4月3日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0700年 - 法相宗(中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の1つ)の僧で、遣唐使の一員として入唐し、法相宗の開祖である玄奘三蔵(インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に、伝奇小説『西遊記』の基ともなる)に師事して、帰朝後の晩年には全国を遊行し、各地で土木事業を行なった道昭が火葬される。これが、記録上日本初の火葬とされる。最初に火葬された天皇は、実際に治世を遂行した女帝である第41代天皇、持統天皇で、8世紀頃には普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まっている。
1043年 - デンマーク・ノルウェー王スヴェン1世ハラルドソンのイングランド侵略から逃れ、イギリス海峡に臨むフランス北西部の地方、ノルマンディーに亡命していたエドワード懺悔王(エドワード証聖王)が、異父弟であるハーデクヌーズ(ハーザクヌート)に招かれて共同統治者となり、イングランド王として戴冠(国王や皇帝が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位・皇位への就任を宣明する儀式を行なうこと)する。
1367年 - ナヘラの戦い。現在のスペイン北中部にあるナヘラで、カスティーリャ王国(後のスペイン王国の中核となった国)国王ペドロ1世(残酷王)と、反乱を起こしたペドロ1世(残酷王)の異母兄、トラスタマラ伯エンリケ(後のカスティーリャ王国国王エンリケ2世、恩寵王)とが戦う。イングランド王国の王太子、エドワード黒太子と共に戦ったペドロ1世が、フランス人傭兵の支援を受けたトラスタマラ伯エンリケを破ったが、この勝利は逆に、ペドロ1世(残酷王)を破滅的な結末に導くことになる。トラスタマラ伯エンリケはフランスに逃れ、ペドロ1世(残酷王)に対して戦いを継続する。その後、ペドロ1世(残酷王)とエドワード黒太子との関係は破綻し、国際的に孤立したペドロ1世(残酷王)は、1369年にトラスタマラ伯エンリケと戦って敗れ、殺害される。 
1582年 - 天目山の戦い。甲斐国の戦国大名、武田勝頼が織田信長軍に敗れ自害する。甲州征伐は、1582年に織田信長とその同盟者の徳川家康、北条氏政が、長篠の戦い以降勢力が衰えた武田勝頼の領地であった、駿河国・信濃国・甲斐国・上野国へ侵攻し、甲斐武田氏一族を攻め滅ぼした一連の合戦である。1575年には三河国設楽郡長篠(現在の愛知県新城市長篠)に所在する長篠城を巡って、武田勝頼軍と織田信長・徳川家康連合軍との間で長篠の戦いが発生し、武田氏は主要家臣を多数失う大敗を喫し、武田家領国は動揺する。長篠合戦後に武田勝頼は、外交関係の再構築を試み、北条氏政とは、妹の桂林院殿との婚姻によって甲相同盟を固める。しかし、上杉謙信急死後、上杉家の家督の後継を巡って、上杉謙信の養子である上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)との間で起こった、越後国のお家騒動、御館の乱を契機に、武田氏は後北条氏を敵に回してしまう。上杉景勝には妹を娶らせて甲越同盟を結ぶも、上杉家は内乱後の深刻な後遺症により、上杉領国外への影響力を失っており、対北条には、特に上野戦線では有利に進むも、織田・徳川・北条と三方を敵に囲まれた中で、過度の出兵とそれに伴なう支出で、領国は疲弊を深めていく。織田氏は、畿内や北陸における一向宗との戦い(石山合戦)や、西の毛利氏との戦いに忙殺されていたため、暫くの間、軍を東へ向けることはなかったものの、織田信長の同盟者である徳川家康は、長篠の戦い以降、武田氏に対する攻勢を強めている。織田氏や徳川氏等に対する相次ぐ出兵や、新府城(現在の山梨県韮崎市に所在した、長篠の戦いの後に新たに築かれた城)築城に掛かった費用を穴埋めすべく、尋常ならざる割合の年貢や賦役を課しており、人心が徐々にではあるが、武田勝頼から離れつつあり、武田氏の外戚(母親、又は妃の一族)である木曾義昌(武田信玄の娘で、武田勝頼の妹、真理姫の夫)が織田氏に寝返ったことを契機として、織田信長は武田勝頼討伐を決定し、動員令を発する。織田信長の長男、織田信忠を主将とする織田軍は、美濃国方面から進撃し、徳川軍は駿河から南信濃へ、北条軍は駿河東部と上野方面へ進攻する。武田勝頼は、織田一門衆らの支援を受けた木曾義昌勢に敗北を喫し、新府城に撤退する。織田軍が甲府に入ると、圧迫されて新府城を放棄した武田勝頼は、現在の山梨県甲州市にある峠で、標高1,380mの山、天目山を目指して逃亡するが、天目山の目前にある田野の地で織田軍と交戦し、敗れた武田勝頼は自害して果てる。
