3月8日 記念日 その6 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

残薬をへらす日。
薬の「飲み残し」「飲み忘れ」による残薬を減らすために、東京都渋谷区円山町に本社を置く、薬局総合ポータルサイト「EPARKくすりの窓口」等の運営を行なっている企業、株式会社フリービットEPARKヘルスケアが、2017(平成29)年に制定。医療費削減に繋がる残薬を減らすことを、病院、薬局、患者に目指してもらうことが目的。日付は、3月8日の「3」と「8」で、「残薬(ざん[3]や[8]く)」と読む語呂合わせから。「残薬」とは、医師から処方された薬を飲み残したり飲み忘れたりして、余った薬のことである。厚生労働省によると、潜在的な残薬は年間約500億円分にも上るとされている。薬は無料ではなく、無駄になった薬が国の財政を圧迫しているのが現状である。医療費削減のためにも、薬の管理を患者任せにするのではなく、医師と薬剤師の協力の下、薬局を中心とした残薬の管理や指導を行なうことによる改善が望まれている。株式会社フリービットEPARKヘルスケアは、株主構成が変更となることを受けて、社名を株式会社くすりの窓口に変更し、東京都豊島区池袋に本社を移転した。  
町家の日。
京都市中京区三条通新町西入ル釜座町に事務局を置く、京町家情報センターが2016(平成28)年に制定。町家の中に蓄積されてきた暮らしと建物の知恵や工夫を再評価し、町家の伝統的価値とその素晴らしを多くの人に知らせ、町家の保全と再生を図ることが目的。日付は、3月を英語の「March(まーち)」、8日を「や(8)」として、「町屋(まちや)」と読む語呂合わせから。京都市中京区新町通錦小路上ル百足屋町に所在する、町家再生や実測調査等、実践を兼ね備えた研究会、特定非営利活動法人(NPO法人)京町家再生研究会と、登録不動産業者により構成され、さまざまな京町家に関する不動産流通の情報を集める役割を果たす京町家情報センターは、京町家作事組、京町家友の会、弁護士、税理士、不動産流通の研究者を始め、京都市が、京都らしい美しい景観や住みよいまちを創造するために設立した公益財団法人、京都市景観・まちづくりセンターとも緊密なパートナーシップを組んでいる。町家とは、民家の一種で、職人や商人の町人が住む店舗併設の伝統的な都市型住宅である。農家が門を構えた敷地の奥に主屋が建つのに比べ、町家は、通りに面して比較的均等に建ち並ぶ点に特徴がある。京都市内に建てられた町屋は、「京町家」と呼ばれる。商人による多大な財の蓄積によって建てられた町屋は、「小江戸」と称される埼玉県川越市等、全国に残っており、技術的にも意匠的にも、日本の住宅の水準の高さを表わすものとなっている。町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。これは三間(約5.4m)の間口を一軒役として課税する、豊臣秀吉の税制に反発した形状である、という説がある。
雅の日。 
1928(昭和3)年の創業以来、婚礼から始まる「お慶びの場」として愛されてきた結婚式場・ホテル・レストラン等の複合施設、目黒雅叙園が、2008(平成20)年の創業80周年を記念して制定。名称は、目黒雅叙園の象徴的な「雅(みやび)」の空間を表わし、日付は、3月8日の「3」と「8」を、「雅(み[3]や[8]び)」と見立てたもの。上質で心地よい宴を提供することで、文化の発展に貢献することを目指している。元は地方風・田舎風を意味する「鄙び(ひなび)」の対義語として用いられた「雅」は、上品で優雅なこと、或いは、宮廷風・都会風であることで、風采の立派なことの意味もある。東京都目黒区下目黒に所在する目黒雅叙園は、2017(平成29)年4月1日、ホテル雅叙園東京に施設名称を変更した。ホテル雅叙園東京は、世界80ヶ国、520軒以上の独立系の高級、かつ小規模なホテルだけで構成されたホテルグループ、「Small Luxury Hotels of the World(SLH)」加盟ホテルで、日本国内で認定されているホテルは僅か12軒となっている。