3月10日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

砂糖の日。
砂糖の優れた栄養価等を見直す日として、砂糖関係8団体(精糖工業会、日本製糖協会、日本ビート糖業協会、日本甘蔗糖工業会、日本分蜜糖工業会、日本砂糖輸出入協議会、全国砂糖代理店会、全国砂糖特約店協同組合連合会)を構成員とし、砂糖についての啓発活動を実施している「お砂糖"真"時代」推進協議会が、2014(平成26)年度に制定した。日付は、3月10日の「3」と「10」を「砂糖(さ[3]とう[10、十])」と読む語呂合わせから。元々、3月10日は、語呂合わせから「砂糖の日」とされていたが、制定した団体等は不明であった。その後、「お砂糖"真"時代」推進協議会が、この日を記念日として、改めて制定した形となる。「お砂糖"真"時代」推進協議会は、2015(平成27)年3月22日に、東京都千代田区有楽町に所在する複合商業施設、有楽町イトシア前の広場において、「砂糖の日」誕生イベントを開催した。砂糖についての啓発パネルの展示の他、お砂糖キャラクター「シュガタン」も紹介された。「お砂糖"真"時代」推進協議会では、砂糖の良さを発信する日とし、3月10日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生の前日ということもあり、「長期保存可能なエネルギー源」という砂糖の効用の啓発を通じ、防災について考える催事を実施していくこととしている。砂糖は、日本には奈良時代に、中国唐朝の高僧であった鑑真によって伝えられたとされている。平安時代後期には、日本現存最古の薬物辞典『本草和名』に見られるように、ある程度製糖の知識も普及し、菓子や贈答品の一種として扱われるようにもなっていた。室町時代には、幾つもの文献に砂糖羊羹、砂糖饅頭、砂糖飴、砂糖餅といった、砂糖を使った和菓子が見られるようになってくる。やがて、戦国時代に南蛮貿易(ポルトガル人やスペイン人が日本に来航して行なった貿易)が開始されると、宣教師達によって様々な砂糖菓子が持込まれ、さらに、アジアから砂糖の輸入が盛んになり、徐々に砂糖の消費量は増大していく。江戸時代に入ると、海外からの主要な輸入品の1つに砂糖が上げられるようになり、オランダや中国の貿易船が、バラスト(重量を増したり重量のバランスを取ったりするために積込む重し)代わりの底荷として、大量の砂糖を長崎の出島(鎖国時代の日本の対外貿易窓口)に持込んだ。この頃、日本からは大量の金や銀が産出されており、その経済力をバックに、砂糖は高値で輸入され、大量の砂糖供給は砂糖を使った和菓子の発達をもたらした。しかし、17世紀後半には金や銀は枯渇し、その流出の原因の1つとなっていた砂糖輸入を減らすために、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が、琉球(現在の沖縄県)からサトウキビを取寄せて、江戸城内で栽培させ、サトウキビの栽培を奨励して砂糖の国産化を目論んだ。また、殖産興業を目指す各藩も、価格の高い砂糖に着目し、自領内で栽培を奨励した。特に、讃岐国高松藩第5代藩主松平頼恭がサトウキビ栽培を奨励し、江戸時代後期の天保期には、国産白砂糖のシェア6割を占めるまでになった。また、讃岐国高松藩はこの頃、黒砂糖をまろやかにしたような独特の風味を持ち、淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴の和三盆の開発に成功し、高級砂糖として現在でも製造されている。こうした動きによって、19世紀に入ると、砂糖のかなりは日本国内で賄えるようになった。明治時代中期、主に朝鮮半島(李氏朝鮮)を巡る日本と清国(中国清朝)の戦争、日清戦争の結果として台湾が日本領となると、台湾総督府(台湾を統治するために設置された日本の出先官庁)は糖業を中心とした開発を行ない、これに伴なって、日本には大量の砂糖が供給されることとなった。これにより、沖縄を除く日本本土ではサトウキビの生産が衰退したが、台湾での増産によって生産量は増大を続け、昭和時代に入ると砂糖の自給をほぼ達成した。