4月2日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1火曜日 旧暦  2月24日、先勝(丙申)、月齢 22.7 
グレゴリオ暦で年始から93日目、年末まであと273日。
誕生花 四葉のクローバー・アネモネ(白)。

二十四節気・雑節等
下弦。
半月。月と太陽の黄経差が270°となる日。

国際子どもの本の日(International Children's Book Day)。
1966(昭和41)年、ミュンヘン国際児童図書館(ドイツ南東部のミュンヘンにある、1949[昭和24]年に設立された世界初、世界最大の児童図書館)創設者で、第1回国際アンデルセン賞名誉賞受賞であるドイツの児童文学作家、イエラ・レップマンは、世界中が、子どもの本を通して国際理解を深めるために、デンマークの童話作家であるハンス・クリスチャン・アンデルセンの誕生日、4月2日を「国際子どもの本の日」と定め、毎年、各国でお祝いをしたり、特別の催しを行なって、子どもの本に対する一般の関心を呼起こそう、という提案をした。本部をスイス北西部にあるバーゼルに置き、児童文学の研究・調査、発展途上国の子どもへの本の普及や、本を介して世界中の子ども達との国際交流の促進を主に活動している国際組織、国際児童図書評議会(IBBY)は、この提案を受け、1967(昭和42)年からこの日を正式に祝うこととした。日本では、全国学校図書館協議会の他、保育園、幼稚園等の6団体で構成される絵本週間推進協議会が、この日を挟んだ2週間、3月27日から4月9日までを「絵本週間」として、イベントを行なっている。また、「子どもと本の出会いの会」が、子どもにもっと本を読んでもらおうと、「子どもの本の日」を制定している。児童文学は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品、及びジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。専門の出版物、大学の専攻課程等も存在する。国や世代を超えて読み継がれる名作や、幅広い世代に受入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。しかし、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書、或いは児童図書と呼んで扱っている。子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く、子どもの興味や発育に応じた平易な言葉で書かれる。しかし、難しい内容を扱わないという訳ではなく、難しい内容でも子どもに必要と考え、分かり易い例や言葉で表現する作家もいる。平易な表現で根源的なことを語っている場合があり、子どもに受入れられる児童文学作品には、大人の鑑賞にも堪えられる秀逸なものも多い。日本の児童文学は、近代文学成立とほぼ同時期に確立されたと考えられる。明治時代から大正時代にかけての作家・児童文学作家・俳人、巖谷小波による児童文学作品『こがね丸』(1891[明治24]年発表)や、「日本のアンデルセン」と呼ばれる作家・児童文学作家、小川未明の第1童話集『赤い船』(1910[明治43]年12月刊行)が始まりとされる。1918(大正7)年には、「日本の児童文化運動の父」とされる作家・児童文学作家、鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』が刊行された。主に短編小説を書き、多くの傑作を残した作家の芥川龍之介、人間性を重んじ、人間愛を実践し、併せて人類の福祉向上を目指す、人道主義文学の代表的作家として活躍した有島武郎、生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表する等、近代の日本を代表する詩人とされる北原白秋等が参加したこの雑誌は、後に、小学校国語教科書の教材の定番とも言える児童文学作品『ごん狐』が代表作として知られる児童文学作家、新美南吉らを輩出する等、児童文学の普及・発展に貢献した。その後、日本では、大人から児童に向けた教育を主眼とした内容のものが主流となっていたが、1960年代頃から遊びの要素を持ち、エンターテイメントとしても優れたものや、大人の文学表現にも匹敵する作品が登場するようになった。詩においては、まど・みちおが著名である。まど・みちおは25歳の時、北原白秋にその才能を認められ、33歳で第二次世界大戦対米英戦に召集された。詩作りは20代から始め、以来生涯に亘って詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争等に対する不満である。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」等の、そのおおらかでユーモラスな作品は、童謡としても親しまれている。表現の前に存在があるという意味で、「存在の詩人」とも称された。子どもの水彩画に代表される画家・絵本作家、いわさきちひろは、絵で展開する絵本を制作し、国際的にも高い評価を得た。また、ハンス・クリスチャン・アンデルセンに深い思い入れをもっていたいわさきちひろは、1966(昭和41)年にデンマークにあるハンス・クリスチャン・アンデルセンの生家を訪れた他、ヨーロッパ各地で大量のスケッチを残した。漫画家・絵本作家・詩人、やなせたかしの『アンパンマン』は、当初大人向けに書かれたが、後に幼児向けの絵本として再発表され、テレビアニメで絶大な人気を博した。 
五百円札発行記念日。
1951(昭和26)年、「維新の十傑(倒幕・明治維新に尽力した志士の内、幕臣以外の10名)」の1人で、公家から明治政府首脳となった岩倉具視の肖像の500円札(日本銀行券[法令に基づき日本の中央銀行である日本銀行が発行する紙幣]の1つ、五百円紙幣)が初登場した。1982(昭和57)年に500円硬貨が発行された後も、1985(昭和60)年までこの500円札の製造は続けられたが、1994(平成6)年には支払いも停止されている。以後は500円硬貨がその替わりを担っている。それでも、五百円札の日本国内での潜在的市場残存数は約2億枚で、現行紙幣の二千円札の流通数、約1億5千万枚よりも多い、とされる。なお、日本国内で発行された紙幣、又は硬貨で、1円以上のものであれば、使用することは可能である。1946(昭和21)年2月、インフレーション(通貨膨張やインフレ等とも呼ばれる、物価が持続的に上昇する経済現象)抑制を目的とした新円切替(新紙幣[新円]の発行と、それに伴なう従来の紙幣流通の停止等による通貨切替政策)が断行され、新たに五百円紙幣A号券が発行された。しかし、その後もインフレーションは収まらず、また、極めて短期間の内に準備・制作・印刷されたA号券は粗製で偽造が横行したため、1950(昭和25)年には、最初のB号券(正式名は「日本銀行券B号1000円」)と呼ばれる聖徳太子(第31代天皇、用明天皇の第二皇子で、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った)の肖像画入り千円紙幣(正式名は「日本銀行券B号1000円」)が発行された。その翌年に、千円紙幣と百円紙幣の間を埋めるべく、B五百円券が発行され、1969(昭和44)年11月1日には、同じ岩倉具視の肖像の500円札、C五百円券が発行された。C五百円券は、表面の岩倉具視、裏面の富士山、共に原画像はB五百円券と同じものを使っているため、全体的なデザインはよく似ているが、印刷はより精緻になっている。1982(昭和57)年に500円硬貨が発行された後も、1985(昭和60)年までC五百円券の製造は続けられ、1994(平成6)年4月1日に支払いが停止された。以後は、500円硬貨がその替わりを担っている。