3月11日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0222年 - ローマ皇帝ヘリオガバルス(マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス)が、プラエトリアニ(近衛隊、ローマ帝国において皇帝を守るために組織された直属の精鋭部隊)によって暗殺される。後世の歴史家からも評判は良くないヘリオガバルス(マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス)は、放縦と奢侈に興じ、宗教面でも、従来の慣習や制度を全て無視して極端な政策を行ない、皇帝の異常な狼藉に激しい嫌悪を感じていたプラエトリアニ(近衛隊)の反逆に遭っている。 
1510年 - ルネサンス(古典古代[ギリシャ、ローマ]の文化を復興しようとする文化運動)期のイタリア中部にあるフィレンツェにおいて、銀行家、政治家として台頭し、フィレンツェの実質的な支配者として君臨した、メディチ家出身のレオ10世が、ローマ教皇に就任する。第217代ローマ教皇レオ10世は派手好き、イベント好きであったとされ、前教皇、第216代ローマ教皇ユリウス2世が着手したサン・ピエトロ大聖堂(イタリアの首都ローマの中にある都市国家、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山)の建設を引継ぎ、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家・画家・建築家・詩人で、西洋美術史上のあらゆる分野に大きな影響を与えた芸術家、ミケランジェロ・ブオナローティや、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家・建築家、ラファエロ・サンティらの芸術家のパトロンとなり、ローマを中心とするルネサンス文化は最盛期を迎える。 
1580年 - 織田信長が、居城としていた近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)に所在する城、安土城下の沼を埋立て、イエズス会(カトリック教会の男子修道会)のイタリア人宣教師ニェッキ・ソルディ・オルガンティノに、セミナリヨ(神学校)の建設用地を与える。
1649年 - フランス王国で起こったフロンドの乱の一局面として、リュイユ和議が締結される。フロンドの乱は、フランスにおける貴族の反乱としては最後のもので、貴族勢力は打倒され、絶対王政(王が絶対的な権力を行使する政治の形態)の確立に繋がる。 
1708年 - グレートブリテン王国女王アンが、スコットランド民兵法の裁可について拒否権を発動。これはイギリス政治史で、現時点で最後の国王の拒否権発動となっている。 
1795年 - カルダーの戦い。南アジアに位置するインド中西部のカルダーで、 マラーター同盟(インド中部のデカン高原を中心とした地域に、ヒンドゥー王朝[南アジアに位置するインドやネパールで多数派を占める民族宗教、ヒンドゥー教の国王が支配する国家]のマラーター王国、及びマラーター[インドの民族の1つ]諸侯によって結成された連合体)とニザーム王国(インド中部のデカン高原を中心とした地域にに存在したイスラーム王朝[イスラム教徒の皇帝や国王が支配する国家])との間で戦闘が行なわれ、マラーター軍が勝利し、敗れたニザーム側は、大規模な領土割譲と莫大な賠償金を支払わされる。戦いから約3年後の1798年9月1日、ニザーム王国とイギリスとの間に軍事保護条約が結ばれる。この条約では、王国に駐留するイギリス軍の大幅増員、及びそれに支払う駐留費の負担増額、フランス人主体の精鋭部隊を解散し、全てのフランス人将兵の解雇を約する。ニザーム王国は、イギリスに従属する藩王国の地位に落とされることとなる。
1851年 - 19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの歌劇(オペラ)『リゴレット』が、イタリア北東部にあるヴェネツィアの歌劇場『フェニーチェ劇場』で初演。『リゴレット』は、ジュゼッペ・ヴェルディ中期の傑作の1つとされる。 
