3月13日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

サンドイッチデー(続き)。
サンドイッチには、使われる具材によって非常に多くの種類がある。パンに挿む食材として、ベーコン(bacon)、レタス(lettuce)、トマト(tomato) が用いられることから、それぞれの頭文字を取って名付けられたBLTサンドイッチには、幾つものバリエーションがあるが、欠かすことができないのは、ベーコン、レタス、トマト、マヨネーズ、そして、パンという材料であり、その質と量については好みの問題である。ベーコンはカリカリに焼いても、柔らかいままでもよいが、他の食材の風味を「支える」ため、プロの料理人は質の高い肉を使うことを勧めている。マヨネーズも、BLTサンドイッチの味に決定的な差を生むという。卵料理を挟んだサンドイッチがエッグサンドイッチで、世界的にも珍しくないものとなっている。固ゆで卵やタマゴサラダ(刻んだゆで卵とマヨネーズを混ぜたもの)が使われることが多いが、目玉焼きやスクランブルエッグが使われ、派生型として、イングリッシュマフィンの上に卵と肉を乗せ、オランデーズソースをかけたエッグ・ベネディクトが存在する。大阪では、昔からたまごサンドと言えば、ふんわりと厚焼きに焼上げた卵をパンで挟んだものとなっていて、ダシをたっぷり含んだ「だし巻き卵」をパンに挟んだ、たまごサンドにも人気がある。三角形に切られたサンドウィッチについては、1961(昭和36)年に帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現在の東京地下鉄[東京メトロ])丸ノ内線茗荷谷駅近くにあった「フレンパン(婦連パン小石川販売所)」が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。「フレンパン(婦連パン小石川販売所)」がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国に広まった。以降、日本の店舗販売でよく見られるようになった。カツサンド(かつサンド)は、カツレツ(主に豚カツ)をパンで挟んだサンドイッチで、材料や調理のバリエーションが多く存在する。価格や量が手頃であることから、手間を掛けずに食べられる軽食や弁当ともされ、東京駅の駅弁や、東京国際空港(羽田空港)の空弁ともなっている。カツサンドは、1935(昭和10)年に、東京上野(現在の東京都台東区上野)のとんかつ専門店『セイセン』(東京都文京区湯島に本店を置く、とんかつ専門店『井泉』の前身)の女将(当時、初代の女将)である石坂登喜が発案したとされ、正式には「かつサンド」と呼ぶものであった。当時、花柳界の芸者衆がよく利用していたため、口紅が取れずに食べられるよう、小さなパンを特注して作っており、また、箸で切ることのできる、肉を丁寧に叩いた柔らかいカツを売り物にしていた。典型的なカツサンドは、食パンに豚カツを挟み、長方形や三角形に切分けられて供される。味付けはとんかつソースで、からしも用いられる。パンは、トーストする場合としない場合がある。千切りのキャベツが一緒に挟まれることも多い。食パン以外のパンを使用するもの、牛カツやチキンカツ等を使用するもの、味付けを変えたもの、他に、野菜等も使用するもの等、種類が多く、地域による差異もある。愛知県名古屋市とその周辺では、「味噌カツサンド」が各所で販売されており、ウスターソースを使用したものは、「ソースカツサンド」と呼ぶことがあり、関西では、牛カツを使用したカツサンドも多く、豚カツを使ったものは、「豚カツサンド」と呼ぶこともある。アメリカ合衆国中西部、インディアナ州には、豚ヒレ肉のカツをバンズに挟んだサンドイッチ(Pork tenderloin sandwich)が存在する。丸型のバンズを用いたカツサンドは、日本でもハンバーガーショップ等で販売されており、豚カツ以外に、チキンカツやメンチカツ、エビカツ等も使用される。
崔さんの日。
