3月16日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-597年 - 最大版図時には、現代の中東・西アジアのイラク、クウェート、トルコ南東部、シリア北東部に当たるメソポタミア南部から、地中海沿岸地域に至る広大な領土を支配した帝国、新バビロニア王国(カルデア王国)が、古代イスラエルに存在したユダ王国の首都エルサレム(現在のイスラエル東部に所在)を征服し、エホヤキンに代えてゼデキヤ(エホヤキンの伯父)を王とする(バビロン捕囚のきっかけ)。なお、バビロン捕囚とは、ユダ王国支配者や貴族達が、新バビロニア王国の首都バビロン(現在のイラクの首都バグダード近くにあったメソポタミア地方の古代都市)へ連行され、移住させられた事件である。 
0037年 - カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)が、ローマ帝国第3代皇帝に即位する。カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)はその治世を通じて、ローマ市民からは人気が高かったが、現存する後代の史料ではいずれも、狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとしている。しかし、現存する一次史料の数は少なく、カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)の治世の実態には不明な点が多い。 
0729年 - 第40代天皇、天武天皇の皇子孫に当たり(天武天皇の皇子[長男]、高市皇子の長男)、政界の主導者となっていた長屋王が、謀叛の疑い(対立する名門豪族、藤原氏の陰謀とされる)で邸宅を包囲され、自害する。 
1214年 - 日本における臨済宗の開祖、明菴栄西が、鎌倉幕府第3代将軍、源実朝に「茶徳の誉むる所の書」(喫茶の効能や製法を述べた書『喫茶養生記』とされる)を献上。
1521年 - 人類史上初めて地球を一周した航海、マゼラン艦隊の世界周航の途中に、ポルトガルの航海者、フェルディナンド・マゼラン指揮下の遠征隊が、東南アジアに位置するフィリピンに到達する。
1684年 - 初世竹本義太夫(筑後掾)らが、大坂道頓堀(現在の大阪市中央区道頓堀)に竹本座を開設する。竹本座は人形浄瑠璃の劇場で、作者に近松門左衛門を擁し、浄瑠璃界に新風を起こす。1703年、同じ大坂道頓堀に創立された豊竹座と共に歌舞伎を圧倒。当時は、竹本座の地味な芸風を西風(にしふう)、派手な豊竹座を東風と呼んでいる。その後、歌舞伎の興隆に押されて衰え、1767年に閉鎖となる。
1754年 - ニューカッスル公トマス・ペラム=ホールズが、イギリスの第4代首相に就任する。 
1781年 - アメリカ独立戦争: ヘンリー岬の海戦。 
1792年 - ロシア帝国やデンマークと戦って勝利し、ヨーロッパでの名声を高めたスウェーデン王国国王、グスタフ3世が銃撃される。グスタフ3世は、国内的な政情不安を打すことはできず、専制的な政治は、一部の貴族達の不満を買っていたことから、下級貴族出身のヤコブ・ヨハン・アンカーストレムらによる、グスタフ3世の暗殺計画が実行される。グスタフ3世は致命傷ではなかったが、重傷であり、徐々に容態は悪化して、13日後の3月29日に死去する。 
1815年 - フランス軍の侵攻によりイギリスに亡命していたが、1813年にフランス軍の撤退後、オランダに帰還したウィレム1世が、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催されたウィーン会議により、立憲君主国ネーデルラント連合王国(オランダ)が成立して、その初代国王に即位する。 
