヘルスリテ」では、不眠症・頭痛・肩凝り・便秘等の承認効果を持つ「電界医療機器 セレンテ350」、首・肩・背中・腰の凝りのある人向けの「温熱式指圧代用器 コンパクトP590」、疲労感・倦怠感・いつもすっきりしない人向けの「酸素サーバー 酸素濃縮器CFOC-F」、ダイエット・生活習慣病対策等、美と健康づくりのための炊飯器「なでしこ健康生活」等の製品を提案している。「電界医療機器 セレンテ350」は、2009(平成21)年の規制改革(市場における規制を緩和・撤廃、及び強化すること等によって、経済の活性化を目指すもの)で改正された「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(旧名称:薬事法、医薬品医療機器等法、昭和35年8月10日法律第145号)」における高圧電位治療器で、電極間に高電圧をかけて電場を発生させ、その中に人の体を置くことで治療する医療機器である。「温熱式指圧代用器 コンパクトP590」は、東洋医学の温熱療法と指圧療法を合わせて行なう認証医療機器で、「温熱指圧」により、疲労回復・血行を良くする・筋肉の疲れを取る・筋肉の凝りをほぐす等の効果がある。 
夜泣き改善の日。
大阪市北区天満に本社を置く、一般用医薬品(医師による処方箋を必要とせずに購入できる医薬品のことで、市販薬、家庭用医薬品、大衆薬、売薬等とも呼ばれる他、カウンター越し[英語: over the counter]に売買されることから、OTC医薬品とも呼ばれる)等の製造・販売を手掛ける医薬品メーカー、樋屋製薬株式会社が2017(平成29)年に制定。樋屋製薬株式会社の「樋屋奇応丸(ひや・きおーがん)」は、厳選された生薬から作られた小児薬で、高ぶった神経を鎮め、心と身体のバランスを整えることで、乳児の夜泣きを改善する。「樋屋奇応丸」をより多くの人に知ってもらい、乳児と父母の健康を守ることが目的。日付は、4月7日の「4」と「7」で、「夜泣き(よ[4]な[7]き)」の語呂合わせから。樋屋製薬株式会社は、関西地区では高い知名度を誇るが、それ以外の地域では「樋屋奇応丸」が発売されておらず、関東地区でしか知名度のない「宇津救命丸」(東京都千代田区神田駿河台に本社を置く薬品メーカー、宇津救命丸株式会社が製造・販売する乳幼児用の医薬品)と同じ対比的なニュアンスを持つ、ローカル製薬企業として、その名を知られている。「樋屋奇応丸」は、細字ボールペンの先端程度の微細な銀色の錠剤で、全て自然成分であり、0歳からでも服用できる配慮がある。沈香(ジンコウ)・麝香(ジャコウ)・牛黄(ゴオウ)・人参(ニンジン)・熊胆(ユウタン)等、自然の生薬から成る。江戸時代から五臓(肝・心・脾・肺・腎)のバランスを整える「五疳薬(ごかんやく)」として服用され、乳児の心身のバランスを整えて夜泣きを治める、「小児五疳薬」としても愛用され続けてきた。金箔でコーティングした丸剤の「樋屋奇応丸 特撰金粒」や、銀箔でコーティングし、非常に小さな丸剤で子どもでも飲み易い「樋屋奇応丸 銀粒」等がある。
音健の日。
東京都品川区北品川に事務局を置く、うたと音楽のチカラで健康な社会を支援する一般社団法人、日本音楽健康協会(略称:音健協)が制定。日付は、世界保健機関(WHO)の設立された日であり、世界保健デー(World Health Day)が定めた「世界保健デー」から4月7日としたもの。「音健」とは、「音楽で健康になる」ということで、うたと音楽の持つ本質的な楽しさは、趣味や娯楽に止まらず、健康の維持や、心と身体の機能の改善にも大きな効果が見込まれている。この「うたと音楽」のチカラで高齢者から子ども達まで、全ての世代に楽しみながら元気に生活してもらうことが目的。2014(平成26)年7月8日設立の一般社団法人日本音楽健康協会(音健協、Japan Music Health Association)は、「うたと音楽」の持つ力が、心と身体の健康に寄与することを学術的に研究し、その証左を「福祉・健康・教育」の領域において積極的に展開し、普及・啓発活動を通じ、広く社会に貢献することを目的とする。