3月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1623年 - 李氏朝鮮第15代国王光海君が、西人(官僚の派閥の1つ)による変革クーデターにより失脚し、廃位となる(仁祖反正)。
1758年 - フレンチ・インディアン戦争: かんじきの戦い(1758年)で、フランスとその同盟関係にあるインディアン(現在のアメリカ合衆国北部や中西部に先住する部族)がイギリス軍等に勝利する。イギリス軍が、戦闘の際にかんじき(泥上や雪上等、不安定な地面を歩くための民具)を履いていたため、「かんじきの戦い」という名がある。 
1781年 - ドイツ出身でイギリスの天文学者、ウィリアム・ハーシェルが、太陽系第七惑星、天王星を発見する。天王星は主に、ガスと多様な氷から成っている。大気には水素が約83%、ヘリウムが約15%、メタンが約2%含まれている。内部は重い元素に富み、岩石と氷からなる核の他、水やメタン、アンモニアが含まれる氷からなるマントルで構成されていると推測される。酸素、炭素、窒素が多く含まれ、殆どが水素とヘリウムでできている太陽系第五惑星、木星や、太陽系第六惑星、土星とは対照的である。天王星と太陽系第八惑星、海王星は、従来木星型惑星に分類されていたが、木星や土星の核から液体の金属水素の層を除いたものによく似ており、内部は比較的均一に分布しているようである。こうした違いから、木星型とは異なる天王星型惑星として分類されるようになる。天王星が青緑色に見えるのは、上層大気に含まれるメタンによって赤色光が吸収されるためである。厳密には、色は、公転に伴なって変化する。そのため、「天王星には季節がある」との推測がされている。天王星に接近した宇宙探査機は、1977年8月20日に打上げられたアメリカ航空宇宙局(NASA)のボイジャー2号ただ1機である。ボイジャー2号は、1986年1月24日に天王星に最接近し、天王星の他、環や衛星を撮影する。天王星には、2013年の時点で27個の衛星が発見され、全てが命名されている。ボイジャー2号が接近するより前に発見されていた第1衛星アリエル、第2衛星ウンブリエル、第3衛星チタニア、第4衛星オベロン、第5衛星ミランダを、天王星の5大衛星と呼ぶことがある。衛星の他に、直径10m以下の暗い物質で構成された薄い環もある。天王星の環に関して最初に言及したのは、惑星本体の発見者でもあるウィリアム・ハーシェルで、1797年に正式に発表したが、この説は受入れられず、その後約200年に亘り、環は観測されないままとなる。1977年3月10日、アメリカ航空宇宙局(NASA)が運用していた航空機搭載の天体望遠鏡システム・空中天文台、カイパー空中天文台から、恒星の掩蔽(ある天体が、観測者と他の天体の間を通過するために、その天体が隠される現象)を観測することにより、天王星の環は発見されている。 
1809年 - 第二次ロシア・スウェーデン戦争敗戦の責任を問われていたスウェーデン王グスタフ4世アドルフが、グリプスホルム城(現在のスウェーデン南東部に所在)に幽閉され、王位を剥奪される。 
1845年 - ドイツロマン派の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンのヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲『ヴァイオリン協奏曲』が、ドイツ東南部にあるザクセン州ライプツィヒで初演。穏やかな情緒とバランスの取れた形式、そして何より美しい旋律で、フェリックス・メンデルスゾーンのみならず、ドイツ・ロマン派音楽を代表する名作で、ドイツの作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲作品61』、ドイツの作曲家、ヨハネス・ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲作品77』と並んで、3大ヴァイオリン協奏曲と称される。 
1848年 - オーストリア三月革命によって、オーストリアの宰相(君主の政務を補佐した廷臣)であったクレメンス・フォン・メッテルニヒが失脚し、イギリスの首都ロンドンに亡命する。 
1881年 - ロマノフ朝第12代ロシア皇帝アレクサンドル2世が、反体制テロ組織員から投付けられた爆弾により暗殺される。 