1862年 - 皇女和宮の降嫁: 江戸幕府第14代将軍徳川家茂と、第121代天皇、孝明天皇の異母妹、和宮親子内親王(皇女和宮)の婚儀が執り行なわれる。幕末の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府、及び諸藩(武)を結び付け、幕藩体制の再編強化を図ろうとした政策論、政治運動である公武合体を、単なる名目に終わらせず、具体的にその成果を国内に示すため推進されたのが、将軍徳川家茂に対する皇妹、和宮の降嫁策で、和宮本人や孝明天皇は難色を示すが、最終的には降嫁を承諾する。徳川家茂は側室を置かず、和宮を生涯の伴侶とし、夫婦仲は良好であったとされている。
1867年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』が、フランスの首都パリで初演。『ドン・カルロ』は、フランスのグランド・オペラ(様々な要素において「大規模」なオペラ)の形式で書かれたこともあり、設定が大規模で、充実した出演者を多数必要とする。そのため、現代では、採算上の問題から祝祭的な時期等でなければ上演が難しく、ジュゼッペ・ヴェルディの他作品に比べて上演機会は多くないが、重厚な音楽によって、ジュゼッペ・ヴェルディ中期の傑作の1つとして高く評価されている。  
1869年 - フランスの宣教師で博物学者、アルマン・ダヴィドが、ジャイアントパンダの存在を「発見」する(中国西南部の四川省で配色の特殊なクマの毛皮を見出し、ジャイアントパンダの存在をヨーロッパに報じる)。 
1879年 - 第二次琉球処分: 明治政府が琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球藩王の尚泰王に東京居住を命じる。1872年、琉球諸島を中心に存在した琉球国の国王である尚泰は、明治政府により「琉球藩王」とされると共に、大日本帝国の華族の身分を与えられ、これにより琉球藩が設置される(第一次琉球処分)。尚泰は、日清「両属」の現状維持を要請して、清国(中国清朝)への朝貢(中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が、確かに君主であると認めて恩賜を与えるという形式)を続け、王位を名乗り続ける。明治政府は1875年、琉球に対して、清国(中国清朝)との冊封(中国の皇帝が、朝貢をしてきた周辺諸国の君主に官号や爵位等を与え、君臣関係を結んで、周辺諸国の君主にその統治を認めること)と朝貢関係の廃止、並びに、明治年号の使用等を命令するが、琉球は、清国(中国清朝)との朝貢関係を継続する意向を表明し、その後も清国(中国清朝)への朝貢を続けたが、ついに明治政府は、尚泰を東京へ連行し、内務官僚(内務省[現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身]の官僚)や警察隊、陸軍熊本鎮台分遣隊を派遣して、琉球藩を鹿児島県へ編入、同年中に沖縄県を設置する。 
1881年 - 日本訪問中のハワイ王国国王カラカウアが赤坂仮御所を訪問し、第122代天皇、明治天皇との単独会談を行ない、ハワイ・アジア連合を構築して、明治天皇がその盟主となること、また、姪のカイウラニを日本の皇室に嫁がせること等を提案する。
1892年 - 長門国/周防国長州藩藩士から官僚となり、後に政治家となった品川弥二郎が、第2回衆議院議員総選挙での選挙干渉(品川弥二郎らが、警察を動員して強力な選挙干渉を行ない、25名の死者を出した事件)を非難され、内務大臣(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身となる内務省を指揮監督した国務大臣)を辞任。 
1901年 - 新聞記者・作家・雑誌編集者・詩人、国木田独歩の初の作品集『武蔵野』が刊行される。『武蔵野』には、詩情に満ちた自然観察で武蔵野(国木田独歩の記述によると、現在の東京23区西部と東京都立川市以東の市部、埼玉県川越市以南の中南部、神奈川県川崎市北部のごく一部)の林間の美をあまねく知らしめた不朽の名作短編小説『武蔵野』等、18編が収録されている。 
1906年 - 電車焼討ち事件: 路面電車の運賃値上げに反対した東京府東京市(現在の東京都区部[東京23区])の市民らが、路面電車に投石、放火等の破壊行為を繰返す。破壊・焼失車両54両、検挙者100名以上。東京の路面電車は、馬車鉄道の東京馬車鉄道が、動力を馬から電気に改めることで誕生した東京電車鉄道と、東京市街鉄道(街鉄)、東京電気鉄道(外濠線)の3社が合併して誕生した東京鉄道(東鉄)によって運営されていたが、事件をきっかけに電車の公営化を望む声が強まり、1911年には、東京府東京市によって買収され、東京市電(現在の東京都電)となる。