3月21日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

カラー映画の日(続き)。
2006(平成18)年12月には、全館デジタル上映のシネマコンプレックス(シネコン等とも呼ばれる、同一の施設に複数のスクリーンがある映画館)が登場し、2008(平成20)年7月には、オンライン配信によるフルデジタルのシネマコンプレックスが登場した。デジタルシネマ構想の切り札とされているのが、デジタル3D(立体)映画である。デジタルシネマの最大の障害は、デジタル映写機の普及の伸び悩みであり、画質等では従来のフィルム映写機と大差なく、映画館側にとって設備投資するだけのメリットが薄いことが問題となっていた。加えて、ブルーレイ(DVDの後継となる光ディスクで、DVDの5倍以上の記録容量を実現している)やホームシアター(家庭に大画面テレビやマルチチャンネルスピーカー等を設置し、まるで小型の映画館であるかのように設備を組むこと)等の家庭視聴環境の進歩による観客の映画館離れを食止めるため、フィルム上映や家庭では再現できないコンテンツの差別化が必要とされた。2005(平成17)年、アメリカ合衆国に本社を置くエンターテインメント会社、ウォルト・ディズニー・カンパニーのCG映画『チキン・リトル』を一部映画館にてデジタル上映したところ、入場料が割増であったにも係わらず、フィルム2D上映の映画館に比べて4倍前後の動員数を記録、デジタル3D映画の威力が示された。以降も3D上映を行なう作品は増加し、2009(平成21)年には、『モンスターVSエイリアン』『ファイナル・デッドサーキット 3D』等、メジャー映画会社の3D映画が一斉に公開された。さらに、日本初の3D映画『侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦』が公開され、年末には真打ちとも言える、カナダ出身の映画監督ジェームズ・キャメロンによるアメリカとイギリスの合作映画『アバター』が、ジェームズ・キャメロン自身のアメリカ映画『タイタニック』を抜き、興行収入記録を更新したことで、3D化の流れは決定的な物となり、これを受けて、デジタル映写機の導入も活発化している。 
日本手ぬぐいの日。
大阪府堺市中区毛穴町に所在し、注染手ぬぐい等の製造・販売等を手掛ける企業、株式会社ナカニが2016(平成28)年に制定。地場産業の発信と手ぬぐい文化の発展、継承が目的。日付は、春を迎えて手ぬぐいの需要が高まり、生産も増え始める頃で、「春分の日」となることがある3月21日とした。この日には、手ぬぐいを使った手ぬぐい体操や、注染のデモンストレーション等のイベントが開催されている。注染とは、その名の通り染料を注ぎ、布に模様を染める技法の1つで、折重なった生地に染料を流し入れて染色するため、一度に20枚から30枚染めることができる。この技法は、明治時代に大阪で生まれた。表と裏から二度染めるので、裏表なくきれいに染まることが特徴で、また、注染には多くの工程があり、全てを職人が手作業で行なうため、1つとして同じものは存在しない。職人の手作業だからこそ表現できる、繊細で優しいぼかしや滲みの、何とも言えない風合いが、注染の一番の魅力と言える。株式会社ナカニでは、特殊な糊で防染し、重ね上げた生地の上から染料を注ぎ、模様部分を染上げる伝統的な型染めの一種である注染の技法を活かした、新たな個性的な手ぬぐいのブランド「にじゆら」を展開し、幅広い業界から注目を集めている。手ぬぐいは、汗や顔や手を洗った後の水を拭ったり、入浴時に体を洗ったりするための、木綿の平織りの布である。また、寒暑除けや塵除け等の目的や、祭礼においての装身具として頭にかぶるものでもある。本来、日本古来のものを指すが、明治時代に西欧から導入されたタオルを含むこともある。特に、タオル地のものと区別するため、日本手ぬぐい等の言い方もする。手ぬぐいの歴史は、日本の織物の歴史でもあり、古くは麻や絹でできた平織物であった。平安時代から、757(天平宝字元)年に施行された基本法令で、古代日本の政治体制を規定する根本法令として機能した、養老律令の衣服令により、庶民は麻を高貴な者が絹織物を使用した。綿は、主に中国大陸等から輸入され絹より高価であったが、江戸時代初頭の前後に、日本でも大々的に栽培されるようになり普及した。