3月27日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4水曜日 旧暦  2月18日、先勝(庚寅)、月齢 16.7 
グレゴリオ暦で年始から87日目、年末まであと279日。
誕生花 ジギタリス・カルセオラリア・ショウジョウバカマ・ポプラ。

世界演劇の日(World Theatre Day)。 
国際連合の主要機関の1つで、経済問題(貿易、輸送、工業化、経済開発)、及び社会問題(人口、子ども、住宅、女性の権利、人種差別、障害者、麻薬、犯罪、社会福祉、青少年、人間環境、食糧)、労働、文化、教育等を担当し、必要な議決や勧告等を行なう機関、経済社会理事会(ECOSOC)の下に置かれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関、国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定した日。1961(昭和36)年6月、オーストリアの首都ウィーンで行なわれた第9回国際演劇協会(ITI)世界会議で、国際演劇協会(ITI)フィンランド支部代表者であった、フィンランド語文芸グループの1人、アルヴィ・キヴィマーの提案により、「世界演劇の日」の制定が決まった。翌1962(昭和37)年にフランスの首都パリで開幕した第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)の初日であった3月27日に、世界演劇の日第1回行事が行なわれた。以降、毎年3月27日に関連行事が行なわれている。行事の中心は、世界の演劇人に向けたメッセージの発表で、国際演劇協会(ITI)の招聘を受け、著名な演劇人が演劇や平和の文化をテーマとする文章を発表する。最初の年であった1962(昭和37)年には、フランスの詩人、ジャン・コクトーがメッセージを書いており、以降は、アメリカの劇作家アーサー・ミラー(1963[昭和38]年)、フランスの俳優・演出家・劇団主宰者ジャン=ルイ・バローと、イギリスの俳優・映画監督ローレンス・オリヴィエ(1964[昭和39]年)、劇団ベルリナー・アンサンブルの創立者であるオーストリア出身のドイツ(東ドイツ[ドイツ民主共和国])の女優ヘレーネ・ヴァイゲル(1967[昭和42]年)、イギリスの演出家・演劇プロデューサー・映画監督ピーター・ブルック(1969[昭和44]年、1988[昭和63]年)、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家ルキノ・ヴィスコンティ(1973[昭和48]年)、フランスで主に活躍したルーマニアの劇作家ウジェーヌ・イヨネスコ(1976[昭和51]年)、イギリスの女優ジュディ・デンチ(2010[平成22]年)等がメッセージを発表している。演劇とは、主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマ等を、同じ場にいる観客に対し、リアルタイムに提示する表現活動を言う。演劇の起源としては、よく言われる説には、呪術や宗教的儀式が発展し、演劇となっていたのではないか、というものがある。一方で、人間が本能として、或いは社会的営みとして行なう遊びこそが、演劇の起源とも言われている。例えば、ある者が他人や動物の物まね等をする。それを見て楽しむ者が生まれた時点で、演劇が発生したとするものである。いずれにせよ、演劇が、人類史の初期に生まれたであろうことは間違いない。俳優の演技の他、様々な芸術表現を組合わせて調和と協調を図り、演劇作品は作られていく。それ故に、演劇は総合芸術の1つとして捉えられている。用いられる芸術分野は多岐に亘り、音楽や舞踊、舞台音響・舞台照明や舞台美術、時には、舞台機構や劇場となる空間そのもの等、建築デザインの範疇にまで至る。演劇のために劇作家が執筆する戯曲は、それ単体でも文学作品となり得る。演劇は通称「芝居」と言われる。「芝居」は、平安時代の観客席が芝生であったことに由来している。現在でも、「(お)芝居を観に行く」というフレーズが日常的に用いられているのに対し、「演劇を観に行く」という表現はあまりされない。また、演劇に携わる者が「芝居をやっている」という表現をよく使う。さらに、演劇を指して「舞台」と言われることも多い。「舞台を観に行く」も日常的である。「俳優○○の舞台出演作」とは言われても「演劇出演作」という表現は一般的ではない。俳優が初めて演劇作品に出演する場合、又は、作品そのものについて、「初舞台」という言葉が使われる。これらに鑑みると、「演劇」という言葉には、よりフォーマルで専門用語に近い位置付けがあるとみられる。最初の開演日を「初日」といい、最終公演を「千秋楽」という。上演期間が長い場合、ほぼ中間に当たる上演日を「中日(なかび)」といい、それぞれに俳優やスタッフが祝われたり、お互いを労ったりする機会となる。演劇作品は、上演期間中でも、演出家による様々な変更があったり、連日の観客の反応を見た上で、考慮して変更される箇所があったり、1人1人の俳優達も、日々演技を改良・変更するため、上演期間中でも演劇作品は変化してゆく。上演期間中に複数回鑑賞する観客は、その変化を楽しむことができる。また、上演する度に、観客集団(実際の、個々の人々、面々)が異なっており、観客が異なれば、おのずとその反応の仕方も異なり、観客の反応次第によって、俳優の気持ちが盛上がり演技がうまくいったり、冷やかな反応であると、反対に緊張して固くなってしまったりと、観客次第で俳優の演技も変化するので、演劇作品は(演出家や俳優だけが一方的に作るのではなく、実は)「観客が作る」とか、「観客によって作られる」等と言われることがある。俳優の台詞のちょっとした抑揚や「間」も(一定であろうとしても自然と)変化し、掛合いのタイミング、動き等も、毎度少しずつ異なるものとなり、また、さらに、時には舞台上、劇場内で思わぬハプニングも起こることもあるので、演劇(の上演)は「生き物」である、等とも言われる。上演の準備の有様は、古典的な演劇と現代演劇等、分野や劇団毎に異なっている。現代演劇では、上演する前に、それなりの期間(多くは1ヶ月程度)に亘る俳優の稽古が必要となる。多くの演劇作品で、上演時間は1時間半以上、長いものでは、途中休憩等を除いても3時間以上もあり、出演する俳優達は、演出家の指示の下、稽古を通してセリフや動き、他の俳優とのやり取りを、身体で覚える必要がある。古典歌舞伎等の場合は、セリフや動きが型に嵌まっており、幼少時からの稽古で演目や演技の「型」が役者の身体に染み付いているためか、(上演直前の)稽古期間は数日であるという。新作歌舞伎でも、その稽古期間は現代劇に比べ圧倒的に短い。また、古典歌舞伎に演出家はいない。演劇のジャンルの1つに、商業演劇がある。元々、商業演劇という言葉は、芸術志向的な演劇を目指す新劇(ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す日本の演劇運動)の側から、従来の旧劇(歌舞伎)等に対して批判的に使われたもので、こうした言い方は日本独特とも言われる。海外においては、文化政策やショー・ビジネスとして、大きい劇場に出演し、利益が出て、スタッフやキャストに出演料を払い生計が立つのがプロであり、アルバイトで生計を立てている俳優をアマチュアというが、日本においては、江戸時代までは海外のように、労組に属する等のプロとアマチュアの区別がはっきりしておらず、アルバイトで生計を立てていても、自らをプロと称する俳優がいる反面、利益を出して生計を立てていても、商業演劇の俳優を見下す傾向があったが、これには妬み等も関係している。