3月4日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

バウムクーヘンの日。 
1919(大正8)年3月4日に広島県物産陳列館(現在の広島市中区大手町に所在する、広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑[被爆建造物]である原爆ドーム)で行なわれたドイツ俘虜展示即売会で、ドイツの菓子職人、カール・ユーハイムが、ドイツの伝統菓子のバウムクーヘンを出品した。これが、日本におけるバウムクーヘンの始まりであることから、カール・ユーハイムを創業者とし、兵庫県神戸市中央区港島中町に本社、兵庫県神戸市中央区元町通に本店を置く製菓会社、株式会社ユーハイムが2010(平成22)年に制定。株式会社ユーハイムのバウムクーヘンは、その「まっすぐなおいしさ」と「こだわりの技術と材料」によって、多くのファンを獲得している。2019(平成31)年、日本のバウムクーヘンは100周年を迎えた。カール・ユーハイムは1908(明治41)年、ドイツの菓子店協会の会長に勧められ、ドイツの租借地(ある国が条約で一定期間、他国に貸し与えた土地)である膠州湾租借地の青島市(中国中東部に所在)で、喫茶店に就職。間もなく、自ら喫茶店「ユーハイム」を営業するようになった。カール・ユーハイムの作るバウムクーヘンは、本場ドイツの味にそっくりと評判になった。1914(大正3)年8月1日、ドイツはフランスとロシアに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦した。青島市は、ドイツに宣戦布告した日本軍の攻撃を受け、11月7日に陥落。カール・ユーハイムは非戦闘員であったにも係わらず、しかも、翌年9月になってから日本軍の捕虜となり、大阪市西区(現在は、大阪市西区から分区された大阪市大正区南恩加島となっている)にある大阪俘虜収容所へ移送された。1917(大正7)年2月19日、インフルエンザの予防のため、大阪俘虜収容所に収容されていた捕虜は全員、広島県安芸郡仁保島村(現在の広島市南区似島)にある似島検疫所に移送された。広島県は、似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の展示即売会を開催することになり、カール・ユーハイムは、バウムクーヘン等の菓子を作ることになった。材料集め(バウムクーヘンを焼くには、堅い樫の薪等を必要とした)に難航したものの、バウムクーヘンを焼くことに成功した。この時カール・ユーハイムは、菓子の味を日本人向けにアレンジ(カール・ユーハイムは、青島市が日本軍に占領された際の経験から、バターを多く使用した菓子が日本人に受入れられないことを知っていた)することにも成功し、カール・ユーハイムの作った菓子は好調な売行きをみせた。カール・ユーハイムは、第一次世界大戦が終わった後も日本に留まり、兵庫県神戸市神戸区三宮町(現在の兵庫県神戸市中央区三宮町)に株式会社ユーハイムの前身である喫茶店「JUCHHEIM'S」を開店した。当時神戸には、外国人が経営する喫茶店がなく、「JUCHHEIM'S」は多くの外国人客で賑わった。開店から1年程経つと、「JUCHHEIM'S」の菓子を仕入れて販売する店も出てくるようになる等、店の経営は順調であったが、カール・ユーハイムは、1937(昭和12)年頃から精神に異常を来すようになり、病から回復した後も、明るかった性格は一変し、以前のように働くこともできなくなっていた。さらに、1941(昭和16)年に開戦した第二次世界大戦対米英戦の戦況が悪化するにつれ、物資の不足により菓子を作ろうにも作ることができなくなった。第二次世界大戦対米英戦終戦の前日となる1945(昭和20)年8月14日、カール・ユーハイムは、現在の兵庫県神戸市灘区に所在する六甲山の六甲山ホテルでこの世を去った。カール・ユーハイムの死後、その妻を始めとする親族は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によってドイツに強制送還された。