また、用途においても、神仏の清掃以外では、神事等の装身具や、儀礼や日除け等においての被り物(簡易の帽子や頭巾)であったとされ、普及するにつれ、手拭きとしての前掛け等の役割を帯びていったと考えられている。暖簾(店先、又は部屋の境界に日除けや目隠し等のために吊下げる布)と区別も曖昧であり、所定の場所に掛けて日除けや塵除けや目隠しとして使われ、その用途は、人の装身具として求められた機能と同じであり、垂布(たれぬの)や虫垂衣(たれむし)、帳(とばり)と呼ばれていた。また、紋や家紋を入れる慣わしも同じである。元々は、布巾(ふきん)と呼ばれる生活必需品は、晒し手拭や晒し木綿と言われるものが原型であり、ガーゼや包帯等の役割から、今日のタオルや台拭や雑巾やハンカチ等の役割も担っていた。そして、現代日本での日常生活では、タオルやハンカチの使用が多いが、手ぬぐいが廃れた訳ではない。粗い平織りで長さのある手ぬぐいには、タオル地の製品にはない利点があり、農作業、伝統芸能、祭、剣道等でのかぶり物、ヘルメットの裏地、鉢巻、目隠し、汗ぬぐい等として、或いは布巾として今なお利用されており、古来からの慣習として、商店等の贈答品やイベントの際の記念品としての需要も少なくない。近年では見直され、風呂敷と同様の包装としての利用方法の提案もあり、近代的なものも含めて様々な柄の手ぬぐいが、和小物の店や手芸店で見ることができるようになった。平安時代には、神事に身に纏う装身具であったが、早乙女と呼ばれる田植えの儀式の祭司においても、白い手ぬぐいが装身具となっており、手ぬぐいが神聖なものとなっている。秋田地方の伝説上の人物である妹尾兼忠の物語において、土地の氏神を助けた見返りとして妹尾兼忠は剛力を授かるが、その力の象徴として証明として、手ぬぐいが氏神から渡されている。笠地蔵(道祖神)の物語でも笠が足らず、老夫婦が詫びながら汚れた手ぬぐいを、残った地蔵の頭に被らせる、というくだりがある等、日本古来の神々との交流に手拭ぬぐいが象徴としてある。儀礼的な装束として、畏怖畏敬するもの(神)に対し、顔を隠すためにも使われてきた経緯があり、日本各地にその名残として、手ぬぐいや笠で顔を隠して踊る祭りが多く存在する。また、日除け塵除けといった意味合いも「厄除け」に通じ、「厄除けの手拭」として祭りや神事でも被られ、「厄落としの道具」としても。手ぬぐいを使う風習のある地方もある。戦や戦争で出兵するものに贈った、武功と生還を祈った寄書きや、縁起の良い物を染めたものを「武運長久手拭」といい、手水舎(参拝者が身を浄めるために手水を使う施設)で使用される寄進された「奉納手拭」というものもある。 
はじめようの日。
東京都江東区木場に本社を置く、老舗百貨店の「大丸」と「松坂屋」を運営する企業、株式会社大丸松坂屋百貨店が制定。春、何かを新しく始める人を応援する日。「さぁ、始めよう」という気持ちを思い起こしてもらい、それを応援することが目的の、「行動応援型」の記念日。日付は、新しいチャレンジを始めるためのカウントダウンから「3、2、1」となる3月21日に。
木挽BLUEの日。
宮崎市昭栄町に本社を置く、焼酎を中心とした酒類の製造販売を行なう企業、雲海酒造株式会社が制定。雲海酒造株式会社が、独自開発した酵母「日向灘黒潮酵母」を用いて製造した、すっきりとしてキレがあり、ロックでも飲み易い本格芋焼酎「木挽BLUE(こびきブルー)」を1年を通して飲んでもらいたいと、全国発売した2017(平成29)年3月21日に因んで、毎月21日を記念日とし、その中でも3月21日は、シンボル的な日としている。1973(昭和48)年に世界で初めて、そば焼酎を作り出した企業として知られる雲海酒造株式会社は、2000(平成12)年、倒産した鹿児島県出水市の酒造メーカー、新屋酒造株式会社の事業を継承する形で鹿児島県に進出、「泉の誉」等、新屋酒造株式会社が販売していた商品の製造・販売・商標を引継ぐ一方で、鹿児島工場(通称:出水蔵)独自の芋焼酎「さつま木挽」を発売した。なお、鹿児島工場の設備は、新屋酒造の物をそのまま使用している。2004(平成16)年に本社を宮崎市に移転した後、翌2005(平成17)年には、日本初のそば全麹100%のそば焼酎「雲海 全麹仕込み」を発売。2015(平成27)年、芋焼酎「日向木挽BLUE(現在の木挽BLUE)」を宮崎限定で販売を開始し、2017(平成29)年に「木挽BLUE」として全国販売を開始している。