3月17日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1861年 - サルデーニャ王国(現在のイタリア北西部を中心とした領域にあった王国)国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が、かつてのナポレオン・ボナパルト(フランス第一帝政皇帝ナポレオン1世)のように、イタリア王の称号を復活させ、イタリア王国成立を宣言する。
1865年 - キリスト教信仰が禁止された後も、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々伝えていた長崎の潜伏キリシタンが、現在の長崎市にあるカトリックの教会堂、大浦天主堂(正式名は「日本二十六聖殉教者堂」)を訪れ、信者である、と告げる。
1869年 - 大阪に造幣局を設置する。1871年1月17日に銀貨製造を開始し、4月4日に大蔵省(現在の財務省と、内閣府の外局[特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織で、独任制の庁]で、金融に関する制度の企画立案、金融機関の検査、監督、監視を担当する中央行政機関、金融庁の一部の前身)造幣寮として創業式を挙行している。造幣局本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。支局は、さいたま市大宮区と広島市佐伯区の2ヶ所に位置する。創設時以来、工場内や近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は、本邦初のガス灯による街灯であったことから、見物人が多数訪れている。1964年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)や1998年の長野オリンピック(第18回オリンピック冬季競技大会)の金・銀・銅の各メダル、名古屋城の金鯱等も製作され、大阪造幣局とも俗称される。旧淀川沿いに位置する本局は藤堂家(伊勢国/伊賀国津藩を領した外様大名)大坂屋敷の土地にあり、同家が植栽していた桜樹木約120品種、約400本が造幣局へ引継がれている。造幣局長であった元長門国/周防国長州藩藩士の官僚、遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と1883年に一般公開を始めて以降、大阪大空襲(第二次世界大戦末期にアメリカ軍が繰返し行なった、大阪市を中心とする地域への戦略爆撃・無差別爆撃)で多くを焼失したが、職員らが蒐集し多品種の桜並木が復元され、日本さくら名所100選に選定される等、毎年4月中旬から下旬の開花時期に春の伝統行事として賑わう。夜間照明により、日没後も夜桜鑑賞ができる。桜の品種は「ソメイヨシノ」が特段著名であるが、他の1品種を「今年の桜」として毎年紹介している。第二次世界大戦での空襲被災の1943年から1946年以外は毎年開催され、順路等も無く自由に鑑賞できたが、1967年に観客の1名が転倒したことから将棋倒しとなり、女性1名が死亡し27名が負傷する。これが契機となり、翌1968年から川崎橋(大阪市北区天満と都島区網島町を結ぶ大川に架かる自転車・歩行者専用斜張橋)方向の南側ゲートから入場し、桜宮橋(大阪市北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目を結ぶ大川に架けられた橋で、銀色の橋であることから「銀橋」と呼ばれる)方向の北側ゲートへ抜ける一方通行(「桜の通り抜け」)となる。
1876年 - 「婦女は結婚してもなお所生の氏(婚姻前の氏)を用いること」、即ち、夫婦別姓が原則とされる。なお、日本の制度が夫婦同姓に転換するのは、1898年の「民法(明治29年4月27日法律第89号)」制定によるものである。
1880年 - 愛国社(明治時代の自由民権運動前期の政治団体)第四大会で、愛国社を改称して国会期成同盟が成立。国会期成同盟は、明治時代に日本の国会開設運動で中心的な役割を果たした政治結社である。明治政府首脳である参議を辞職した、板垣退助らが結成した日本最初の近代政党、自由党の母体ともなる。
1893年 - 川越大火。埼玉県入間郡川越町(現:埼玉県川越市)での中心部で大火が発生する。乾燥と折からの強風により、瞬く間に延焼地域が拡大し、消防設備が整備されていなかったこともあり、当時の町域の約3分の1に相当する1,302戸を焼失する。火災後、焼失を免れた蔵造りの建物の耐火性が着目され、川越においては、蔵造りの建物が立並ぶ街並みが整備され、現在では観光名所となっている。 
1901年 - フランスの首都パリで、オランダ出身で、感情の率直な表現、大胆な色使いで知られるポスト印象派(後期印象派)の画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画の展覧会が開催される。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ死後、11年目に当たるが、大きな反響を呼ぶ。 