しかし、1948(昭和23)年10月、かつて「JUCHHEIM'S」に勤務していた山口政栄や川村勇ら3名が、「JUCHHEIM'S」の復興を目指して任意組合ユーハイム商店を設立。1950(昭和25)年1月には株式会社に改組し、1963(昭和38)年から株式会社ユーハイムに商号を変更した。1953(昭和28)年3月には、カール・ユーハイムの妻エリーゼ・ユーハイムがドイツから戻り、帰国直後から会長に、1961(昭和36)年10月からは社長に就任した。エリーゼ・ユーハイムは、「死ぬまで日本にいる」と宣言し、1971(昭和46)年5月2日に兵庫県神戸市で息を引取った。カール・ユーハイムは、日本で初めてバウムクーヘンを作った他、マロングラッセ(栗を砂糖漬けにした菓子)を販売した人物として知られる。株式会社ユーハイムは、一時経営が悪化したことがあり、バターを納品していたアルプスバター神戸直売所の創業者、河本春男らの出資により、再興した。河本春男は1962(昭和37)年、株式会社ユーハイム商店の代表取締役専務に就任し、1971(昭和46)年のエリーゼ・ユーハイムの死去に伴ない、株式会社ユーハイム社長に就任した。ユーハイム夫妻に跡継ぎがいなかったこともあり、その後の株式会社ユーハイム経営権は、河本家に引継がれる形となっている。因みに、株式会社ユーハイムは、日本放送協会(NHK)で1977(昭和52)年から1978(昭和53)年にかけて放映された、NHK連続テレビ小説第20作『風見鶏』(大正時代にドイツ人パン職人と国際結婚した女性が、兵庫県神戸市でパン屋を営み、やがて多くの人々から慕われていくまでを、国際色豊かに描いた)から起こった「異人館ブーム」の追い風に乗り、1970年代から1980年代にかけて全国各地に出店し、一時は逆上陸の形で、ドイツに多店舗展開していたこともある。バウムクーヘンは、中心にドーナツ状の穴があり、断面に樹木の年輪のような同心円状の模様が浮出たケーキである。年輪のような形状から、日本ではめでたい贈答品の1つとして慶事の贈り物として好まれ、結婚式や祝い事の引出物として使われることが多い。日本人にとっては、大正時代から昭和時代初期から知られるドイツを象徴する菓子の1つと見做されているが、実際のドイツでは、珍しい種類の菓子であり、日本程一般的ではない。伝統的な作成方法が非常に特殊で、専門装置や技能を要するため、一般的な菓子店では扱っていないことが多く、入手しようと思えば、専門店を探す必要がある。バウムクーヘンの精密に作られた年輪の形状は、作成した職人の技術の高さを象徴するものである。 
三枝の日。
落語家・タレント・司会者の桂三枝に因む。2009(平成21)年より毎年この日に、大阪市中央区難波千日前にあるお笑い・喜劇専門の劇場『なんばグランド花月』で、イベント『三枝まつり』を開催していたが、桂三枝の6代目桂文枝(上方落語の名跡の1つ)襲名に伴ない、2012(平成24)年で終了した。日付は、3月4日の「3」と「4」で、「三枝(さん[3]し[4])」の語呂合わせから。なお、一般的に上方落語の世界では、単に「六代目」と言えば専ら、豪放な芸風で知られ、多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たした6代目笑福亭松鶴を指すため、「六代 桂 文枝」としている。2015(平成27)年7月2日、大阪市福島区福島に本社を置くラジオ・テレビ兼営放送局、朝日放送の制作により、テレビ朝日系列他で放送されている視聴者参加型トーク番組『新婚さんいらっしゃい!』で、「同一司会者によるトーク番組の最長放送」として、『ギネス世界記録』(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)に認定された。その後、2022(令和4)年3月27日放送分をもって、6代目桂文枝が司会者を勇退し、6代目桂文枝の出演記録は、約51年2ヶ月で終了した。なお、朝日放送は、1971(昭和46)年の『新婚さんいらっしゃい!』放映開始時には、大阪市大淀区大淀町南(後に大阪市大淀区大淀南、現在は、大阪市北区大淀南)に社屋を置いていたが、2008(平成20)年には、大阪市福島区福島に社屋を移転した。