3月22日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0238年 - 軍人皇帝(主に、配下の軍事力を背景に廃立された諸皇帝)のゴルディアヌス1世(マルクス・アントニウス・ゴルディアヌス・センプロニアヌス・ロマヌス・アフリカヌス・アウグストゥス)と、その息子ゴルディアヌス2世(マルクス・アントニウス・ゴルディアヌス・センプロニアヌス・ロマヌス・アフリカヌス)が、共同皇帝としてローマ皇帝への即位を宣言。 
0650年 - 元号が、最初の元号の大化から、白雉に改元される。なお、白雉5年10月10日(ユリウス暦654年11月24日)、第36代天皇、孝徳天皇が崩御した時より、元号は使用されなくなり、それ以降、686年に朱鳥と定められるまで、元号なしの時代が続くこととなる。 
1185年 - 治承・寿永の乱: 屋島の戦い。讃岐国屋島(現在の香川県高松市の東北部に所在)に布陣する平家軍を、源氏軍が急襲して撃破する。 
1765年 - 13植民地(イギリス第一次植民地帝国の北アメリカ植民地)を対象とする印紙法(法課税物件に該当する一定の文書[課税文書]に対して課される印紙税を定めた法)が、イギリス議会を通過する。 
1804年 - 元号が、享和から文化に改元される。 
1833年 - ドイツ諸邦国がドイツ関税同盟(外部に対する関税に、共通の制度を適用することを伴なう自由貿易地域)を締結する。施行は翌年元日より。この関税同盟は、ドイツ諸邦国の国家主権を否定するものではなかったが、政治的統一に先立ってドイツの経済的統一を促したため、ドイツ統一の下地となる。 
1888年 - イングランドのフットボールリーグが発足。フットボールリーグは、イングランドのプロサッカーリーグで、プレミアリーグ(実質1部リーグ)に次ぐ、2部リーグから4部リーグの3つのディビジョンに所属するチームで構成されるリーグ戦のことである。元々は、プレミアリーグ以前のイングランドにおけるトップリーグも含まれており、サッカー界で行なわれた、最初のリーグ戦形式の大会である。 
1896年 - 日本銀行本店が落成。日本銀行本店本館は、設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた建築家、辰野金吾の設計で、柱やドーム(丸屋根)等のバロック様式(建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする建築様式)に、規則正しく並ぶ窓等のルネサンス様式(古代ギリシャ・ローマ様式を復興させ、シンメトリー[左右対称]とバランス[調和]を重視した建築様式)を取入れた「ネオバロック建築」で、ベルギーの中央銀行を手本にしたとされている、明治時代の近代洋風建築を代表する作品で、1974年には、国の重要文化財に指定されており、また、上空から見ると『円』に見えることでも有名である。なお、辰野金吾が得意とした、赤煉瓦に白い石を帯状に巡らせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシック(ゴシック建築とは、12世紀のフランスで考案された建築様式で、19世紀後半のヴィクトリア女王がイギリスを統治していた時期に現れた、ゴシック建築等の過去と、未来とを混合したスタイルが特徴の建築様式)に影響を受けたもので、辰野式建築として知られ、明治から大正にかけて多くの建築家がこれを模倣している。 
1897年 - 初の日本人の経営、編集による日刊英字新聞『ジャパンタイムス』が創刊される。初代内閣総理大臣で、初代枢密院(天皇の諮詢機関)議長も務めた伊藤博文の支援を受け、山田季治を社長、頭本元貞を主筆に、日本人による初の英字新聞となった『ジャパンタイムス』は、現存では日本最古の英字新聞社で、販売網は朝日新聞社系列(愛知県・岐阜県・三重県では中日新聞社系列)である。 