1931年 - アメリカ合衆国西部、ネバダ州で賭博が合法化される。
1937年 - 高野山電気鉄道(現在の南海電気鉄道南海高野線)紀伊神谷駅で、駅員が隣駅、極楽橋駅から暴走してきた電車を転轍機の操作により脱線、転覆させる。乗客2名が死亡、12名が重軽傷を負う。しかし、故意に脱線させなかった場合、電車が谷へ落下して被害が拡大していたと推測されている。
1939年 - 日中戦争: 南昌の戦いが始まる。 
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 神戸大空襲。 
1945年 - 第二次世界大戦: 硫黄島の戦いで、アメリカ軍が硫黄島最北端まで到達し、全島を占領する。 
1945年 - 第二次世界大戦: アメリカ軍が占領し補強工事中であった、ドイツ南西部にあるライン川のルーデンドルフ橋が自然崩落。工兵28名が死亡する。
1948年 - ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国で、周辺の国に比べて国土が狭いという特徴があり、近隣の大国に対抗するため、緊密な経済協力を行なっている)とイギリス・フランスとの間で、北大西洋条約機構(NATO)の前身となるブリュッセル条約が調印される。
1950年 - 南アジアに位置するインドの首相ジャワハルラール・ネルーが、東側諸国(ソビエト連邦、及び中央ヨーロッパ・東ヨーロッパの衛星国)陣営と西側諸国(アメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営に属した国々)陣営の、どちらの陣営に属さない非同盟外交を声明。 
1950年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州バークレーに本部を置く、カリフォルニア大学バークレー校の教授・研究者で化学者・物理学者のグレン・シーボーグらが、98番元素(カリホルニウム)の合成に成功したと発表する。 
1953年 - 「麻薬取締法(昭和28年3月17日法律第14号)」が公布される。1990年の「麻薬取締法等の一部を改正する法律(平成2年6月19日法律第33号)」により、法律名は「麻薬及び向精神薬取締法」となる。
1957年 - 日本テレビ系列局で『ミユキ野球教室』放送開始(1990年3月25日まで)。初期は野球の技術を講義する教養番組であったが、後にプロ野球情報番組へ転向した『ミユキ野球教室』は、主に日本テレビが番組製作したことから、読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の話題が多く、長嶋茂雄や王貞治ら、名選手の貴重な映像財産となる。 
1958年 - アメリカで2つ目、かつ、史上初の太陽電池(光エネルギーを即時に電力へ変換する電力機器)を搭載した人工衛星「ヴァンガード1号」が打上げられる。 
1959年 - チベット蜂起: チベット民族の代表となっていたダライラマ14世テンジン・ギャツォが、チベットからインドへ逃れる。 
1959年 - 『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』が創刊される。 
1960年 - ノースウエスト航空710便空中分解事故。アメリカ合衆国中西部、ミネソタ州ミネアポリスから、アメリカ合衆国中西部、イリノイ州シカゴを経由して、アメリカ合衆国東南部、フロリダ州マイアミへ向かっていたノースウエスト航空710便ロッキードL-188エレクトラ機が、アメリカ合衆国中西部、インディアナ州上空を飛行中、プロペラ取付け部分の設計ミスが原因で片方の翼が破損、機体が空中分解し墜落。乗客57名、乗員6名の合わせて63名全員が死亡する。  
1969年 -  ロシア帝国のキエフ(東ヨーロッパに位置する、現在のウクライナの首都)に生まれ、アメリカへ移住した後、アメリカで結婚してイスラエルに渡り、政治家となったゴルダ・メイアが、イスラエル首相に就任。イスラエルで初、世界で3人目の女性首相となる。 
1977年 - 同じ日に、仙台空港に向かう飛行機を対象としたハイジャック事件が2件発生する(全日空724便ハイジャック事件・全日空817便ハイジャック事件)。なお、この両事件には相互の関連性は無い。全日空724便ハイジャック事件は、千歳空港から仙台空港に向かう短距離路線として運航されていた全日本空輸724便ボーイング727型機が巡航中、突如男がナイフのようなものを客室乗務員にかざし、操縦室のドアを開けるように強要する。しかし、犯行前から男の様子がおかしかったため警戒されており、男は乗客4名に取押さえられる。全日空817便ハイジャック事件は、東京湾上空で、東京国際空港(羽田空港)発仙台空港行きの全日空817便ボーイング727型機が、暴力団員によって占拠された事件である。暴力団員が所持していた改造モデルガンが暴発したことから、全日空817便は東京国際空港(羽田空港)に緊急着陸する。暴力団員はトイレで死亡しており、計画が頓挫したと思い自殺したと判断される。