3月30日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

マフィアの日。
1282(弘安5)年に、「シチリアの晩鐘(シチリアの晩祷)」と呼ばれる事件が発生した日。フランスの支配下であったシチリア島(イタリア半島の西南の地中海洋上に位置する島)で、フランス兵が土地の娘に手を出そうとしたことに反発したシチリア島民が、この日の夜の復活祭月曜日の晩鐘を合図に、フランスのアンジュー王家の兵士達を虐殺した。その時の合言葉、「フランス人に死を、これがイタリアの叫び」の各単語の頭文字を並べると「マフィア」となる。この事件は、多くの文芸作品や芸術作品の題材となったが、合言葉は文章的に不自然で、後世の創作の可能性が高いとされる。この暴動はシチリア全島に拡大し、その後約6週間に亘って続くことになる。フランス系の住民は見付かり次第に殺され、その数は4,000名以上に及んだ。シチリア島は当時、アンジュー伯シャルル(シャルル1世、シャルル・ダンジュー)率いるフランスの支配下にあったが、アンジュー伯シャルルのアンジュー王家はシチリアから追放され、代わってアラゴン王家がシチリアの支配者となったが、2つの王家の間で繰広げられた戦争は約20年にも及んだ。「シチリアの晩鐘(シチリアの晩祷)」に始まるこの戦争は、「シチリア晩祷戦争」と呼ばれている。アラゴン王国は、中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペイン北東部、アラゴン州に存在した王国である。13世紀前半、東隣のカタルーニャ君主国(現在のスペイン最北東部、カタルーニャ州に当たる地域)と統合され、アラゴン連合王国と呼ばれる同君連合が成立した。「シチリアの晩鐘(シチリアの晩祷)」の後、アラゴン連合王国の軍隊はシチリア大使から、フランス王家の傍系であるアンジュー伯シャルル(シチリア王としてはカルロ1世)の王座を奪うことを要請された。当時のアラゴン連合王国国王、ペドロ3世は、シチリアを支配していた中世シチリア王国の王朝、オートヴィル朝(ノルマン朝)の血を引いており、1282(弘安5)年8月30日にはシチリア島に上陸し、9月4日には、シチリアの地の王を宣言した。1302(正安4)年、アンジュー伯シャルル(カルロ1世)の次男、カルロ2世・ダンジョの代理人で、フランス王国王族のシャルル・ド・ヴァロワと、ペドロ3世の三男であるフェデリーコ2世の間で、シチリア晩祷戦争の講和条約、カルタベッロッタの和平が締結された。この条約で、シチリア王国の分裂が認められ、カルロ2世・ダンジョの家系、アンジュー家による南イタリアの大陸部の統治(シチリア王国)、及び、アラゴン連合王国のフェデリーコ2世による、シチリア島とその近くの島嶼の統治(トリナクリア王国)が承認された。アンジュー家によるシチリア島再征服の動きもあったが、失敗しており、分裂は固定化する。そして、「灯台のこちらのシチリア王国」(半島側:ナポリ王国のこと)と「灯台のあちらのシチリア王国」(シチリア島側)という呼び名が生まれた。この後も長期に亘り、シチリアはスペインの支配下に置かれている。マフィアとは、イタリアのシチリア島を起源とする組織犯罪集団で、19世紀から恐喝や暴力により勢力を拡大した。マフィアの一部は19世紀末より20世紀初頭にアメリカ合衆国に移民し、大都市部を中心に勢力を拡大した。組織犯罪集団の代名詞的存在であるため、他民族、若しくは他地域の犯罪組織も「マフィア」と呼ばれることがある。また、市場における匿名の投機筋を、「金融マフィア」等と呼ぶように、比喩的に使用される場合もある。マフィアの起源は、中世のシチリア島における、ガベロットと呼ばれる農地管理人である。ガベロットは、農地を守るため武装し、また、農民を搾取しつつ、大地主ら政治的支配者と密接な関係を結んでいった。19世紀後半には、現在のイタリア共和国の前身となる統一イタリア王国にシチリア島が統合されたことが、歴史の変換点となった。シチリア島の住民達は、それまでの数世紀に亘る、フランス人やスペイン人といった外国人支配者による政治的な圧迫の記憶から、政治や政府そのものに対して強い不信感があり、住民同士での互助組織を通じて、その時々の外国人支配者に対して抵抗していた。このため、中央政府に対する反発が強まり、大地主、保守的な宗教勢力、勃興する労働運動、さらに、ファシスト(国粋主義者とも呼ばれる、全体主義[個人の全ては全体に従属すべきとする思想]的・排外的政治理念の信奉者)による混迷が生まれ、マフィアの躍進する素地ができてくる。