大阪府泉佐野市住吉町に本社を置く、惣菜や加工食品、冷凍食品等のメーカーで、飲食業も営む企業、「株式会社 崔さんのお店」が、2015(平成27)年に制定。「株式会社 崔さんのお店」では、生春巻きを中心に「巻く」「包む」に拘ったサラダと、韓国と日本の味をコラボレートした、ドレッシングを始めとする商品等の製造販売を手掛けており、その魅力をPRすることが目的。日付は、3月13日の「3」と「13」で、「崔さん(さ[3]い[1]さん[3])」と読む語呂合わせから。「独自のこだわりで作った商品を通じて、お客さまの食卓に笑顔をお届けし続けたい」という思いをカタチにしたい、と記念日とした。 
ペヤングソースやきそばの日。
群馬県伊勢崎市戸谷塚町に本社を置き、即席麺を中心した食料品の製造販売等を行なう企業、まるか食品株式会社が制定。まるか食品株式会社の代表的な商品「ペヤングソースやきそば」を、より多くの人に知ってもらい、その美味しさを味わってもらうことが目的。日付は、「ペヤングソースやきそば」が1975(昭和50)年3月13日に発売されたことから。1929(昭和4)年5月、乾麺類の製造販売業として創業し、1962(昭和37)年10月に、インスタントラーメンの製造を開始したまるか食品株式会社の、「まるか食品」という社名は、創業者である丸橋嘉蔵の姓と名を1字ずつ取って、「丸嘉(まるか)」と名付けられた。主力のブランド「ペヤング」は、1973(昭和48)年7月に発売開始となった「ペヤングヌードル」から使用を開始している。語源は「ペア + ヤング」で、当時カップ麺は、袋麺と比べ高価で、ファッション要素が強い食品であったことから、カップ麺を高いと感じた若いカップルには、2人で1つのものを仲良く食べて欲しい、という願いからである。「ペヤングソースやきそば」は、「日清焼そばU.F.O.」(日清食品株式会社[即席めん出荷額シェア首位])、「マルちゃんやきそば弁当」(東洋水産株式会社[即席めん出荷額シェア第2位])と共に、カップ焼きそばのロングセラー商品である。企業名の「まるか食品」よりも、この「ペヤング」ブランドは、主力販売地域内で高い知名度を誇る。名称は、「ペヤング」ブランドのソース焼きそばであることから。カップ焼きそばとして初めて、四角形のパッケージを使用している。理由として、当時主流であった、円形パッケージを使用した他社の真似はしたくないという差別化と、「屋台の焼きそば」で使用されていた、容器からの発想によるものである。味付けは、発売開始以降一切変えておらず、ウスターソースは液体状で、他社と違い、あっさりした「まろやかソース」を使用し、そのソースを吸収し易いように、小麦の配合を工夫した麺を採用している。この液体ソースを、業界で初めて開発したのは、まるか食品である(それまでのカップ焼きそばは、全て「粉末ソース」であった)。また、麺は具材を絡み易くするため、従来とは反対に、粗い方の面を上にして容器に入っている。販売地域については、長らく東日本地域、具体的には、静岡県から青森県までの範囲を中心に販売されてきたが、2008(平成20)年、大阪市城東区に関連会社を開設して以降、西日本地区での販路拡大を図っている。レギュラーサイズの商品パッケージには、「Big」の表記がある。この由来は、カップ焼きそばが発売された当初の麺重量は、60gから65gが主流であったことに対し、業界初の試みとして、麺重量を90gで発売したことによる。
花幻忌。
広島で被爆した体験を、詩『原爆小景』や短編小説『夏の花』等の作品に残した詩人・作家、原民喜の1951(昭和26)年の忌日。「花幻忌」という名称は、原爆ドーム横の詩碑に刻まれた4行詩「碑銘」の終章、「一輪の花の幻」に由来する。この日を中心として、原民喜を偲ぶ集いが開催される。1905(明治38)年、広島で生まれた原民喜は、慶應義塾大学英文科に進学し、慶應義塾大学文学部を中心に刊行されてきた文芸雑誌『三田文學』等で、詩や短編小説を発表する。1945(昭和20)年、疎開先の広島で原爆に被災し、その体験を基に短編小説『夏の花』を発表。抑制された筆致で描かれた原爆の惨状は、読者に衝撃を与える。第二次世界大戦後は再び上京し、雑誌編集と執筆活動に専念する。その後は、慶應義塾大学を卒業し、評論家として出発したばかりの遠藤周作と知合い、深い親交を結んでいる。原民喜は、詩人の草野心平らが主催した現代詩の同人雑誌『歴程』に参加し、多くの詩を創作、童話も多数残した。