4月1日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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柴犬ハルがお伝えします

携帯ストラップの日。 
神奈川県小田原市栄町に本社を置く、携帯ストラップ販売の代表的メーカー、株式会社StrapyaNext(ストラップヤネクスト、現在は、情報通信も手掛ける企業、Hamee株式会社となっている)が2009(平成21)年に制定。日付は、1991(平成3)年4月1日に、日本初のストラップ用の穴が開けられた携帯電話「mova TZ-804」が発売されたことに由来する。なお、「mova」は、かつて最大手携帯電話会社株式会社NTTドコモが提供していた、800MHz帯(一部1.5GHz帯)を利用した第1世代(アナログNTT大容量方式)、及び第2世代(デジタルPDC)携帯電話無線機であり、「mova」の名称は、英語「のmovable(動かせる、移動する)」の最初の4文字から採ったものとなっており、携帯のし易さ、移動のし易さを表現している。2001(平成13)年、第3世代携帯電話の正式サービスとして開始された「FOMA」は、2009(平成21)年には株式会社NTTドコモの主流サービスとなり、その影響から「mova」ユーザーは激減する。そして、「mova」は、2012(平成24)年3月31日限りでサービスが終了、停波した。ストラップとは、一般的に紐のことを指す。日本では、携帯電話の普及に伴ない、それに付ける提げ紐のことを指すことが増えた。携帯電話以前からのストラップとしては、肩かけかばんやギター等の楽器を肩から吊るすためのショルダーストラップ、カメラ、身分証明書、ホイッスル、ペン等を首から下げるネックストラップ、ペットボトルや携帯ゲーム機を吊るすための専用ストラップやハンドストラップ等がある。この他、服、水着等の結び紐や肩紐 、鉄道車両やバス等のつり革、シートベルトにも用いられる。携帯機用の提げ紐としてのストラップは、携帯電話、携帯ゲーム機等に付いているストラップ用の穴(ストラップホール)に、細い輪を通して使用する(大抵、ひばり結び[ロープ等を芯に縛り付ける結び方の1つ]が用いられる)。携帯電話用のストラップは俗に、「ケイタイ(或いは『ケータイ』)・ストラップ」と呼ばれる。登場当初のハンドヘルド型(何とか持運べる程度の小型サイズ)の携帯電話は重量があり、大変高価であったことから、落下防止のために手首に通すストラップが装備されていた。以降、携帯電話等はこれを踏襲することが一般的になる。種類は、ショートストラップと、ネックストラップがあり、ショートストラップの多くは手首、又は指を通して、ネックストラップは首に掛けて使用する。形状には色々なものがあるが、一般的なものは、対象物に固着するための細い輪の部分(アクセサリーパーツとしては松葉紐という)と、手首等に通すために輪になった紐の部分で構成されている。この紐部分には、様々な色や模様が付いているものがあり、素材もビニール、ポリエステル、革等、多種に亘っている。また、根元部分に小さなアクセサリーやマスコット等が付いていることも多い。携帯電話等を彩るためにも使用され、現代の根付とも言える。携帯ストラップの原型は、江戸時代に起源を持つという説もある。ポケットのない着物を着るために、腰の帯に巾着や扇子等をぶら下げて携帯するには、紐の先に滑り止めを付ける必要があった。その滑り止めという実用性と共に、装飾具としての役割をもつ物として登場したのが根付である。また、携帯ストラップが日本で普及したきっかけは、1995(平成)年に施行された「製造物責任法(PL法、平成6年7月1日法律第85号)」によるという説もある。「製造物責任法(PL法)」の施行当初、携帯電話キャリア各社は、携帯電話取扱説明書中で、落下防止のために携帯ストラップに手を通して使用するよう指導しており、携帯電話機に携帯ストラップを付属させ販売していた。ストラップは通常、携帯電話ショップ等で売られているが、値段が比較的安価で軽いので、手軽な土産物としても売られ、販促品として飲料、食品に付くことも多い。ミュージシャン等のファングッズでは欠かせないアイテムとなっている。また、市場等に出回らず、個人、又は団体が限定的に配布をしているものも多く存在している。 