マフィアは、イタリアで主に労働運動等を扇動し、デモ等を通じて、会社や政治への関係を強めた。また、マフィアの一部は、イタリア人のアメリカ大陸への移民が増えるにつれて、アメリカ大陸においても同様の犯罪結社を作り、定着した。イタリア系アメリカ人は、18世紀から19世紀前半までにアメリカに渡って定着したイングランド人やドイツ人等、プロテスタント(主に、カトリック教会から分離したキリスト教の教派、さらに、そこから分離した教派のことで、新教とも呼ばれる)移民に大きく遅れ、19世紀末から20世紀初頭になって、ようやくアメリカへ入って来た後発移民集団であった。イタリア系アメリカ人は、アメリカ社会の底辺に置かれたことから、同郷出身者同士の協力関係を築くようになる。アメリカマフィアは、本来イタリア系移民の中で結ばれた、こうした相互扶助の形式から発達したとされる。マフィアは、1920年代から1930年代にかけて、イタリアの陸軍軍人・政治家、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権によって徹底的に弾圧され、壊滅的な打撃を受けた。この時、一旦衰退したマフィアは、第二次世界大戦中に対伊攻略のため、アメリカ政府が利用したアメリカマフィアによって、逆輸入される形で再建され、現在まで至っている。マフィアは、日本のヤクザ(組織を形成して、暴力を背景に職業的に犯罪活動に従事し、収入を得ているもの)等とは異なり、徹底した秘密組織・非公然組織である。これは、マフィアには、構成員に服従と沈黙を厳しく命じる、血の掟(オメルタ)が存在するためである。掟を破った時には、他の構成員に対する見せしめの為、凄惨な制裁が為される。行方不明になり、後に拷問を受けた痕のある惨殺体で発見される例が最も多い。この掟と、正式構成員が少人数であることが相まって、マフィアに対する犯罪捜査は困難である。1972(昭和47)年に公開されたアメリカの長編映画で、イタリア系移民の悲哀を描き出した一大叙事詩的映画であり、当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった 『ゴッドファーザー』は、単なる組織犯罪やギャングの物語ではなく、家族の愛憎とファミリーを守ろうとする男達の姿が主要なテーマである。特に、マフィアを描いた作品で知られているアメリカの作家、マリオ・プーゾが、1969(昭和44)年に発表した長編小説が原作で、アメリカに生きるイタリア人移民と、その子孫であるイタリア系アメリカ人一族の栄光と悲劇を描く。「ゴッドファーザー」とは、マフィアのボス、又はファミリーのトップへの敬称であるが、本来は、カトリックでの洗礼時の代父(名付け親)という意味である。イタリア等の伝統的なカトリック世界では、洗礼時の代父・代母は第二の父母であり、後見人的な存在として生涯に亘り関わりが続いたことに由来している。アメリカにおけるイタリア人移民社会でも、本国イタリア同様に、代父母との係わりが重視されていたため、場合によっては、イタリア系アメリカ人社会の実力者であるマフィアのボスに代父を頼み、協力を惜しまない代わりに庇護を求めていた、という歴史的背景がある。 
白黒猫さんの日。
千葉県船橋市本町で白黒猫のコンテンツ「白黒さんいらっしゃい」を運営する企業、株式会社築地ファクトリーが制定。日付は、ebサイト「白黒さんいらっしゃい」が立上げられた日の2017(平成29)年3月30日から、3月30日を記念日とした。「白黒さんいらっしゃい」とは、絵本作家・イラストレーターのさかざきちはる、漫画家・むびしばい作家のハヤカワケンゾーによる、白黒猫さん達との楽しいコミュニケーションを広げたい、との思いから生まれた、白黒の猫だけの画像サイト。記念日を通して、白黒猫さん達とのコミュニケーションを一層広げることが目的。街のはずれに、白黒猫の絵だけを描く不思議なお店がある。このお店では、白黒猫のことを白黒さんと呼ぶ。描かれた白黒さん達をよく見ると、色んな柄のデザインの子がいる。名前もユニークで、性格や癖もみんな違う。白黒さんのことがよく分からない方でも、この子達を見ているだけで、何だかいい気持ちになってくる。サイト「白黒さんいらっしゃい」には投稿フォームがあり、あなたの白黒猫さんの写真を投稿できる。そして、編集室で選考した後に、白黒猫さんがサイトで紹介される。また、さかざきちはるが選んだ白黒さんが絵になり、様々な雑貨になる。さらに、ハヤカワケンゾーが「むびしばい」という動画にしてくれる。