3月30日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第5土曜日 旧暦  2月21日、仏滅(癸巳)、月齢 19.7   
グレゴリオ暦で年始から90日目、年末まであと276日。
誕生花 アルメリア・エニシダ・サクランボ。

二十四節気・雑節等 
雷声を出す。
七十二候の1つ(12候)。 

国立競技場落成記念日。
1958(昭和33)年3月30日、東京都新宿区の神宮外苑に建設中であった国立霞ヶ丘陸上競技場が完成し、落成式を行なったことに由来する。国立競技場は、スポーツ振興団体である独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が管理運営する国立霞ヶ丘競技場・国立代々木競技場(東京都渋谷区にあるスポーツ施設)・国立スポーツ科学センター(西が丘)サッカー場(サッカー専用の球技場で、現在の名称は「味の素フィールド西が丘」)の総称であるが、一般に「国立競技場」と呼ぶ場合、この国立霞ヶ丘陸上競技場が取上げられることが多い。国立霞ヶ丘陸上競技場は、1924(大正13)年に青山練兵場(大日本帝国陸軍の兵隊が行進を練習していた広場)跡地に建設された、明治神宮外苑競技場が前身である。世界の有名なスタジアムを参考にし、当時として最新鋭の設備を備えた明治神宮外苑競技場には、陸上競技場の他、野球場、相撲場、プール等が設置された。第二次世界大戦中は、陸上競技場が学徒出陣(高等教育機関[後期中等教育と呼ばれる、高等学校等に続く上位の学校種で実施される教育]に在籍する20歳以上の文科系、及び農学部農業経済学科等の一部の理系学部の学生を、在学途中で徴兵し出征させたこと)の壮行会の舞台となった。1945(昭和20)年に第二次世界大戦で日本が敗戦すると、施設はアメリカ軍によって接収され、しばらくは『ナルキニック・スタジアム』という名称で使用されていた。その後、オリンピックの開催を目指し、1956(昭和31)年に、文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)に譲渡され、明治神宮外苑競技場を取壊して、国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。総工事費13億円以上の巨費を注ぎ込んだ国立霞ヶ丘陸上競技場は、完成した年に第3回アジア競技大会(インドの提唱により始められた、アジアの国々のための総合競技大会)のメイン会場となり、その後にスタンドの増築が行なわれ、1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)のメインスタジアムとして使用され、開閉会式場ともなった。完成年次である1958(昭和33)年からは、日本陸上競技選手権大会が開催されるようになり、2005(平成17)年まで断続的に会場として利用された。サッカーの競技場としては、1968(昭和43)年から天皇杯全日本サッカー選手権大会(サッカー日本一を争う日本選手権大会)が開催されるようになった。翌1969(昭和44)年1月1日、初めて天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦が国立霞ヶ丘陸上競技場で実施され、以降「国立での元日の決勝戦」が定着した。1976(昭和51)年度から全国高等学校サッカー選手権大会も開催されるようになった。上位進出を決めたチームのみが「国立」のピッチでプレーすることができるため「高校サッカーの聖地」と見做されるようになった。国立霞ヶ丘陸上競技場は、日本を代表する大型スタジアムとして利用されてきた。同規模の5万名の観衆を収容できるスタジアムは、1924(大正13)年開場の阪神甲子園球場を別にすれば、長らく存在せず、野球中心の屋根付き施設である1988(昭和63)年開場の東京ドーム、陸上競技場では、1994(平成6)年アジア競技大会開催に向け建設された1992(平成4)年の広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)開場を待たねばならなかった。2002(平成14)年に開催された2002 FIFAワールドカップ(第17回日本・韓国共同開催大会)の計画案においても、国立霞ヶ丘陸上競技場を会場として利用することが検討されたが、国際サッカー連盟(FIFA)が要求する会場仕様として、「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること」が条件に挙げられていたため、候補から外された。過去の大会では、改装により屋根を架けた例もあるが、予算等の問題から、改装は行なわれなかった。2002 FIFAワールドカップ(第17回日本・韓国共同開催大会)の決勝戦は横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で実施され、それ以降も、大規模なサッカーの試合は、より観客収容人数が多く興行収入が見込める、神奈川県横浜市港北区にある陸上競技場兼球技場の横浜国際総合競技場、若しくは埼玉県さいたま市緑区にあるサッカー専用のスタジアム、埼玉スタジアム2002で開催することが多くなった。FIFAワールドカップのアジア地区予選も、1997(平成9)年のフランス大会予選を最後に行なわれなかった。陸上競技の会場としても、走行レーンが8レーンしかないことや、サブトラックが400mトラックでないために、現在の国際陸上競技連盟の規格を満たしていない。トラックを使用したマラソン以外の国際陸上競技大会としては、1999(平成11)年にスーパー陸上(毎年9月に日本で開かれていた国際陸上競技大会)が行なわれてから、2013(平成25)年にゴールデングランプリ東京(世界の一流陸上選手を多数招待して開催する、1日の単発競技会としては日本最大級の大会)が開催されるまで、久しく行なわれなかった。2013(平成25)年の第68回国民体育大会(東京国体、愛称は「東日本大震災復興支援 スポーツ祭東京2013」)において、国立霞ヶ丘競技場は、計画段階で競技会場に含まれなかった。2000年代からは音楽コンサート等の利用も進められ、毎年8月に開催される神宮外苑花火大会の会場の1つとなっていた。また、それ以外のイベントとしては、2009(平成21)年7月5日に石原裕次郎23回忌法要が開催された。需要の変化や著しい老朽化等から、新国立競技場への建替えによる閉鎖に当たり、2014(平成26)年1月から5月末の閉鎖まで、「SAYONARA国立競技場プロジェクト」と題した閉鎖記念のイベントを展開した。そして、2014(平成26)年5月31日、「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」のピッチ開放をもって閉場となった。新国立競技場は、国立霞ヶ丘陸上競技場の全面建替工事によって建設された競技場である。日本のスポーツ振興を目的として設置された独立行政法人(中期目標管理法人)、日本スポーツ振興センター(JSC)が運営主体で、施設所有権も持ち、2021(令和3)年に開催された東京オリンピック(第32回オリンピック競技大会)と、東京パラリンピック(第16回パラリンピック競技大会)のメイン会場、オリンピックスタジアムとなった。開場時点では、陸上競技場兼球技場として建設されており、東京オリンピック(第32回オリンピック競技大会)では、開会式・閉会式の他、陸上競技(トラック&フィールド)の会場として、東京パラリンピック(第16回パラリンピック競技大会)では、開会式・閉会式の他、陸上競技(トラック&フィールド、及びマラソンのゴール)の会場として使用された。東京オリンピック(第32回オリンピック競技大会)と、東京パラリンピック(第16回パラリンピック競技大会)の終了後は、球技専用スタジアム(8万席規模)に改修される方針であったが、陸上競技場としての活用も再検討され、2025(令和7)年に開催される予定の2025年世界陸上競技選手権大会(世界陸上2025東京大会)の開催地に決定した。