1898年 - 第二次世界大戦前の五大新聞の1つ『時事新報』(創刊者は福沢諭吉)が、社説『支那人親しむ可し』を掲載する。著述家・啓蒙思想家・教育者、福沢諭吉が執筆したとされているが、原文は無署名である。1885年の『時事新報』の社説『脱亜論』と同様、元々は無署名の社説のことであるが、1934年にジャーナリストの石河幹明編『続福澤全集』第5巻(岩波書店)に収録されたため、以来、福沢諭吉が執筆したと考えられるようになる。1895年、日本は日清戦争の勝利により、清国から遼東半島(現在の中国東北部に所在)を獲得する。一方、4月23日には、フランス・ドイツ帝国・ロシア帝国の3国は、日本に遼東半島を返還するように勧告(三国干渉)。そして、5月4日に日本は勧告を受諾し、清国はこの勧告を歓迎する。その結果、清国ではかえって、西洋列強による影響が強くなる結果を生み出し、西洋諸国への警戒心が高まる。それに反比例して、清国が日本に対する友好的な態度を取るようになり、150名の留学生を日本に派遣するまでになる。執筆者は、このような機会に、日本は清国と友好を深めるべき、と主張している。  
1907年 - アフリカ大陸最南端に位置する、南アフリカのインド移民を制限する法律に反対して、インド出身の弁護士マハトマ・ガンディーが不服従運動を開始する。 
1908年 - 「出歯亀事件」。東京都豊多摩郡西大久保村(現在の東京都新宿区大久保)で銭湯帰りの女性が殺害され、「出歯の亀吉」こと、植木職人の池田亀太郎が犯人として逮捕される。この事件は「出歯亀事件」として、同時代人の心に焼付き、池田亀太郎の渾名である「出歯亀」は、転じて好色な男性を指す蔑称として扱われ、さらには、のぞき常習者等、変質者・色情狂等の意味で使われるようになる。 
1916年 - 軍事力を背景に、地方に割拠する集団である軍閥の1つ、北洋軍閥の総帥、袁世凱が中華帝国(1915年末から1916年初めまで続いた中国の短命政権)皇帝を退位。 
1919年 - シベリア出兵: イワノフカ事件。シベリア出兵中の日本軍が、抗日パルチザン(日本軍に対して、自発的に武器を取って戦う、正規軍に入っていない遊撃兵)に対する掃討作戦の過程で、ソビエト連邦(現在のロシア連邦)東南部に位置するアムール州ブラゴベシチェンスク郊外のイワノフカ村において、多数の民間人(約300名弱とされる)を殺害する。
1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK[日本放送協会]放送センター)がラジオ試験放送を開始。 
1933年 - ドイツ南部にあるバイエルン州で、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)初の強制収容所となるダッハウ強制収容所の運用が開始される。1933年から1945年にかけて、ナチス・ドイツは約2万ヶ所の収容所を開設し、数多く(数百万名ともされる)を投獄する。収容所はさまざまな目的に使われ、その中には、強制労働収容所、一時的な中継地点としての通過収容所、そして、大量殺戮を主な目的、又は唯一の目的とした絶滅収容所が含まれている。 
1939年 - 第二次世界大戦: ドイツの要求により、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国、リトアニアが、バルト海(ヨーロッパ大陸本土とスカンディナビア半島とに囲まれた海域)に面した海港都市メーメル(現在は、リトアニアの「クライペダ」)を割譲。 
1942年 - 第二次世界大戦: 第2次シルテ湾海戦。 
1945年 - アラブ連盟が創設される。アラブ連盟は、アラブ世界の政治的な地域協力機構で、本部はエジプトの首都カイロにある。加盟は22(21ヶ国と1機構)。
1957年 - 男声コーラスグループ『ダークダックス』がデビュー。『ダークダックス』のメンバー数は、活動の中心時期には長らく4名で、1987年には、メンバーが変わらない日本で最も長期に亘って活動するコーラスグループとして、『ギネス世界記録』(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)に認定される。その後、メンバーの逝去に伴ない、2016年6月以降は1名(遠山一、愛称はゾウさん)となり、2023年9月22日、遠山一が93歳で死去したことにより、『ダークダックス』のメンバー全員が鬼籍に入ることになる。