1872年 - 各国で行なわれるカップ戦(リーグ戦と比較して開催期間が短い、若しくは、大会に要する試合数が比較的少ない大会)の中でも格段にステータスが高い、FAカップの第1回大会の決勝戦が行なわれ、ワンダラーズFC(1883年に解散)が優勝。FAカップは、イングランドで行なわれるサッカーのカップ戦である。「FA」は「The Football Association(フットボール・アソシエーション、最古のサッカー協会のため名称に国名が付かない)」の頭文字から。世界で最も歴史があるサッカーの大会であり、日本の天皇杯を始め、多くの国のカップ戦がこの大会をモデルにしている。 
1885年 - 第二次世界大戦前の五大新聞の1つ『時事新報』(創刊者は福沢諭吉)の社説として、著述家・啓蒙思想家・教育者、福沢諭吉の『脱亜論』が掲載される。『脱亜論』とは、欧米志向とアジア軽視の意識や主張を指す。元々は無署名の社説のことであるが、1933年にジャーナリストの石河幹明編『続福澤全集』第2巻(岩波書店)に収録されたため、以来、福沢諭吉が執筆したと考えられるようになる。 
1900年 - イギリスの考古学者、アーサー・エヴァンズが、ギリシャ南方の地中海に浮かぶクレタ島のクノッソス遺跡を発掘。クノッソス遺跡は、紀元前2000年頃のものとされ、儀式や政治の中心であったと考えられている。 
1910年 - 農芸化学者の鈴木梅太郎が、ビタミンB1(オリザニン)の抽出に成功。チアミンとも呼ばれるビタミンB1は、糖質、及び分岐脂肪酸の代謝に用いられ、不足すると脚気や神経炎等の症状を生じる。酵母、豚肉、胚芽、豆類に多く含有される。鈴木梅太郎は、後にオリザニンと命名した糠の有効成分は、抗脚気因子に止まらず、ヒトと動物の生存に不可欠な未知の栄養素であることを強調し、後の「ビタミン」の概念をはっきり提示していたが、その論文がドイツ語に翻訳された時、「これは新しい栄養素である」という一行が訳出されなかったため、オリザニンは世界的な注目を受けることがなく、第1発見者としては、日本国内で知られるのみとなってしまう。後に、オリザニンはビタミンB1に帰属され、鈴木梅太郎は、ノーベル医学生理学賞候補に推挙される。ただ、古くからある医学会との確執や、論文が日本語であったこと等から、鈴木梅太郎のノーベル賞受賞は幻のものとなる。
1921年 - 英ソ通商協定が締結され、事実上、イギリスがソビエト連邦を承認する。 
1926年 - アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州で、アメリカのロケット研究者、ロバート・ゴダードが液体燃料を初めて用いたロケットを発射。液体燃料ロケットは、液体の燃料と酸化剤をタンクに貯蔵し、それをエンジンの燃焼室で適宜混合して燃焼させ、推力を発生させるロケットである。液体燃料は、一般的に燃焼ガスの平均分子量が小さく、固体燃料に比べて比推力(ロケットエンジンの推進剤効率を示す尺度)に優れている上、推力可変機能、燃焼停止や再着火等の燃焼制御機能を持つことができる。また、エンジン以外のタンク部分は、単に燃料を貯蔵しているだけなので、特に、大型のロケットでは構造効率の良いロケットが製作できる。一方、燃焼室や噴射器、ポンプ等の機構は、複雑で小型化が困難なので、小型のロケットでは、同規模の固体ロケットに比べて構造効率は悪化する。また、推進剤の種別によっては、腐食性や毒性を持ち、貯蔵が困難であったり、極低温なため、断熱や蒸発したガスの管理、蒸発した燃料の補充等で、取扱いに難があるものもある。 
1928年 - 酒造会社の麒麟麦酒(現在の発売元は、麒麟麦酒の後継となる綜合飲料会社であるキリンの子会社、清涼飲料水メーカーのキリンビバレッジ)が、サイダー・ラムネ類の定番商品であり、ロングセラーとなっている「キリンレモン」の販売を開始。「キリンレモン」は無果汁で、レモンの爽やかさを楽しむため、レモン果皮由来の天然香料を用いている。近年の微炭酸流行に反し、強めの炭酸含有で嗜好家に人気を得ている。 
1928年 - 日本統治下の台北(台湾北部に所在)に7番目の帝国大学(旧制高等教育機関の一種)、台北帝国大学が設置される。台北帝国大学は、1945年11月15日に中華民国が接収し、国立台湾大学と改称している。