1897年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州にあるカリフォルニア州立大学の中でも3番目に古く、最大級の生徒数を誇るサンディエゴ州立大学(カリフォルニア州立大学のシステムの1つ)が創設される。 
1898年 - ロシアで最初のマルクス主義政党、ロシア社会民主労働党が初の党大会を開催する。 
1912年 - 南東ヨーロッパのバルカン半島周辺に位置するギリシャ・ブルガリア・セルビア・モンテネグロが、ロシア主導による反オーストリア(ドイツの南方、中部ヨーロッパの内陸に位置する国)同盟「バルカン同盟」を結成する。 
1920年 - カップ一揆。ドイツの軍縮に反発した、ドイツ国家人民党の政治家ヴォルフガング・カップと、ベルリン防衛司令官ヴァルター・フォン・リュトヴィッツを中心としたクーデターで、3月13日早朝、義勇軍約12,000名がベルリンを占領し、ヴォルフガング・カップは新政府樹立を宣言する。しかし、社会民主党、独立社会民主党、共産党、ドイツ労働総同盟は、クーデタに対抗して翌3月14日から全国的なゼネストを行ない、3月15日には、ドイツ西部、ルール地方の約5万名の左翼復員兵がルール赤軍を名乗り、鎮圧の為に派遣された国軍に激しい抵抗する。3月17日にヴォルフガング・カップは退陣し、クーデターは終焉するが、ドイツの混乱は続くこととなる。 
1921年 - モンゴル人民党が、ロシア中東部、東シベリア南部にあるトロイツコサフスク(現在のキャフタ)でモンゴル臨時人民政府を樹立。 
1933年 - ドイツで、国家宣伝と国民指導を目的とした省、国民啓蒙・宣伝省が発足し、「プロパガンダの天才」「小さなドクトル」等と称される政治家、ヨーゼフ・ゲッベルスが大臣に就任する。アドルフ・ヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の政権掌握と、政権下のドイツの体制維持に辣腕を発揮したヨーゼフ・ゲッベルスは、1936年8月のベルリンオリンピック(第11回オリンピック競技大会)で演出の総指揮を執り、一大宣伝ショーとして大きな成功を収めている。
1934年 - 新潟県糸魚川市の姫川第六水力発電所工事現場で雪崩が発生し、巻込まれた9名が死亡する。
1937年 - 大阪市西区新町に所在した大阪市立電気科学館に、日本初のプラネタリウム(ドイツ製カール・ツァイスII型)が設置される。プラネタリウムとは、投影機から発した光を、ドーム状の天井の内側に設置された曲面スクリーンに映し出すことで、星の像、及び、その運動を再現する設備である。大阪市立電気科学館は、同年に日本で初の電気科学館(サイエンスセンター)としてオープンした施設で、通称は「電館(でんかん)」であり、大阪市電氣局(当時、後に、電力部門は関西電力、交通部門は大阪市交通局を経て、大阪市高速電気軌道[Osaka Metro]となる)のPR施設として、電気設備・製品のショールームが1階にあり、全館冷房・電光サイン等がある近代的な建築物で、この地区のランドマークともなり、戦災を乗越えて50年以上営業していたが、老朽化を理由に、1989年5月に閉館となる。代替施設として、同1989年に大阪市北区中之島にオープンした、「宇宙とエネルギー」をテーマとする科学館、大阪市立科学館がある。日本初のプラネタリウムは現在、収蔵資料として大阪市立科学館に展示され、大阪市有形文化財に指定されている。 
1938年 - ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)によって、オーストリアが併合される(アンシュルス)。 
1940年 - 第二次世界大戦: ソビエト連邦と、北ヨーロッパに位置するフィンランドがモスクワ講和条約を締結して、ソビエト連邦がフィンランドに侵入した戦争、冬戦争が終結する。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守ったが、国土の約1割の割譲を余儀なくされる。 
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 大阪市が初めて空襲される(大阪大空襲)。アメリカ軍のボーイングB-29スーパーフォートレス戦略爆撃機274機が襲来し、大阪の中心市街地を焼き尽くす。この空襲では、3,987名の死者と678名の行方不明者が出ている。