1790年 - 長谷川宣以の建議により、江戸隅田川河口(現在の東京都中央区に所在)に軽罪人・虞犯者(犯罪を犯すおそれがある者)の自立支援施設「加役方人足寄場(略称:人足寄場)」を設置。なお、長谷川宣以は江戸幕府旗本(徳川将軍家直属の家臣団の内、石高が1万石未満で、儀式等将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称)で、火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務める。平蔵を通称とし、第二次世界大戦後を代表する時代小説・歴史小説作家、池波正太郎の時代小説シリーズ『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。 
1860年 - 初代天皇とされる神武天皇の御陵祭が始まる。以降、毎年4月3日が神武天皇祭の祭日となる。
1865年 - 南北戦争: アメリカ連合国(南軍)の首都リッチモンド(現在のアメリカ合衆国東部、バージニア州に所在)が陥落。 
1888年 - 地理学者で評論家の志賀重昂が、政治評論団体(国粋主義団体)『政教社』の機関誌『日本人』を創刊。 
1899年 - 鋼製汽船『佐倉丸』で、横浜港を2月18日に出港した日本人790名が、ペルー中部のアンコン港(カヤオ港)に上陸(「ペルー日本友好の日」)。 
1899年 - 日本で最初に全土をカバーした地質図(地質調査で得られた情報を元に、堆積学、古生物学、層序学、構造地質学等の知識や地質図学の技法を用いて作成される、地表付近の各種地質体[地層]を、その種類、堆積、形成年代、岩相等により分類し、その分布や累重関係、断層や褶曲等の地質構造を表現した地図)100万分の1「大日本帝国地質図」が農商務省(1925年、農林省[現在の農林水産省]と商工省[現在の経済産業省]に分割となる)地質調査所(現在の公的地質調査・研究組織、地質調査総合センターの前身)から発行される。 
1911年 - 現在の東京都内における中小河川としては最大規模の川、神田川の派川(分流)である日本橋川に架かる橋、日本橋が石橋に改築され、開通式が行なわれる。 
1919年 - ジャーナリストの山本実彦が、社会主義的な評論を多く掲げた総合雑誌『改造』を創刊。第二次世界大戦中に弾圧を受けて1944年に廃刊となるが、第二次世界大戦後の1946年に復刊するも、1955年には再度廃刊となる。 
1922年 - ソビエト連邦共産党中央委員会書記長にヨシフ・スターリンが選出される。15歳にしてマルクス主義(共産主義)に基づいた革命運動に参加するヨシフ・スターリンは、ソビエト連邦の基礎を築いた革命家・政治家、ウラジーミル・レーニンが率いる、ロシア社会民主労働党ボリシェビキ派(ロシア共産党)による十月革命に加わり、ソビエト連邦政府、及びソビエト連邦共産党の成立に深く関与する。1924年、ウラジーミル・レーニン死後に起きた、ロシア十月革命における指導者の1人であり、ウラジーミル・レーニンに次ぐ中央委員会の一員であった、レフ・トロツキーとの後継者争いを制すると、自身が務めていたソビエト連邦共産党中央委員会書記長に権限を集中させることで、後継者としての地位を確立する。党内では、トロツキー派の世界革命論(永久革命)を否定して、一国社会主義論による国内体制の維持を優先する路線を示している。 
1927年 - 漢口事件。国民革命軍(中国国民党の軍)の武漢(中国中部に所在する都市)攻略の際、一部の無秩序な軍隊と暴民が漢口(武漢市の一部)の日本租界(清国[後に中華民国]内の外国人居留地)に侵入し、掠奪、破壊を行ない、日本領事館員や居留民に暴行危害を加える。