ビックリマンの日。
ビックリマンチョコシリーズの企画開発を行なう「ビックリマンプロジェクト」が制定。東京都新宿区西新宿に本社を置く、大手菓子メーカーの株式会社ロッテが、1977(昭和52)年に発売を開始したビックリマンチョコシリーズは、おまけシールのビックリする仕掛け作りで子ども達に親しまれている。日付は、ビックリマンのコンセプトである「人をビックリさせる」ことに拘り、一般的に人をビックリさせる「エイプリルフール」の4月1日とした。チョコレートをウエハース(小麦粉、卵、砂糖等を混ぜ合わせて、格子模様の入った型で挟み薄く焼いたもの)で挟んだビックリマンチョコを広くPRすることが目的。ビックリマンチョコは、チョコ内にピーナッツが入っていたイメージが強いが、時代によって適宜変更されている。1977(昭和52)年に発売された際には「ドッキリシール」という、使って悪戯を行なえるというコンセプトシールが封入されていた。背景が透明で、本物らしく似せたコンセント、キスマーク等の写真がシールになっており、壁等に貼って遊ぶことが推奨されていた。その後、1985(昭和60)年までは「立体ドッキリシール」「ウッシッシール」「マンギャシール」「まじゃりんこシール」等とマイナーチェンジを繰返していた。ブームとなった「悪魔VS天使」シールは、1985(昭和60)年から発売開始された。シールの種類は、天使と悪魔とお守りの3枚1組で各12種ずつあって、2ヶ月毎にバージョンチェンジがなされていった。悪魔は寒色系の地味な色合い、お守りは透明なシール、天使はキラキラと光っており、悪魔の4分の1の割合しか封入されていない希少度の高いシールであった。ビックリマンシールは、発売された翌年から小学生を中心に大ブームを引起こし、毎月の販売数は約1,300万個、出荷金額は1,000億円を超えた。ヒットの要因は、シールにストーリー性とゲーム性を取入れたことにある。一見駄洒落ばかりに見えるキャラクターの名前と、神話の創世記(天地創造から始まる、ユダヤ教、キリスト教の聖典である聖書の最初の書)を匂わす密度の高いストーリーが魅力的であった。シリーズが進むにつれてキャラクターがパワーアップするという手法も、ユーザーのコレクター魂を引起こすのには十分であった。また、シールの裏にはさまざまな文章が書かれており、アニメや漫画等の原作が無いにも拘らず、お菓子の中だけで独自のストーリーが展開されていった。これは、前例の無かったことである。たまに暗号めいたものがあったりと、シール1つで、まるで読書のように行間を読ませる手法も、人気の大きな要素であった。ゲーム化、アニメ化、映画化、アイスキャンデー化等とマルチな展開を見せたが、目当てのシールだけを抜出し、チョコレート菓子を捨てる事例、或いは、大量に買込んだ為に、食べ切れなくなったチョコレート菓子を捨てる事例が多発し、食べ物を粗末にする行為が多く報告され、全国的に社会問題となった。さらに、菓子の購入資金が裕福な年齢層による、大人買いと呼ばれる大量購入行為により、品薄になる地域が発生し、社会問題に拍車を掛けた。その後、長きに亘る販売商品故の消費者側の疲弊やブームの沈静化から、1992(平成4)年には、悪魔VS天使シールを礎とする一連のシリーズの商品は展開を終了した。
うそつきマスカラの日。
東京都港区南麻布に本社を置く、化粧品、医薬部外品の企画・開発・販売を手掛ける企業、株式会社pdcが制定。まるで自分のまつ毛が伸びたように、ナチュラルにまつ毛が盛れる商品の特性から命名した「うそつきマスカラ」。その販売促進とマスカラ、及びその関連シリーズ商品を使って、自分らしさを引出し、理想の自分になってもらうことが目的。日付は、可愛い「ウソ」をつける日として、エイプリルフールと同じ4月1日を記念日としたもの。