うたと音楽には不思議なチカラがある。一般社団法人日本音楽健康協会は、音楽・体操・運動・映像・歌唱等、心と身体の健康に役立つ多くのコンテンツを研究・開発している。その上で、そのコンテンツを活用できるインストラクターも育成している。最新の研究では、「うたと音楽」の持つ本質的な「楽しさ」が、介護予防等の取組みにおける継続率の向上に役立つこと、さらに、「体操・運動・歌唱」を付随させることで、「運動・口腔・認知」といった生活総合機能の維持・改善に、大きな効果があることが分かっている。また、「うたと音楽」の「楽しさ」は、世代を超えたコミュニティ形成を図る上でも効果的で、仲間と一緒に歌うことで心身の元気を取戻し、音やリズムに合わせることで、楽に体を動かせるようになる。「うたと音楽」の持つ力、それは「楽しく継続できる力」である。
放哉忌。
俳人、尾崎放哉の1926(大正15)年の忌日。尾崎放哉は、種田山頭火らと並び、自由律俳句(五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句)の最も著名な俳人の1人である。旅を続けて句を詠んだ動の種田山頭火に対し、尾崎放哉は、静の中に無常観と諧謔性(面白みのある気のきいた言葉)、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。東京帝国大学(現在の東京大学の前身)法学部を卒業後、東洋生命保険(現在の朝日生命保険の前身の1つ)に就職し、大阪支店次長を務める等、出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園(宗教家・社会事業家、西田天香によって明治末期に設立された懺悔奉仕団体で、現在の京都市山科区に本部を置く)に住まい、俳句三昧の生活に入る。その後、寺男で糊口を凌ぎ(どうにか生計を立てて暮らすこと)ながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ち、俳句を作る人生を送った。クセのある性格から周囲とのトラブルも多く、その気ままな暮らし振りから、「今一休」と称された。その自由で力強い句は高い評価を得ており、代表的な句に、「咳をしても一人」等がある。
鷹女忌。
俳人、三橋鷹女の1972(昭和47)年の忌日。千葉県印旛郡成田町(現在の千葉県成田市)に生まれた三橋鷹女は、上京して次兄、慶次郎の元に寄寓。慶次郎が若山牧水(酒好きで、旅を愛した歌人としても知られる)、与謝野晶子(情熱的な作品が多いと評される歌集『みだれ髪』や、日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名な歌人で作家・思想家)に師事する歌人であったため、この影響で三橋鷹女も作歌をはじめる。1922(大正11)年、剣三の俳号を持つ俳人であった歯科医師、東謙三と結婚し、俳句の手解きを受ける。「ホトトギス派」(五七五の定型調や季題といった伝統を守り、客観写生を深めることを主張し、大正期から昭和初期には俳壇の主流となった)を代表する俳人の1人である原石鼎や、大正期から昭和初期に活動した俳人の小野蕪子に師事。第二次世界大戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として、中村汀女や星野立子、橋本多佳子と共に、「四T」と呼ばれた。写生の方法に拠らず、自在な口語表現や、新興俳句の詩的表現等を駆使して、女性の情念を詠む前衛的な句風で、当時の女性俳人の中でも異色の存在として知られ、「四T」内でも、表現の激しさと前衛性において、突出した存在であった。晩年は、孤独と幽玄の度合いを深め、「老いながらつばきとなつて踊りけり」「墜ちてゆく 燃ゆる冬日を股挟み」等といった、鬼気迫る句も残している。句集に『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『ぶな』等があり、没後には、『三橋鷹女全句集』『三橋鷹女全集』も出ている。