3月25日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

EGSスリースマイルの日。
神奈川県横浜市西区みなとみらいに本社を置く、石油製品販売やコンビニエンスストア運営、コーヒーショップ運営等を手掛ける企業、株式会社ENEOSジェネレーションズが制定。株式会社ENEOSジェネレーションズは2017(平成29)年から、「お客様を笑顔に」「従業員を笑顔に」「地域から愛されるお店に」の「3つのスマイル」を、企業ブランドの誓いに掲げて行動指針としており、社内のクレド(「信条」「志」)として浸透している。記念日を設けることで、さらに社員の心を1つにすることが目的。日付は、「3つのスマイル」を「3つのニッコリ(25)」と読替えて、3月25日としたもの。日本有数の大企業となっている持株会社、ENEOSホールディングス株式会社(本社所在地は、東京都千代田区大手町)が中核となって形成している企業集団、ENEOSグループの事業は、石油関連・金属関連等、多岐に亘っている。その石油製品販売・流通事業を担う子会社の1つが株式会社ENEOSジェネレーションズで、2019(平成31)年4月1日、社名が中央石油販売株式会社から変更した。地球の力を、社会の力に、そして人々の暮らしの力に。エネルギ-・資源・素材における創造と革新を通じて、社会の発展と活力ある未来づくりに貢献することを使命とする。ENEOSグループの中核を担うのは、東京都千代田区大手町に本社を置く、日本の石油元売として最大手、世界では第6位の規模を持つ企業、ENEOS株式会社である。主な製品は、燃料油(ガソリン・軽油・灯油・ジェット燃料・重油等)やアスファルト、液化石油ガス、潤滑油といった石油製品、ベンゼン・トルエン・キシレン・ナフサ等の石油化学製品である。石油・石油化学以外のエネルギー事業では、液化天然ガスや石炭の輸入販売、燃料電池・家庭用燃料電池コジェネレーションシステム(エネファーム)の開発を進める他、製油所・製造所併設の発電所や、油槽所に設置した風力発電設備等を使用した電力卸供給事業(IPP)や電力小売事業(PPS)を展開している。
みんなでニッコリみんなで健康長寿の日。
福岡市中央区草香江に本社を置く、ヘルスケア商品、スキンケア商品等の製造、販売を行なう食品加工メーカー、キューサイ株式会社が2018(平成30)年に制定。健康寿命について考え、ただ長生きするのではなく、いくつになっても明るく元気に、いきいきと美しく、幸せな時間を過ごしてほしい、との想いから、100歳まで楽しく歩ける人生を全力でサポートする「100歳まで楽しく歩こうプロジェクト」を推進しているキューサイ株式会社が、健康長寿には「運動・食事・交流」が重要として、2月25日の「ひざ関節の日」(運動)、4月25日の「しあわせニッコリ食で健康長寿の日」(食事)と共に、交流の大切さを多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、3月25日の「3」と「25」で、「み(3)んなでニッ(2)コ(5)リ」の語呂合わせから。キューサイ株式会社が行なった「100歳100人実態調査」の結果により、元気な100歳の人の中には、毎日自転車に乗ってカラオケに行ったり、デイサービスで折り紙を教えたり、ピアノを弾いて喜んで頂いたり等と、周りの方との交流を大事にしている人が多くいることが分かり、健康長寿には「交流」が重要としている。
ぷろぽりす幸子の日。
マルチクリエイターでバーチャルタレント、ぷろぽりす幸子が制定。2019(令和元)年8月のデビュー以来、動画サイトでの配信や歌の投稿、企画、朗読、執筆、イラスト、動画制作等、さまざまなことに挑戦する、ぷろぽりす幸子。その活動を、さらに多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、ぷろぽりす幸子の名前、「幸子」から、3月25日の「3」と「25」で、「さ(3)ち(2)こ(5)」と読む語呂合わせによる。
みつこの日。