石川県出身の実業家で、創業者となった細川力蔵が、1928(昭和3)年に芝浦(現在の東京都港区芝浦)にある自邸を改築し、純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営していたが、目黒で建造物を入手し、増改築を進めて1931(昭和6)年には、「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業した。これは、日本国内最初の総合結婚式場でもあった。本格的な北京料理や日本料理を供する料亭であったが、メニューに価格を入れる等、当時としては斬新なアイディアで、軍人や政治家、華族層以外の一般市民の料亭利用者を増やした。また、中華料理の店で一般に見られる円形のターンテーブル(二層構造の円形テーブル上部に料理を載せ、回転させることで取り易くする方式)も、1931(昭和6)年に細川力蔵が考案したもので、その後に中国大陸へ伝わった、という説もある。木造(旧館)の目黒雅叙園は、絢爛たる装飾を施された園内の様子で「昭和の竜宮城」とも呼ばれ、ケヤキの板材で作られた園内唯一の木造建築「百段階段」(実際は99段)と、その階段沿いに作られた7つの座敷棟宴会場の内の4つは、2009(平成21)年3月16日に東京都指定の登録有形文化財(建造物)に登録された。「十畝(じっぽ)の間」「漁樵(ぎょしょう)の間」「草丘(そうきゅう)の間」「静水(せいすい)の間」「星光(せいこう)の間」「清方(きよかた)の間」「頂上(ちょうじょう)の間」、計7つの中から4棟の座敷棟が登録された。興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入第1位を達成した長編アニメ映画『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルにもなったもので、樹齢百年の床柱や天井、壁面、ガラス窓に至るまで贅を凝らし、昭和初期における、芸術家達の求めた美と、大工の高度な伝統技術が融合した素晴らしい装飾となっている。現在の敷地は1991(平成3)年11月に、総工費約850億円で大リニューアルしたものである。旧館の老朽化と、隣接する目黒川の水害対策の拡張工事が重なったことから、検討の末、膨大な美術品を修復して移築復元する方法が採られた。創業者、細川力蔵亡き後は、合資会社雅叙園として同族による経営が行なわれてきたが、運営会社であった株式会社雅秀エンタープライズは2002(平成14)年に経営破綻し、アメリカの投資ファンド運営会社、リップルウッド・ホールディングスに買収された。株式会社雅秀エンタープライズは、現在の株式会社目黒雅叙園として再建され、2004(平成16)年には、京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町に本社を置く、海外挙式サービス事業等を行なう企業、ワタベウェディング株式会社が、その株式の66%を取得して傘下に収め、2005(平成17)年に残り34%も取得して、株式会社目黒雅叙園は現在、ワタベウェディング株式会社の完全子会社となっている。
ザンパの日。
沖縄県中頭郡読谷村字長浜で、琉球泡盛の製造販売を行なう企業、有限会社比嘉酒造が制定。有限会社比嘉酒造の主力商品である泡盛「残波」を、さらに多くの人に飲んでもらうことが目的。日付は、3月8日の「3」と「8」で、「残波(ザン[3]パ[8])」と読む語呂合わせから。春の息吹と共に皆で「残波」を飲み交わしながら、新たな気持で春を迎えてほしい、という想いも込められている。有限会社比嘉酒造のロゴマークは、残波岬に打寄せる波をイメージしている。沖縄本島中部に位置する沖縄県中頭郡読谷村は、日本の村としては最も人口が多く、人口密度は、同じ沖縄県中頭郡の北中城村と中城村に次いで3番目に高い。村内には、残波岬があり、突端には白亜の大型灯台、残波岬灯台が設置されている。1974(昭和49)年に初点灯され、2001(平成13)年には地元の要望で、参観灯台(内部が常時一般公開されている灯台で、主に公益社団法人燈光会が海上保安庁から委託を受け、有料で参観事業を行なっており、上部へ登って眺望を楽しむことができる他、資料館や展示室を併設するものもある)となり、一般公開されている。残波岬灯台の周辺には、沖縄海岸国定公園に指定され、約30mもの断崖絶壁が約2kmも続く雄大な景観が広がる。灯台上からは、東シナ海の見晴らしが良く、晴れていれば、粟国島、渡名喜島、久米島等を望むこともできる。