一方、北海道においては、明治時代初期にテンサイ(別名はサトウダイコンで、寒冷地作物であり、サトウキビと並ぶ砂糖の主要原料)の生産が試みられたが一度失敗し、昭和時代に入ってやっと商業ベースに乗るようになった。この砂糖生産の拡大と生活水準の向上によって、砂糖の消費量も増大した。しかしその後、第二次世界大戦の戦況の悪化に伴ない砂糖の消費量は激減し、1945(昭和20)年の第二次世界大戦敗戦によって、砂糖生産の中心地であった台湾を失ったことで、砂糖の生産流通は一時大打撃を受けた。その後、1952(昭和27)年に砂糖の配給が終了して生産が復活し、日本の経済復興と共に、再び潤沢に砂糖が供給されるようになった。南北に長い日本列島は、サトウキビの栽培に適した亜熱帯と、テンサイ栽培に適した冷帯の両方が存在する。国産量は微増傾向にあるが、それは主にテンサイ糖の増加によるもので、サトウキビ糖は微減傾向にある。サトウキビの主な生産地は沖縄県や鹿児島県で、テンサイの生産地は主に北海道である。なお、日本は先進国の中では、砂糖消費量が非常に少ない方である。異性化糖(HFCS)とは、主にブドウ糖からなるコーンシロップ(トウモロコシ)を、酵素かアルカリによって異性化した、果糖とブドウ糖を主成分とする糖をいう。デンプンは、主な穀物の炭水化物(糖分)で、複数のブドウ糖が結合したものであるが、ブドウ糖をより甘味の強い果糖に異性化させ、甘味を増すことができる。ジャガイモやサツマイモ等のデンプンを異性化させることもある。1970年代後半より、砂糖の代わりを担ってきた異性化糖(HFCS)は、甘さを砂糖の主成分であるスクロース(ショ糖)と同等に調整した、果糖55%、ブドウ糖42%の「HFCS 55」が、ソフトドリンク等に使用される等、最も普及している。異性化糖(HFCS)は、広く言えば新しい砂糖とも言える。砂糖より甘みが口中に残りにくく、低温下で甘味度を増すため、清涼飲料や冷菓等に多く使われている。また、価格も安い(砂糖の約7割程度とされる)ことから、他に缶詰、パン、みりん風調味料等にも使われている。なお、異性化糖(HFCS)は液状のため、固形化や粉末化するのが難しく、一般消費者向けには殆ど販売されていない。
ミントの日。
東京都港区海岸に本社を置き、主に菓子類やアイスクリーム等を販売している食品会社、カネボウフーズ株式会社(2007[平成19]年に社名を変更し、現在はクラシエフーズ株式会社)が2000(平成12)年に制定。日付は、3月10日の「3」と「10」で、「ミ(3)ント(10、十)」の語呂合せと、3月がフレッシュなイメージであることから。すっきりとした清涼感のあるミントをPRすることが目的。クラシエフーズ株式会社は、クールで爽やかなミント風味のタブレット菓子「フリスク(FRISK)」や、ソフトキャンディ「メントス(mentos)」のすっきりミント味、マイルドミント味で歯に安心のシュガーレスガム「歯みがきガム」等を発売している。ミントは、シソ科ハッカ属の総称であり、和名はハッカ(薄荷)であるが、この名はミントの1種、ニホンハッカを意味することもある。繁殖力が旺盛であり、零れ種(蒔いたのではなく、自然に地面に零れ落ちた種子)と地下茎により繁殖する。畑地等に地植えすると駆除が容易ではなくなり、しばしば雑草扱いされる。葉は、爽快味、及び冷涼感を与えるメントール(アルコールの一種の有機化合物)に富むため、ハーブ(香りに鎮静、又は興奮等の作用がある有用植物で、料理の香り付けや保存料、薬、香料、防虫等に利用される)として、料理、カクテルや菓子、薬用酒等の材料となる他、精油(エッセンシャルオイル、植物が産出する揮発性の油)は、香料として食品や歯磨き粉に添加されたり、精油の芳香や植物に由来する芳香を用いて、病気や外傷の治療、病気の予防、心身の健康やリラクセーション(緊張を緩めること)、ストレスの解消等を目的とする療法であるアロマテラピーや消臭や虫除けに用いられる。かつては、北海道北見市が世界生産の約70%を占める、世界的な産地であったことから、北海道内の土産屋の定番商品となっている。また、漢方薬としても、清涼、解熱、発汗、健胃等の目的で用いられる。