3月10日 記念日 その8 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

チベット蜂起記念日/チベット民族蜂起記念日。
1959(昭和34)年3月10日、チベットの首都ラサにおいて、中国共産党政府の抑圧に反発して、チベット民族による民衆暴動が勃発した。3月10日は同時に、2008(平成20)年にチベット全土において、非暴力デモが行なわれた日で、これを記念する日でもある。この日には、インドや北アメリカ、ヨーロッパ、日本等の各国や、世界各地の亡命チベット人のコミュニティーにより、記念行事が行なわれている。チベット民族は、約60年以上に亘って自由を奪われ、恐怖と不安の中で暮らしてきた。しかし、そのような状況にありながらも、チベット民族独自の文化的価値とアイデンティティを維持してきた。チベットのために命を犠牲にした勇敢な男性達、女性達に、敬意を込めて祈りを捧げる、と声明を発表している。ユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原、チベット高原は、チベットの領域とほぼ等しい。そのチベットに分布する民族がチベット民族で、人種的にはモンゴロイド(黄色人種・蒙古人種)に属する。5世紀頃、遊牧民の政権が王国を建設し、7世紀頃に盛強となる。その後も異民族による直接支配を受けたことがなく、1642(寛永19)年には、ガンデンポタン(ダライ・ラマ政権)が成立した。中国清朝は、18世紀前半にチベットへ出兵し、チベットの東部を実質的に支配したが、引続きガンデンポタンの管轄下に置かれたチベットの中央部と西部は、中国側では纏めて「西蔵」と称されるようになった。その後も、中国の地方政権がチベットの東部を分割支配し、チベットの中央部と西部をガンデンポタンが掌握するという形勢は変わらなかった。1949(昭和24)年に建国した中華人民共和国は、1949(昭和24)年から1950(昭和25)年にかけて、中華民国の諸地方政権が支配していたチベット東部を掌握した。さらに、1951(昭和26)年には、ガンデンポタンを屈服させ、チベットの西部・中央部を制圧した。チベットの東部では、1955(昭和30)年に抗中蜂起が勃発し、1959(昭和34)年になって中央チベットに波及、チベットの首都ラサでの市民蜂起に至る。中華人民共和国軍はこれを鎮圧し、チベットの君主ダライ・ラマ(チベット仏教ゲルク派の高位のラマ[僧侶の敬称])、チベット政府ガンデンポタン、さらに、約10万名の難民がチベットを脱出し、チベットの全土が中国の直接統治下に組込まれた。インドに亡命した第14代ダライ・ラマ、ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャツォ)は、チベット臨時政府の発足を宣言し、1959(昭和34)年4月29日、インド北部の丘陵地ムスーリーで新たに行政機構が再組織され、チベット亡命政府(中央チベット行政府[CTA])が発足した。中華人民共和国側は、政権としてのチベット亡命政府を認めておらず、中国の新聞も、チベット亡命政府を「反中国勢力」「国家分裂勢力」等として、敵視する報道を繰返している。チベットの実権を掌握する中華人民共和国に対する配慮から、亡命政府を外交的に承認する国はないが、欧米の主要国や、中華民国(台湾)等の指導層には、亡命政府の主張の賛同者も多い。ガンデンポタンの長としてだけでなく、チベット仏教の指導者としても、アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地を度々訪れ、仏教の智慧に関する講演、宗教的な対話に関する講演も活発に行なったダライ・ラマ14世は、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、1989(平成元)年には、ノーベル平和賞を受賞している。   
サトウ記念日。
テレビアニメ「キャプテン翼」の日向小次郎、テレビアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」のシーザー・アントニオ・ツェペリ、テレビアニメ「アイドリッシュセブン」の十龍之介等、数多くの役を演じている声優・俳優・ラジオパーソナリティーの佐藤拓也。その活躍を記念して、出演番組等を手掛ける企業、株式会社セカンドライン(所在地は、東京都豊島区東池袋)が制定。日付は、3月10日の「3」と「10」で「サ(3)トウ(10、十)」と読む語呂合わせから。
見合いの日。