2021(令和3)年にデビュー35周年を迎え、数々のヒット曲で知られる演歌歌手・女優、中村美律子が制定。日付は、3月25日の「3」と「25」で、「み(3)つ(2)こ(5)」と読む語呂合わせから。大阪府東大阪市出身で、大阪では絶大な人気を誇る中村美律子は、河内音頭や浪曲等をベースに情感を込めて歌う。受賞歴として、1991(平成3)年の「第10回 メガロポリス歌謡祭 TXNネットワーク縦貫記念特別賞」「第17回 日本演歌大賞 演歌スター賞」「第33回 日本レコード大賞 優秀アルバム賞」「第24回 日本有線放送大賞 特別賞」等がある。また、大晦日の夜に公開生放送される、男女対抗形式の大型音楽番組『NHK紅白歌合戦』には、1992(平成4)年に『河内おとこ節』で初出場をして以来、2010(平成22)年までに15回出場している。その他、大阪府岸和田市や大阪府東大阪市の観光大使を務めている。
蓮如忌。
室町時代の浄土真宗の僧で本願寺第8世、蓮如の1499(明応8)年の忌日(旧暦)。蓮如は本願寺中興の祖とされ、同宗旨では、「蓮如上人」と尊称される。1882(明治15)年に、第122代天皇、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。また、本願寺蓮如とも呼ばれる。浄土真宗の宗祖、親鸞の直系とはいえ、蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院(現在の京都市東山区に所在する天台宗の寺院)の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に、佛光寺教団(浄土真宗の一派)の興隆に対し、衰退の極みにあった。蓮如はその本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた。越前吉崎(現在の福井県あわら市吉崎に所在)に吉崎御坊を建立。その後、退去して、現在の京都市山科区に坊舎(山科本願寺)を造営する。さらにその後、大坂・石山(現在の大阪市中央区に所在)の地に石山御坊(後の石山本願寺)を建立し、居所とした。蓮如の布教は、教義を消息(手紙)の形で分かり易く説いた『御文』(『御文章』)を中心に行なわれた。後に蓮如の孫、円如がこれを収集して、五帖80通(『五帖御文』)に纏めた。これに含まれない消息は『帖外御文』と言われ、およそ倍の数の消息が数えられている。1489(延徳元)年、蓮如は法主を5男の実如に譲り、自身は山科本願寺の南殿に隠居した。しかし、布教活動は盛んに行なっていたようで、大坂周辺には、年に何回か行き来していた。1496(明応5)年に坊舎(大坂御堂)の建設が開始され、これが後に石山本願寺となり、これを中心に建設された寺内町が再び、それまでは港湾都市、国内流通の中心であった住吉津や難波津、中世には渡辺津といった、大坂の源流になったとされる。蓮如の後継者となった実如は、足利将軍家の第10代将軍足利義材を追放して第11代将軍足利義澄を擁立し、政権を掌握して、事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた室町幕府管領、細川政元と、畠山氏や朝倉氏等の有力守護大名との対立に際し、細川政元からの参戦要求を受け、本願寺として初めて参戦した。これ以降、本願寺は武装化していき、武士勢力との抗争が始まっている。大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院、顕証寺に、「蓮如上人ご救済の大蛇骨」と呼ばれる頭骨が伝わっている。伝承では、蓮如の夢に女性が現れ「龍女に変えられて苦しんでいる」と訴えた。蓮如はこれを供養したところ、海にその死体が上がったとされ、その龍(大蛇)の骨を大切に祀った。顕証寺は、蓮如の6男、蓮淳を開基とし、大谷宗家に準ずる連枝格寺院である。また、住職から歴代宗主(門主)を輩出している。かつて、周囲に寺内町(仏教寺院・道場[御坊]を中心に形成された自治集落のことで、濠や土塁で囲まれる、防御的性格を持ち、信者、商工業者等が集住した)を形成し、現在もその町並みを留めている。