3月5日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0363年 - ローマ皇帝ユリアヌス(フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス)が、サーサーン朝ペルシャ(現在のイランを中心とした中東周辺を支配した帝国)への遠征を開始。「異端」とされた者達に恩赦を与えて、最後の「異教徒皇帝」として知られ、ローマ帝国で急激に体制の変革を進めたユリアヌス(フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス)は、サーサーン朝ペルシャ領への遠征中、敵襲に対して指揮を執っている際に投槍を受け、陣中で没している。 
0741年 - 第45代天皇、聖武天皇が、国分寺(国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院で、男性の僧侶が在籍する国分僧寺と、女性の僧侶[尼僧]が在籍する国分尼寺に分かれる)建立の詔を出す。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺」、国分尼寺が「法華滅罪之寺」。 
0823年 - 平安時代初期の僧で、弘法大師の諡号(921年、第60代天皇、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖、空海が、東寺(教王護国寺、現在の京都市南区九条町にある仏教寺院)を下賜される。東寺は、平安京鎮護のための官寺(国家の監督を受ける代わりに、その経済的保障を受けていた寺院)として建立が始められた後、第52代天皇、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄える。中世以降の東寺は、空海(弘法大師)に対する信仰の高まりと共に、「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も、京都の代表的な名所の1つとして存続している。 
1770年 - ボストン虐殺事件。マサチューセッツ植民地(現在のアメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州)ボストンで、イギリス軍が民間人5名を射殺する。イギリス軍と植民地の民間人達との間の緊張が高まっていた最中に起きたこの射殺事件は、イギリス領植民地からの独立派が、この事件を「ボストン虐殺」と呼び、反イギリスのプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った宣伝行為)として用いたことから、1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争、アメリカ独立戦争を引起こすきっかけともなった事件の1つでもある。 
1868年 - 江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が、江戸城無血開城(明治新政府軍[戦争の指揮権や、徳川家、及び諸藩の処分の裁量権等が与えられた東征大総督府]と旧幕府[江戸幕府将軍を世襲した徳川氏の宗家]との間で行なわれた、江戸城の新政府への引渡し)に伴ない、江戸城を出て上野寛永寺(現在の東京都台東区上野桜木に所在)に移る。 
1872年 - アメリカの機械技術者・電気技術者・実業家、ジョージ・ウェスティングハウスが、空気ブレーキ(圧縮空気でブレーキシリンダを動かし、ブレーキを掛ける装置)のアメリカでの特許を取得する。
1876年 - 現在あるイタリアの全国紙の中では最も古い新聞で、イタリアにおける主要な新聞(日刊紙)『コリエーレ・デラ・セラ』が創刊される。 
1880年 - 「会計検査院設置の件(明治13年3月5日太政官達第18号)」により、会計検査院が設置される。120年以上の歴史を有する会計検査院は、国や国の出資する政府関係機関の決算、独立行政法人等の会計、国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計等の検査を行ない、現在は「会計検査院法(昭和22年4月19日法律第73号)」第29条の規定に基づく決算検査報告を作成することを主要な任務としている。作成された決算検査報告は内閣に送付され、内閣は送付された決算検査報告を国会に提出することとなっている。 
1881年 - ハワイ王国第7代国王カラカウアが来日し、史上初めて来日した日本国外の国家元首(対外的代表権を持つ存在)となる。移民問題について学び、また、外交関係を改善するため、アジア諸国やヨーロッパ諸国を歴訪したカラカウアは、日本では第122代天皇、明治天皇と会見し、移民の要請、及びカイウラニ王女と皇族の山階宮定磨王(後の東伏見宮依仁親王)の政略結婚を要請する(但し、後者は明治政府に断られている)。カラカウアは、その華やかな生活から「メリー・モナーク(陽気な君主)」と渾名されていて、キリスト教宣教師によって禁止されていたフラ(ハワイの伝統的な歌舞音曲で、ダンス、演奏、詠唱、歌唱の全てが含まれる)を復活させたのはカラカウアの功績で、現在、ハワイ諸島で最大の島(日本の四国の約半分程度、岐阜県程度の大きさである)、ハワイ島で毎年フラの大会「メリー・モナーク・フェステバル」が開催されている。また、カラカウアがハワイ王国の首都ホノルル(現在のアメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある、同州最大の都市、かつ州都)に建設したイオラニ宮殿は、アメリカ合衆国にある唯一の宮殿である。 
1894年 - 貴族・政治家のローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズが、イギリスの第48代首相に就任。 
1908年 - 著述家・啓蒙思想家・教育者の福沢諭吉が創刊した日刊新聞『時事新報』を発行する時事新報社が、アメリカの新聞社であるシカゴ・トリビューンの世界美人コンクールの日本予選として、日本初の美人コンテストを開催する。 
1929年 - 国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取締まることを目的として制定された、「治安維持法(大正14年4月22日法律第46号)」に反対していた元衆議院議員の山本宣治が、右翼団体「七生義団」の黒田保久二により刺殺される。 
1931年 - 東京航空輸送が、日本初のスチュワーデスを採用。 
1932年 - 特に大きな3つ財閥(一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態)、日本三大財閥の1つである三井財閥の総帥、團琢磨が、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)日本橋室町にある三井本館前で、性急な国家改造計画を企てた政治結社「血盟団」の団員により射殺される。團琢磨が暗殺対象となったのは、三井財閥がドル買い投機で利益を上げていたことへの反感や、労働組合法の成立を先頭に立って反対した報復とも言われている。 
1933年 - ドイツ国会1933年選挙。極右政党のナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)と、国家人民党(ドイツの保守・右派政党で、1933年6月に自主解散)からなる与党が過半数を獲得する。 
1936年 - 単発レシプロ単座戦闘機「スーパーマリン スピットファイア」が初飛行。「スーパーマリン スピットファイア」は、イギリスの航空機メーカー、スーパーマリン社(イギリスの国防・情報セキュリティ・航空宇宙関連企業、BAEシステムズの源流企業の1つ)が開発した単発レシプロ単座戦闘機である。第二次世界大戦において、イギリス空軍を始めとする連合軍で使用される。バトル・オブ・ブリテン(ドイツによるイギリス本土上陸作戦の前哨戦として、イギリスの制空権の獲得のために行なわれた一連の航空戦)の際、イギリスをドイツ空軍の手から救った救国戦闘機として有名で、楕円形の特徴的な主翼を持ち、高速を発揮するために薄い翼断面となっている。「スーパーマリン スピットファイア」は、パイロット達からの支持は厚く、第二次世界大戦のさまざまな状況で活躍する。基本設計が優秀であったことと、戦況に応じたエンジンの出力向上によって長期間に亘り活躍し、23,000機余りが生産され、1950年代まで使用される。 
1938年 - 法華(釈迦の教えを纏めた法華経の実践と普及を教義とする団体)系の新宗教『立正佼成会』が創立される。 
1940年 - 米坂線雪崩直撃事故。山形県西置賜郡小国本村(現在の山形県西置賜郡小国町)にある国鉄(日本国有鉄道、現在の東日本旅客鉄道[JR東日本])米坂線小国駅 - 玉川口駅間で、雪崩により荒川橋梁が崩壊し、直後に列車が通過して、列車は線路脇の荒川へ転落。列車の暖房器具から出火する等で、乗客15名と職員3名、合わせて18名が死亡する。山形県と新潟県を跨って走る米坂線沿線は豪雪地帯としても知られ、これまでにも雪崩の記録が数多く残っている。