東京都渋谷区代々木に所在する、オンライン上での結婚相談所の運営を中心に、婚活サービスを展開する企業、エン婚活エージェント株式会社が制定。エン婚活エージェント株式会社は、結婚しない人の理由の大きな部分を占める「相応しい相手と巡り会えない」という問題を解決して、「幸せが続く結婚をすべての人に」というビジョンを掲げている。結婚相談所ならではの記念日を通じて、出会いの機会を提供し、幸せな結婚を推奨していくことが目的。日付は、3月10日の「3」と「1」と「0」で、「み(3)あい(1) = 見合い」「ミー(3)ト(10、十) = meet」「0 = 円 = 縁」の語呂合わせ等から。エン婚活エージェント株式会社は、求人情報メディア・人材紹介サービス等の運営を行なっている東証一部上場企業、エン・ジャパン株式会社のグループ企業で、来店不要の新しいオンライン結婚相談所を運営する。また、エン婚活エージェント株式会社は、結婚しない人の理由の大きな部分を占める「相応しい相手と巡り会えない」という問題を解決して、「幸せが続く結婚を全ての人に」というビジョンを掲げている。
マルヨのほたるいかの日。
3月10日と4月3日。兵庫県美方郡香美町香住区香住に本社を置く、「かにみそ」「ほたるいか」製品等の海産物の食品を製造する企業、マルヨ食品株式会社が制定。日付は、3月10日が、「ほたるいか」の水揚げが本格的に始まる時期であることと、山陰地方の山(さん = 3)で3月、「ほたるいか」の足が10本なので10日。4月3日が、「ほたるいか」漁の最盛期が4月で、山陰地方の山(さん = 3)で3日としたもの。兵庫県が漁獲量日本一を誇る「ほたるいか」を全国に知らせると共に、「ほたるいか」を使用した商品のPRを目的としている。マルヨ食品株式会社は、「ほたるいか」製品に全力で取組んでいる。仕入れた「ほたるいか」は、港からすぐの工場へ搬入し、素早く作業を行ない、製品化される。現在は食用とされるホタルイカ(蛍烏賊)は、冷蔵・運送が近代化される前は、地元での食用以外は、流通前に肥料として多く利用された。日本近海では、日本海全域と太平洋側の一部に分布しており、特に、富山湾に面する滑川市を中心とする富山県と、兵庫県の日本海側で多く水揚げされている。ホタルイカというと、富山湾をイメージする人は多いが、漁獲量は兵庫県の浜坂漁港が日本一で、富山県全体を上回る。通常、水深約200mから約700mの深海に生息している。晩春から初夏までが産卵期で、1回当たり約数千個から約1万個の卵を産む。富山県では古くから食用とされ、炒め物、佃煮を含む煮物、酢味噌和え、沖漬け、素干し、天ぷら、唐揚げ、足だけを刺身にした竜宮そうめん等がある。現代では、首都圏等、水揚げ漁港から遠い地域の食品スーパーマーケットや鮮魚店で販売される他、居酒屋や回転寿司店等でも提供される。食味や旬の漁獲高が多いことだけでなく、近年は栄養面でも評価されるようになり、ビタミンAやビタミンB12、タウリンを多く含むという。

遊園地の日。
3月第2日曜日。1979(昭和54)年に東日本遊園地協会(東日本の大手遊園地16施設が会員となっている組織で、1980[昭和55]年から日本遊園地協会、1998[平成10]年より再び東日本遊園地協会)が制定。遊園地を利用することで、親と子の絆を深めることを狙ったもの。なお、西日本の大手遊園地会員がとなっている西日本遊園地協会では、3月第3日曜日に行なっている。遊園地は、乗り物等の遊具を設けた施設であり、かつては遊具に関係なく、単に公園や運動場等の意味でも用いられた。また、デパート等の屋上遊園地を指すこともあり、レジャーランドという呼び方もある。遊園地の中でも、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランドのように、特定のテーマで園内の世界観が統一されているものを、テーマパークと呼ぶことがある。但し、この2つの区別・定義は明瞭ではない。日本の遊園地の先駆けとしては、1911(明治44)年に誕生した近代的な娯楽場「宝塚新温泉」(後の兵庫県宝塚市に所在した遊園地兼動物園「宝塚ファミリーランド」)を挙げる説がある。それよりも歴史が古い、1853(嘉永6)年開園(1942[昭和17]年に解体後1947[昭和22]年に復活)の東京都台東区浅草に所在する「浅草花やしき」を挙げる場合もある。断絶なく現在まで営業を続けている最古のものは、1912(大正元)年開園の大阪府枚方市に所在する「ひらかたパーク」とされる。
金子みすゞ忌。
童謡詩人、金子みすゞの1930(昭和5)年の忌日。金子みすゞは、大正時代末期から昭和時代初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに、512編もの詩を綴ったとされる。詩人・作詞家・仏文学者の西條八十から「若き童謡詩人中の巨星」と称えられたが、結婚後に夫から詩作を禁じられ、夫から病をうつされた末、自ら命を絶った。代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」等がある。早世し、幻の童謡詩人とされた金子みすゞの詩は、長らく忘れられていたが、岩波文庫『日本童謡集』の「大漁」を読んだ詩人の矢崎節夫らの努力で遺稿集が発掘され、1984(昭和59)年に出版されるや、瞬く間に有名になった。金子みすゞの詩は、元々曲を付けられることを想定したものではなかったが、詩作への評価の広まりと共に、童謡・歌曲・合唱曲として、中田喜直、池辺晋一郎、吉岡しげ美、李政美、沢知恵、野田淳子、石若雅弥、等を始めとする作曲家や歌手によって、広く作曲されている。